1967_4_1 は、常磐線の平へ。
目的は「C62」の撮影。
朝の上りの「ゆうづる」を牽引してきたC62も、ヘッドマークを付けたまま休んでいました。
このC62は「39号機」で、急行「十和田」などを牽引していたようです。
この後も、何回かここ平周辺に行っています。
目当ては、早朝の上りの「ゆうづる」ですが、高速シャッターが切れない難しさがありました。
はじめてカメラを手にしたのは、父親から買ってもらった富士フィルムの「ペット35」。小学6年生だった。その1960年代のはじめから撮り貯めた、とっておきの思い出鉄道写真と、今もバリバリ撮り続けている鉄道写真をエピソードと共に紹介します。
1967_4_1 は、常磐線の平へ。
目的は「C62」の撮影。
朝の上りの「ゆうづる」を牽引してきたC62も、ヘッドマークを付けたまま休んでいました。
このC62は「39号機」で、急行「十和田」などを牽引していたようです。
目当ては、早朝の上りの「ゆうづる」ですが、高速シャッターが切れない難しさがありました。
この年1964年秋、東海道新幹線の東京~新大阪間が開通した。
この一枚は、1964年4月1日東海道線の鴨宮での撮影。
行き当たりばったりの撮影で、構図もなにもない一枚。
列車は東海道を東京へ上る、EF60形500番台が牽引する寝台特急「さくら」。
当時は予約なくても、試験車両の撮影ができました。
ここには、A編成とB編成の2編成があり、広軌の大きな車体に圧倒されました。
また、この基地には車両故障の際のけん引車も配備されていました。
なお、この年の春休みには千葉、仙台、平などにも行っています。
1963_5_26 の撮影。
信越本線の軽井沢駅で憩う、D51形296号機だ。
この機関車の区名札は、「直」なので直江津機関区だろう。
蒸機ダメの後ろには、重油タンクが載っている。
*
何しに軽井沢に行ったのか?
撮った写真を見ると、アプト式のED42が狙いだったらしい。
ただ、撮ったコマ数はわずかなのが残念。
1967_4_30 の撮影。
高崎操車場のハンプ(坂阜)を押し上げるD51形。
画面左方向にハンプがありました。
手前は、高崎線の上り線です。
毎日、こんな風景を見て育ちました。
手前の木々は、新緑をまとっています。
1964_4_5 撮影のC62形39号機。
上野からけん引してきたEF80に代わり、
ここ平以遠の未電化区間のけん引を引きつぐため、C62は操車掛の手旗で後退しています。
このあと、客車との連結が済むと仙台に向けて発車していきました。
(第一次)東京オリンピック開催の年、平までの日帰りの撮り鉄でした。
1963_3_12 ごろの一枚。
「試運転」表示の列車が運よく撮影できたのは不思議です。
画面をよく見ると、高崎線の上りで「1952M」の表示があります。
撮影場所は高崎操車場西で、現在は陸橋になっていますが、当時は「踏切」でした。
しかも、「踏切警手」が24時間常勤していたのです。
編成番号は「K57」と判読できるので、「勝田電車区」配置車でしょうか?