2023年12月23日土曜日

E653系初運行とアイスチューリップ

久々の「撮り鉄」は2023_12_23 。

常磐線のE653系7両編成が、当地から勝田まで運転された。

臨時列車名は、「冬を満喫! 海浜公園号」で初運行だった。

7時22分、当地を発車して勝田には10時16分に着いたことになっている。

帰路は、勝田を16時24分発の予定だ。

この一枚、冬の朝の低い日差しを受け、西上州の山を背に勝田に向かった。


運行チラシによると、海浜公園では「球根を冷蔵処理することによって冬に満開のアイスチューリップが咲きます」とありました。

なお、この列車は明日12月24日も運転されるとのこと。




 

2023年12月21日木曜日

86の行く手

寒い冬が来た。

1967_1_7は、その寒い雪の中だった。

花輪線の竜ケ森。

この駅をサミットとして、86(ハチロク)の三重連で有名だった。

↓通常はこの一枚のように、1両の86で貨物を牽引。


それでも、迫力は十分あったのです。

33‰の急勾配が、86の行く手に立ちはだかった懐かしの一枚です。


 

2023年12月20日水曜日

C58牽引貨物列車と踏切看板

 1965_12 ごろの一枚。

高操を発車して高崎駅方向に向かうC58牽引の両毛線の貨物列車。

写真手前の柵などは、踏切の注意看板などだ。

当時ではあたりまえだった「砂利道」を自転車が並走している。

その後方には、VHFアンテナが写っている。

東京から直接TV電波を受信したので、高いポールだ。

後に、榛名山中継所ができ、UHF電波の受信が可能になっている。


C58は高崎操車場を出たばかりなので、「煙」は十分。

画面左には、押し上げハンプに向かう入れ替え貨車列も写っている。



2023年12月14日木曜日

80系の時の流れを感じる一枚

 80系「湘南電車」のクハ86のデザインは、その後の私鉄も含めたくさんの車両のモデルとなった。

旧の80系の正面デザインは、3枚窓でしたが、この形から2枚窓になったものです。

撮影場所は、高崎線の倉賀野~高崎間。

編成両数を見ると、6両編成。


現在の高崎線の籠原以北では、グリーン車を含め10両で、

籠原以南は15両で運転している。

60年の時の流れを感じさせる一枚だ。

1962_7_11ごろの撮影


2023年12月9日土曜日

新型「コロナ禍」まえの新型「コロナ」

「Toyopet コロナ」は、長く低いボディですが、うわ部分が後ろに押された感じがします。

最初は997CCだったが、のち1453CCにアップしている。


「コロナ」の名前は、太陽のコロナをイメージしたようですが、輸出名は、貴婦人の髪飾りを意味する「ティアラ」。

当時の為替相場は、1ドル360円。日本国内価格の3分の1で輸出されたいたわけですので、良く売れたと想像できます。

この一枚は、市内のガソリンスタンド脇で撮影している。この右のスタンドは、立体交差計画で今は無い。1961_10_3 撮影シリーズ。

女性が道路を横断中だが、今では考えられない交通事情風景だ。



 

模型鉄

O(オー)ゲージの鉄道模型。
EH10形をまねたED10が客車1両を牽引している。
わが家の庭先に「三線のOゲージ」を敷設して撮った。
小学生から中学生にかけては、このような「模型」に興味を持っていた。
家の農業の手伝いをし、こづかいをもらって市内の模型屋さん(たしかイスズ模型)まで、自転車で買いにいっていた。
このころは、「プラモデル」が一斉に発売された頃と一致している。
艦船などは、まだ、プラスチックでなく「木製」であったので、工作には技術が必要でした。
自衛艦の「あさかぜ」など、50センチ級の護衛艦は、上手くできじまいだった。
この写真の鉄道模型、ED10は既製品でしたが、客車は板紙製の自作でした。
1962_10 ごろ撮影の一枚



2023年12月4日月曜日

いつかはクラウン

1961年10月の同じネガケースからのアップ。


今日の一枚は、「Toyopet クラウン」。

1956年版臨時増刊号の自動車雑誌「モーターファン」が手元にあるので諸元等を参考にしました。

この写真と違って、掲載誌の「Toyopet クラウン デラックスRS」では、フロントガラスが2枚分割でなく1枚なのに気づく。

「どこに出してもヒケをとらない国産車として、・・・誇るべき豪華車」とのコメントもあり、「いつかはクラウン」は、このころでも当てはまるようだ。

国産車では、当時でもトップクラスだったと思う。

なお、1960年の全日本モータショーでは、日産セドリックやプリンスニューグロリアなどが、ライバルだった。

★1960年5月撮影の一枚をプラス。

当地のドライブインに停車中の「クラウン」。


限られた人しか乗れないクルマだった。

軽井沢や新潟への分岐点で栄えたドライブインを背景に、「いつかはクラウン」を撮った小学6年生の頃の作品。



 

2023年12月3日日曜日

Toyopet マスター

又また「鉄」とは違う一枚。
1961_10 ごろの撮影は、
市内で撮影した「Toyopetマスター」。
クラウンに対する大衆車として発売され、エンジンなどはクラウンと共通だった。
4ドアで、6人乗り。
1500CC エンジン。
当時のモーター誌によると、製造元は同じトヨタ自動車工業ですが、クラウンの豪華さに比べと、「大衆車」をめざしたようです。


でも、トヨタとしての本当の大衆車は、700CCの「パブリカ」でしたね。



群馬大橋

 1960年5月ごろの一枚は、

自転車で小学校の友達と前橋に行ったときの「群馬大橋」。

左にその友人らしき人物の停車している姿が写っている。


遠景に目をやると、NHKの中継塔(電波塔)がうっすら見える。

現在、この辺にある「群馬ロイヤルホテル」は、元はNHK前橋放送局の跡地に建てられたようで、放送局については微かに記憶に残っています?

この群馬大橋も現在は下り線になり、上り線が平行して増築されています。

自分でも驚きました!

この一枚、63年前の昭和35年の撮影でした。



2023年11月29日水曜日

また、「都電最後の日」の一枚

毎年この日、撮った一枚をアップしています。
「都電最後の日」の銀座でのスナップ。
この一枚で見ると、結構な賑わいであったようです。
1967_12_9 撮影ですから半世紀、56年前。
「こんな時があったのだ」と感慨深い一枚です。
画面右下には、「地下鉄」のサインが写っています。


2023年11月25日土曜日

雪の「八ッ場(ヤンバ)」

寒さが沁みる今日は、2023_11_25。

思い出すのは墨絵のような冬の「八ッ場」。
この一枚は、2010_2_12 撮影の吾妻線の廃線予定地を行く185系「草津号」。
作品的には、雪の舞う日の雰囲気が出ている。
現在この橋梁は、解体されずダム湖に沈んでいる。
それにしても、撮影した年からすでに13年も経ったのですね。
来週末には、師走12月を迎える今日このごろ。




2023年11月22日水曜日

2代目の「てっちゃんカメラ」


鉄道写真に目覚めたのは、小学生の高学年時。
その後、中学生から高校生のころには、
碓氷峠のアプトの廃止をきっかけに、鉄道への関心がさらに高まっていった。
「富士ペット35」に次いで、2代目の「てっちゃんカメラ」になったのが、コレ、
「ペトリ7S」。
2023_11_22 の今日、その「7S」のブツ写真を撮った。
ボディには、カビが生えていましたが、そのまま撮りました。
巻き上げレバーが壊れているほか、底のカバーが外れかかっています。
それでも、かつての姿が蘇っていました。

本来は、キヤノンのカメラを買うはずでしたが、在庫がない?とのことで、ペトリになったのを思いだしました。

2023年11月16日木曜日

日本一短いトンネルを通過

 2023_11_16 の夕方は、曇り空になってきました。

気温も低くなり、初冬の気配。


2014_9_21 撮影のこの一枚。

JR吾妻線の線路付け替え区間の岩島~川原湯温泉駅間の日本一短い「樽沢トンネル」をテーマとして夜間撮影にいどみました。

左から電車がやってきて、そのライトがトンネル内を照らしています。

この数日後の9月末には、ここは「廃線」となりました。

写真では電車の姿は写っていませんが、短いトンネルであることがわかる作品になりました。

この路線が廃止になって、9年経ちました。





2023年11月12日日曜日

柿 豊作

 2023_11_12  の本日は曇り空。

庭の柿が豊作なので、柿もぎに精をだす。

特に脚立からの落下には気を遣いました。


この一枚、2010_10_23 撮影の「八ッ場ダム詣で」?で撮影したもの。

柿がたわわに実っている背景には、吾妻線を走行中の115系を配置。

現在このあたりは、ダム湖の底になっている。

吾妻川にかかるY字の橋脚の橋は、「丸岩大橋」で、

八ッ場ダム工事関連の3本の橋のうちの最初に竣工した橋だ。

2度と撮れない一枚になった。




2023年11月5日日曜日

D51498復活35周年HM

 2023_11_4 「D51復活35周年」のヘッドマークの掲示された列車、「SLレトロぐんま横川」が運転されました。

高崎アリーナのバルコニーから撮影してみました。

横川寄りにはEF65501が、高崎寄りにはD51498が、旧型客車6両を挟んだ列車組成作業も見学しました。

記念のヘッドマークには、高崎特産の「達磨」がデザインされていました。

ちなみに、このD51498が復活したのは、1988年の11月のことで、

私の「鉄」人生と重なっています。


2023年11月1日水曜日

総武本線を行くC57形

1969_9_12 の一枚。

総武本線の飯岡~倉橋間の築堤を行くC57形牽引の普通列車。

たしか、これは銚子行きだと思います。

この路線、すでに無煙化も進んでいて、DE10の姿も見かけました。

9月のこの時期、何のためにここに行ったのか。

それはというと、「鉄研の合宿」の一環としての訪問でした。

その後、この縁もあり、ここ銚子近辺には何回か足を運んでいます。





 

2023年10月27日金曜日

日本一短いトンネル

 2007_11_4 の「八ッ場(やんば)」。

吾妻線の日本一短いトンネル、「樽沢トンネル(7.2m)」を115系普通列車が通過中。

ただし、現在はダム建設に伴う吾妻線の付け替えで、「用途廃止線」になった。

この辺は吾妻渓谷のハイライトで、旧吾妻線は自転車トロッコ「アガッタン」が開設されている。




2023年10月23日月曜日

雪のたより

 猛暑は足早に、雪のたよりの季節へ進んでいる。

谷川岳も冠雪したとの報道も目にしました。


極寒の北海道旭川駅のホームに居たのは、1970年2月9日だった。

入線してくるのはC5547号で、駅の助役さんが迎えているシーン。

健さんの「ぽっぽや」と重なります?

残念ながらピントが甘く写っているが、

「ほんわか」した雰囲気が感じられる一枚になった。

C55形は、C57形との大きな違いは、「スポーク動輪」かな?

そういえば、この年の4月には、社会人になった年でした。




2023年10月20日金曜日

「豊岡新駅」の予定地

JR信越本線の新駅、「豊岡新駅(仮称」の予定地を見に行きました。
市の広報、「広報高崎」で駅の設置が紹介されたので、早めに行こうと思っていましたが、
すでに駅前広場(画面右)の整地が始まっていました。
複線の線路は、この広場より数メートル上段を走っています。
この広報によると、駅のホームは2面2線で長さ125メートルとのことなので、ギリギリ6両が停車できる長さ(211系3両+3両の編成)。
駅の開業予定は令和8年度。

2023_10_20 撮影





2023年10月19日木曜日

急行電車といえば165系


当時、急行形電車と言えば165系だった。
各駅停車の普通列車の運用もあったが、ドア数の点で無理もあった。
この一枚は、高崎線905Mの「奥利根3号 水上行き」。
今、烏川橋梁を渡り終え高崎方面に向かっているシーンだ。
屋根を見るとクーラーはまだ無かった。
貫通扉には、ヘッドマーク差しが付いているが、カラだ。
何気ない一枚も、時の経過で貴重なものになっている。

新町~倉賀野間で撮影。

2023年10月14日土曜日

棕櫚(しゅろ)の葉陰からC6120を撮った

 久しぶりの新鮮な?一枚。


2023_10_14 は、「鉄道記念日」。

当地の駅ホームでは、鉄道の日にちなんだ出発式がおこなわれた。

この日の編成は横川方から、DD51842+旧客6両+C6120でした。

信越線では、松井田以遠に25‰の勾配があるので、ほとんどのSLは高崎方に付いている。

このため、煙や蒸気を盛んに吐く光景はほとんど見られなくなった。

この日のC61も高崎方に付いていましたので、写真の下り列車(「快速レトロぐんま横川」)はぶら下がり状態です。

なお、本来この列車はD51498が登板するはずだったようです。


2023年10月8日日曜日

ロクロクゼロ番台

 2010_11_19 は、感覚的にはちょっと前に思えるが、実際は13年も前。

ロクロク(EF6629(吹))が、当時は吹田から倉賀野までやってきてたのです。

こんな一枚でも、10年を経ると懐かしさ感じるようになりました。

今では、これらロクロクゼロ番台の現役機はすべて退役しています。






2023年10月7日土曜日

交換する115系

また、JR吾妻線の線路付け替え線関連。
旧・川原湯温泉駅で115系普通電車が交換する一枚。
背景の山容が気に入っているが、調べれば山名はわかるかもしれない。
それにしても、「わが撮り鉄人生」のおおきな部分を占めるのは、ここ川原湯温泉駅周辺での撮影だ。2007_11_4 撮影。




2023年10月3日火曜日

水没前の川原湯温泉駅に115系が進入

「紅葉の秋」。
2008_10_29 は、吾妻線の川原湯温泉駅周辺へ。
「八ッ場ダム」の本体工事前の「一枚」を目指したのです。
10月も末、吾妻渓谷へのハイキング客がめだちました。
この一枚は、進入する115系高崎行き普通電車を
ハイキング帰りのお客さんが、ホームで電車を待っています。

このころ以降、「八ッ場参り」?が盛んになりました。
ちなみに、この川原湯温泉駅は、2020年4月の八ッ場ダムの完成で水没しました。

2023年9月28日木曜日

ロクサン本線走行

 EF6311は、碓氷峠鉄道文化むらの動態保存機。

2011_3_10 、あの大震災の前日、横川~高崎まで甲種輸送されたときの一枚。

撮影は高崎市役所。

当日の編成は、高崎方からEF641020+DD51888+EF6311で、けん引機はEF641020。

烏川橋梁を渡っている列車の進行方向は、右。

このような本線走行は13年ぶりだった。


輸送の目的は、車輪の削正とのこと。


2023年9月26日火曜日

C6120

 C6120が孤軍奮闘?

このところ、ぐんま車両センターのC6120ががんばっている。

ほんらいならD51498とのローテーションで運用されるのが、C6120ばかりに回ってきています。


この一枚、2011_4_27 撮影のC6120で試運転中です。

モノクロームなので時代がかっているように見えますが、12年前のものです。

現役時代のC61を知る世代なので、モノクロームのほうがいい味をだしています。

2023年9月17日日曜日

もう一度は撮れない

「ロクヨン」( EF64)の一枚。

2012_5_19 撮影は、「あけぼの」をけん引して上野を目指す、EF64の後追い撮影。

このころは、夜明けも早かった。


画面左のクレーンは、建設中の郵便局集配ビル。

たった?11年前の一枚だが、歴史の流れの速さを知らせている。

もう一度は撮れない一枚だ。




2023年9月14日木曜日

ロクヨン1053

2023_9_14 信越線でC6120の「SL試運転」が行われた。
昨日に続き2日目なので、今回は北高崎駅近くの高架橋へ出かけた。

そこで今日の一枚を選択。
アップするのは、EF641053。
プッシュプル編成の横川方に連結されている電機。
列車は右方向に進んで、高架の坂を登っている。
ボディの塗装を見ると、少しサビが浮いているように見えた。

貴重な2ショット

自宅で蒸機や電機の汽笛が聞こえる環境。
2023_9_13も聞こえた2つの汽笛。
第1声は「ボー」、第2声は「ピー」。
SLのC61 21とELのEF64 1053だった。

この2両がぐんま車両センターから重連を組んで駅南の電留線に向かったのです。
その後、12系客車をサンドイッチして引き出しがおこなわれるのでした。


この一枚は、引き出しの際のE653系とC61との「2ショット」。
E653系は、勝田から出張にでかけてきたものですね。
貴重な2ショットの1枚。


2023年9月12日火曜日

不通区間

災害に遭い、復興されないまま廃止された鉄道がいくつもある。
そんななか、復興を遂げたのが「三陸鉄道」。
2012_9_7 訪問したのは、小本駅。
宮古からの列車は、ココで折り返していた。
写真のトンネル方向は、田野畑だが、このときは不通区間となっていた。
震災から1年半後の一枚。



2023年9月10日日曜日

広報看板

八ッ場(やんば)にダムができる前。
2012_2_3 八ッ場に出かけた。
撮影地は、旧川原湯温泉駅近くの
大きな広報看板を撮った。
湖面1号橋の完成写真と設計図だ。
この橋は後に、「八ッ場大橋」と名付けられ2014年9月末に完成した。
画面左の看板の写真を見ると、建設中のこの長い橋脚のほとんどは、湖内に水没するようです。
あれから11年。
八ッ場の風景は大きく変わっている。


2023年9月9日土曜日

C58363

 2013_7_25、高崎車両センター高崎支所にC58363が来ていました。

秩父鉄道で活躍中のこのC58、時々整備のため、車両センターにやってくるのです。

高崎にはD51の他、C61も現在活躍していますが、

動態として活躍中のC58は、今やこの秩父の363号一輌だけになりました。





2023年9月8日金曜日

北陸本線余呉

    2024年3月開業の北陸新幹線、敦賀延伸の概要が発表されました。
敦賀~米原間などの北陸本線の在来線は、JR西日本が特急を走らせるようです。
1967_8_22 撮影のこの一枚は、北陸本線の余呉駅。
EF70牽引の貨物列車。
交流電化なので、電気機関車は「片パンタ」で、
地元関東では見慣れない鉄道風景。


なお、1967年10月の交通公社の時刻表によると、上野~福井のダイヤは、
601レ急行「白山」では上野を10時に出て、福井には21時08分に着いている。
11時間08分もかかっているのですね。



2023年9月4日月曜日

旧川原湯温泉駅舎

 2014_10_1 の八ッ場(やんば)、

JR吾妻線の旧川原湯温泉駅の駅舎。

ガラス窓は、ベニヤ板か合板で閉鎖されている。


岩島~長野原草津口間は、この年の9月末には新線に切り替わり、

駅舎が本格的に閉鎖され、駅名看板も撤去された。

今、この地はダム湖の底になっているが、

思えば、この時から早9年になる。






2023年9月3日日曜日

今度は211系にスポット?

 2023_9_3は、信越本線の群馬八幡~安中間へ。

上りの「SL ぐんま よこかわ」の撮影前に通過したのが、211系。

最近、この211系の撮影会が企画され、スポットが当てられているようです。

JR東高崎支社の上越線、吾妻線、両毛線そして信越本線は、普通列車の全列車が211系。

かつての115系、107系は過去帳に入りました。




2023年9月1日金曜日

お立ち台

 1965_9  ごろの一枚。

高崎駅東の「日本製粉(ニップン)」の木造工場を背景にキハ17系が通過。

現在この場所は、「高崎アリーナ」や上越北陸新幹線の高架下だ。

「ニップン」のこの工場は、高崎のランドマークで、いわば、高崎の鉄道写真の「お立ち台」でした。





貴重な記録

北陸本線の米原~田村間は、交直接続の区間。
この区間を中継ぎをしたのがD50。1967_8_24撮影。

転車台を使わないで往復したので、半分の列車(貨物と普通列車)はバック運転だった。
特急と急行列車は、交直両用電車になっていた。
僅か一日の撮影だったが、今思うと相当貴重な記録だ。


2023年8月30日水曜日

なつかしの宮津線

 1966_8_22 は、宮津線の宮津~天橋立間での鉄研の夏「合宿」だった。

この路線は、現在では「北近畿タンゴ鉄道 宮津線」。

C58牽引の普通列車を後追い撮影したもので、

構図的には過ぎ去るものへの哀愁を感じる一枚になっている。

この合宿では、山陰の木次線、倉吉線などにも出向いた。

なつかしい57年前の一枚。



2023年8月27日日曜日

宇都宮LRT開業

 2023_8_26は、「芳賀・宇都宮LRT」の開業・発車式を見学するために出かけました。

この日、宇都宮駅に着いたのは、9時30分すぎでした。

駅構内での配布物(パンフレット)によると、「ライトライン」と名付けられたこの路線は、14.6㌔。

宇都宮駅東口から芳賀・高根沢工業団地までを48分で結んでいます。

この路線名は宇都宮市が雷の多いことから、「雷都(ライト)」に由来しているとのことです。

電車の黄色と黒のカラーリングも、この「雷」にちなんだものらしい。

なお、当日の一般乗車は15時すぎでないとできませんでしたので、試乗は後日としました。


▲発車式のため入線するLRT。ホーム周辺は一般立ち入りはできませんでした。

2023年8月5日土曜日

碓氷新線廃止直前

信越本線横川~軽井沢間の碓氷新線が、廃止になる直前の1997_7 のころ。
横川から軽井沢方向に向かったところが、「丸山」。
ココには、丸山変電所跡や列車交換施設もあった。
この一枚は、上りの「あさま」が坂を下ってきたところで、
重連のEF64が前に付いて降坂をサポートしている。
今この一枚を見ると、あのロクサンのブロア音が聞こえてくるようだ。
近くの勾配票では、この辺でもすでに48‰の急坂。





2023年8月2日水曜日

常磐線電化開業直前

1967_9_30 は、まずは広野駅付近へブルートレイン「ゆうづる」を撮影。

この一枚、平野駅の開業を祝う手作りの横断幕。

その後は、平駅や平機関区に戻り、

何本かの最後の蒸機けん引列車を撮影、見届けた。

この電化は、平以北から岩沼までの常磐線であったが、

蒸機終焉の時代、時間の余裕のある大学生時代が幸いして、このほか各地に出かけることができた。



 

2023年8月1日火曜日

水鏡

1968_9_1 高崎第一機関区での「水鏡」。

影はC58のもの。


3輪の動輪が、水たまりに映し出されています(反射しています)。

この構図、あちこちの機関区を訪問した際にも写しているものです。


 

2023年7月30日日曜日

珍しかったD60形(再掲です)

夏真っ盛りのころ、珍しかった蒸機機関車だったD60形を撮りに平まで行きました。
D50形の従輪を2軸にしたもので、この形はここと九州で走っていました。
1967_8_4 当時は、ここ磐越東線で走っていたのですね。
この路線は常磐線の平から東北本線の郡山までをむすんでいたもので、撮影は始発の平駅。
D60形牽引の発車前の旅客列車を、こ線橋の古レール柱越しに撮りました。
注:(再掲です)→これは同じ一枚の写真を再び掲載したものです。でも、新旧の2枚を見比べると添付されるコメント文には違いがあります。時の経過によって、文の内容が違うのが面白いと思いました。


2023年7月27日木曜日

66.7‰の急勾配

 1995_8_19は、碓氷線へ。

長野新幹線の開業によって廃止される新碓氷線を撮影。

下りの189系「あさま」がアーチ橋を行く。


66.7‰の勾配がわかるカット。

ここは、新碓氷線の印象深いお立ち台で

手前の旧碓氷線の「眼鏡橋」の上から撮ったもの。




2023年7月22日土曜日

人出は数人の規模

 2023_7_22 は、久々に信越線の群馬八幡~安中間へ。

今日のアップの一枚は、近郊型の211系横川行き。


数年前には、この路線、115系や107系が走っていたのに、今ではこの211系だけになりました。

今日の私のお目当ては、上りの「SLぐんま よこかわ」でしたが、ここ撮影地での人出は、猛暑のせいか、SL人気のせいか、数人の規模でした。





2023年7月21日金曜日

思い出の「あけぼの」

 この一枚も思い出になってしまった。

2012年8月1日撮影の「あけぼの」。

日の長い時期には、毎朝早起きし「あけぼの」を追った日々だった。

写真奥に建設中なのは、ラスクの工場。

当地の「お土産」の有名ブランドになっている。




2023年7月20日木曜日

高崎駅正面駅舎

1980_8 
高崎駅正面。

当時東口方面では、上越新幹線の工事が盛んにおこなわれていた。
上越新幹線の開業に向けて、駅舎も改築されることになったので、
取り壊される前の記録を撮るために、駅舎のアップなど撮影した。
現在の駅の西口に当たる場所だ。
新駅舎の建設後には、ペデストリアンデッキも出来ている。
43年前のものであるが、歴史を語る一枚になった。

国鉄の駅では1番線側が「本屋」、つまり駅舎があるので
西口が高崎駅の正面だ。


2023年7月19日水曜日

群馬藤岡で夏の重連を

 


1969_8_4 は八高線の北藤岡(小野信号所かも)~群馬藤岡間へC58 +D51の上り重連貨物列車を撮影。

夏でも、煙はよく出ているようです。

当時、連写機能付きの35ミリカメラ、リコーを使いました。

手巻きのスプリングが付いていて、一般のカメラより連写はたやすく、

このロングカットから、後追いまで10コマぐらい撮っただろうか?



2023年7月18日火曜日

夏の思い出「そよかぜ」号

 夏が来ると思い出すのが、軽井沢駅での157系「そよかぜ」号。

1968_8 の撮影。(写真は再掲)

避暑地軽井沢にやってきたのが、この臨時特急。

もとは、準急「日光」号として誕生したものだが、夏のシーズンにはここ軽井沢や中軽井沢まで東京からやってきた。

時には、当時の皇太子さまたちもこの「そよかぜ」でこられた。


正面真ん中の「そよかぜ」ヘッドマークをアップしてみました。