2022年10月26日水曜日

485系改「やまどり」

 


485系の改造車「やまどり」と「華」の引退が報じられました。

共同通信の記事のようで、地元紙にも紹介されました。

電車の引退が一般紙で紹介されたのですね。

2編成とも新前橋の高崎車両センター所属なので、

何回かの撮影機会はありましたが、定期運用でないので、スジ調べが必要でした。

この「やまどり」の一枚は、2021_11_14撮影の臨時「モグラ」と「ループ」の運用時でした。(高崎操車場脇の高崎線で撮影。)

「華」ほうの撮影機会は、「やまどり」より少なく、数カットしか撮っていないようです。

最近「草津」「あかぎ」などで運用されている651系の白いボディーに塗装が浮いているのを見かけました。次の引退は、この651系でしょうか?



2022年10月21日金曜日

ピカピカの181系「あさま」

あさま山麓を行く181系「あさま」号。
浅間山を背景に181系の新車を撮ろうと中軽井沢へ出かけたのは、1966_10_1のことだった。
屋根の銀色のクーラーカバーが真新しくまぶしい?
稲も刈り取りを控え、実っているようです。
真ん中には、田んぼの見回りの女性の姿も見えている。

撮影機材は、オリンパスペンなので、「ハーフサイズ」。

2022年10月16日日曜日

「鉄道開業150th」のヘッドマーク付きD51

2022_10_16 は、鉄道開業150年を記念した「SL/DLぐんま よこかわ」が運転されました。


SLはD51498、DLはDD51895が牽引しました。

この一枚は、D51498が高崎到着後、客車を電留線に収納するときのものです。

ヘッドマークは、レンガアーチの橋梁を渡る一号機関車と客車、

周りを線路が囲み、「鉄道開業150th」の文字が描かれていました。

この10月は、テレビでも「鉄道関係」の番組がいくつか放映されていましたが、浅い内容が多かったように思えました。

 

2022年10月15日土曜日

旧型客車スハフ42

 


2022_10_15 は、「高崎鉄道わくわくフェア」の、旧型客車スハフ42 2234の撮影に行きました。

ブルーに塗られた車体になぜか新鮮な印象を感じました。

車内に入ると瓶の「栓抜き」やレトロな座席、扇風機に時代の変化を見ることができました。


有料撮影の対象の一つらしいEF64は、会場から離れたところに置かれていました。

コロナ禍も関連しているのでしょうが、「有料撮影」は一つのトレンドになっていますね。






2022年10月6日木曜日

EF552

EF552の「ナンバープレートと銘板」。
1963_7 ごろの一枚。
この電機は、東海道線や高崎線で活動したあと、
長らく高崎第二機関区で休車状態だった。
1号機は現在、鉄道博物館で保存されていますが、
この2号機は解体されたはずです。
写真の「ナンバープレート」や「東洋電機」・「日本車両」の銘板はどうなっているのでしょうか?





2022年10月5日水曜日

軽3輪「マツダK360」

「あのころの車」。

1961_10_3 カメラを持って市街地へ出かけました。

目的は、クルマの撮影。

今見ると、とても懐かしく思えます。

こんなクルマが走っていたのですね。

「軽3輪」のマツダK360。


背景は、当時の「富士銀行」だろうか?

クルマの通行も少なめだ。

マツダの「R360クーペ」も思い出しました。


 

80系が走っていた

  80系湘南形電車が、高崎線を走っていた。
1962_5_10の撮影だが、写真的にはボツの一枚(真ん中右の小屋が邪魔)。
昭和37年当時はこの80系が主力で、客車列車も何本かはあったが、
どちらも満足するレベルの一枚は無い。





2022年10月3日月曜日

解体前のED4215号機

 碓氷峠でアプトの仕業についていたED42が、用途廃止になったのは1963_9_30 だった。

その後、廃車解体になる前に一時留め置かれた姿がこの一枚▼


横川からの回送のため、すでにロッドは外されている。

場所は高崎第二機関区東の廃線跡。

撮影は、あれから59年。