2023年7月30日日曜日

珍しかったD60形(再掲です)

夏真っ盛りのころ、珍しかった蒸機機関車だったD60形を撮りに平まで行きました。
D50形の従輪を2軸にしたもので、この形はここと九州で走っていました。
1967_8_4 当時は、ここ磐越東線で走っていたのですね。
この路線は常磐線の平から東北本線の郡山までをむすんでいたもので、撮影は始発の平駅。
D60形牽引の発車前の旅客列車を、こ線橋の古レール柱越しに撮りました。
注:(再掲です)→これは同じ一枚の写真を再び掲載したものです。でも、新旧の2枚を見比べると添付されるコメント文には違いがあります。時の経過によって、文の内容が違うのが面白いと思いました。


2023年7月27日木曜日

66.7‰の急勾配

 1995_8_19は、碓氷線へ。

長野新幹線の開業によって廃止される新碓氷線を撮影。

下りの189系「あさま」がアーチ橋を行く。


66.7‰の勾配がわかるカット。

ここは、新碓氷線の印象深いお立ち台で

手前の旧碓氷線の「眼鏡橋」の上から撮ったもの。




2023年7月22日土曜日

人出は数人の規模

 2023_7_22 は、久々に信越線の群馬八幡~安中間へ。

今日のアップの一枚は、近郊型の211系横川行き。


数年前には、この路線、115系や107系が走っていたのに、今ではこの211系だけになりました。

今日の私のお目当ては、上りの「SLぐんま よこかわ」でしたが、ここ撮影地での人出は、猛暑のせいか、SL人気のせいか、数人の規模でした。





2023年7月21日金曜日

思い出の「あけぼの」

 この一枚も思い出になってしまった。

2012年8月1日撮影の「あけぼの」。

日の長い時期には、毎朝早起きし「あけぼの」を追った日々だった。

写真奥に建設中なのは、ラスクの工場。

当地の「お土産」の有名ブランドになっている。




2023年7月20日木曜日

高崎駅正面駅舎

1980_8 
高崎駅正面。

当時東口方面では、上越新幹線の工事が盛んにおこなわれていた。
上越新幹線の開業に向けて、駅舎も改築されることになったので、
取り壊される前の記録を撮るために、駅舎のアップなど撮影した。
現在の駅の西口に当たる場所だ。
新駅舎の建設後には、ペデストリアンデッキも出来ている。
43年前のものであるが、歴史を語る一枚になった。

国鉄の駅では1番線側が「本屋」、つまり駅舎があるので
西口が高崎駅の正面だ。


2023年7月19日水曜日

群馬藤岡で夏の重連を

 


1969_8_4 は八高線の北藤岡(小野信号所かも)~群馬藤岡間へC58 +D51の上り重連貨物列車を撮影。

夏でも、煙はよく出ているようです。

当時、連写機能付きの35ミリカメラ、リコーを使いました。

手巻きのスプリングが付いていて、一般のカメラより連写はたやすく、

このロングカットから、後追いまで10コマぐらい撮っただろうか?



2023年7月18日火曜日

夏の思い出「そよかぜ」号

 夏が来ると思い出すのが、軽井沢駅での157系「そよかぜ」号。

1968_8 の撮影。(写真は再掲)

避暑地軽井沢にやってきたのが、この臨時特急。

もとは、準急「日光」号として誕生したものだが、夏のシーズンにはここ軽井沢や中軽井沢まで東京からやってきた。

時には、当時の皇太子さまたちもこの「そよかぜ」でこられた。


正面真ん中の「そよかぜ」ヘッドマークをアップしてみました。


2023年7月17日月曜日

お気に入りの厨川~長根間

 半世紀前の東北本線厨川~長根間。

下りのD51重連の貨物列車。

ここは築堤になっているので、何回か訪問している。

カメラを右に振れば、岩手山が望める。

お気に入りのお立ち台だ。

1967_7_16撮影。



木次線木次駅にて

山陰の木次(きすき)線、木次駅での一枚は、停車中の単行DCキハ20系。
ローカル線の単行は、珍しくないが・・・。
1966_8_23 撮影なので、57年前。

ちなみに、木次線は山陰本線の宍道と中国山地の備後落合を結んでいるローカル線。




2023年7月16日日曜日

羽田線「東京モノレール」

 1965_8_23 は東京へ。

撮影地は、浜松町~田町付近だろうか?

このモノレールは、1964_9_17 に開業したもので羽田(空港)行きだ。

撮影日は開業からまだ11か月目なので、このモノレールの型番は100形かな。

JR線の羽田乗り入れ計画で、このモノレール線はどんな役割を担うことになるのでしょうか。




2023年7月13日木曜日

C61とは久々の出会い

2023_7_13、 自宅に居てSLの汽笛が聞こえたので出かけました。

「SLぐんま みなかみ」の試運転でしょうか。


牽引機はC6120で、12系5両の最後尾はEF641053でした。

編成はプッシュプルで、いずれも「ぐんま車両センター」の所属機で、高崎方の最後尾のロクヨンは、C61のトラブル対応だと思われます。

C61とは、ひさびさの出会いでした。





2023年7月12日水曜日

国鉄高崎操車場界隈

 1966_7 ごろの一枚は、165系で軽井沢からの上りの臨時急行「碓氷」号で、大きなヘッドマークが特徴でした。

撮影地は、高崎操車場西の高崎寄りの上り線付近。

現在は、高崎線を跨ぐこ線橋が設置されていますが、このころは遮断機を手動で操作する「踏切警手」が常住していました。

この踏切小屋には、何度となく訪問したことを思い出します。

画面には写っていませんが、下り線にも踏み切り警手がいたのです。

でも、下り線だけの踏切だったので、比較的早く「自動化」されていました。

なお画面には、2つのトンネルが見えますが、右のトンネルは後の高崎操車場の改良工事で、現在は閉鎖されています。




2023年7月11日火曜日

キハ55系

キハ55系気動車を
高崎第一機関区で撮影したのは、1962_8 ごろ。
このときのネガには、キハ17系も写っている。
61年前の一枚なので、14歳のころから「鉄道」に惹かれていったのですね。
終活中の今日この頃、鉄道趣味誌の「鉄道ファン」創刊号などはどう取り扱った(処分した)らいいのかな?


2023年7月9日日曜日

碓氷旧線と新線の併用時代(再掲)

このブログに投稿しているテーマで多いのは、横川~軽井沢間の碓氷線。
1963_7_21 に訪問した際の一枚だ。
昭和38年の7月に碓氷新線が部分開業し、この年の9月末までは、碓氷旧線のアプト式と併用されていたのです。
そのため、併用時代のこの一枚は「貴重な一枚」と言えます。

ED42は軽井沢方に1両、横川方に3両の合計4両で峠を上り降りしていました。
今では、この碓氷旧線、碓氷新線ともに廃線となっています。

2023年7月5日水曜日

草をかき分けて

JR東の「大人の休日俱楽部パス」で旅をしてきました。
1日目は、八幡平の藤七温泉への入浴の旅。
さすが標高の高いとこなので、外気温は低く、裸での各風呂の移動には寒さが答えました。
でも、お湯に浸かれば、ホカホカ。
2日目は、山形市内巡り。
山形城址を中心としました。
3日目は、石巻。
萬画(マンガ)と川の町、石巻を10キロほどハイキング。
そして4日目は、只見線の乗り鉄。会津若松から小出までの4時間を超える「長旅」でした。
この一枚は、途中会津横田付近の線路。
不通期間中に生えた草をかき分けて?進んでいる、キハ110の最後尾から見た線路です。