2023年4月21日金曜日

平機関区のC6239

 1967_4_1 は、常磐線の平へ。

目的は「C62」の撮影。

朝の上りの「ゆうづる」を牽引してきたC62も、ヘッドマークを付けたまま休んでいました。

このC62は「39号機」で、急行「十和田」などを牽引していたようです。


この後も、何回かここ平周辺に行っています。

目当ては、早朝の上りの「ゆうづる」ですが、高速シャッターが切れない難しさがありました。




2023年4月19日水曜日

連休は横川へ

1966_5_5 は、信越本線の横川へ。そして軽井沢へ。

この一枚は、横川機関区のEF63形14号機の「重連」。

仕業の合間の休憩だろう、パンタが降りて一休み中だ。


初期のロクサンは茶色だったが、このころはブルーとアイボリーの国鉄色になっていた。

何度この横川に通っただろうか?

10回や20回ではきかない。

おそらく30回40回ぐらいは、通い詰めているはず。

横川駅並びに碓氷地域は、「わが撮り鉄人生」の中の、白眉 かもしれない。

2023年4月17日月曜日

試験線脇の「さくら」

この年1964年秋、東海道新幹線の東京~新大阪間が開通した。

この一枚は、1964年4月1日東海道線の鴨宮での撮影。

行き当たりばったりの撮影で、構図もなにもない一枚。

列車は東海道を東京へ上る、EF60形500番台が牽引する寝台特急「さくら」。


何しにここ鴨宮に行ったかっていうと、新幹線の走行試験の撮影でした。

当時は予約なくても、試験車両の撮影ができました。

ここには、A編成とB編成の2編成があり、広軌の大きな車体に圧倒されました。

また、この基地には車両故障の際のけん引車も配備されていました。

なお、この年の春休みには千葉、仙台、平などにも行っています。



 

2023年4月15日土曜日

上野駅地平ホーム

上野駅地平ホームで「推進運転」待ちをするEF80。
常磐線用のEF80が到着したあと、尾久への回送前の一コマ。
機関車の前面には、「後部標識」が見える。

1963_8_2 撮影。
右側には、鉄道小荷物を移動させるための台車が写っている。
「ああ上野駅」の歌が聞こえてくるような地平ホーム。


2023年4月13日木曜日

軽井沢でD51を撮ったけど

 1963_5_26 の撮影。

信越本線の軽井沢駅で憩う、D51形296号機だ。


当時の信越本線は電化しておらず、軽井沢以遠が非電化区間だった。

この機関車の区名札は、「直」なので直江津機関区だろう。

蒸機ダメの後ろには、重油タンクが載っている。

何しに軽井沢に行ったのか?

撮った写真を見ると、アプト式のED42が狙いだったらしい。

ただ、撮ったコマ数はわずかなのが残念。


スイッチバックの姥捨(うばすて)駅

善光寺平を背景にして、篠ノ井線姥捨駅を発車するDD51の旅客列車。
ここは、大畑、狩勝と並んで「三大車窓」のうちの一つで、現在の「四季島のツア―」もここで「お茶」にするようです。
この駅の列車は、勾配を克服するために、スイッチバックを行ってホームに到着しています(急行は通過)。1967_4_15 撮影ですが、この当時はD51牽引の貨物列車もありました。



2023年4月10日月曜日

新緑の中、ハンプを押し上げるD51

 1967_4_30 の撮影。

高崎操車場のハンプ(坂阜)を押し上げるD51形。

画面左方向にハンプがありました。

手前は、高崎線の上り線です。

毎日、こんな風景を見て育ちました。

手前の木々は、新緑をまとっています。


この一枚を見ると、まるで「夢の中の情景」のようです。


2023年4月9日日曜日

春休み、平で「撮り鉄」

 1964_4_5 撮影のC62形39号機。


上野からけん引してきたEF80に代わり、

ここ平以遠の未電化区間のけん引を引きつぐため、C62は操車掛の手旗で後退しています。

このあと、客車との連結が済むと仙台に向けて発車していきました。

(第一次)東京オリンピック開催の年、平までの日帰りの撮り鉄でした。


2023年4月5日水曜日

上京の楽しみ(再掲)

東京へ行くときの沿線車窓の楽しみの一つは「国鉄大宮工場」。
上野行きの上り電車では、右側に見えました。
D50形の隣には、EF58の姿も写っています。
D50は、廃車待ちでしょう?

「大宮操車場」の96(キュウロク)やD51も元気でした。
電車はこのあと、「蕨」の日本車両わきを通過します。
当時製造中の「0系新幹線」の姿も見えました。
上野駅近くの「尾久」付近では、田端機関区に出入りするEF57やEF58、尾久客車区の客車群も楽しみでした。

2023年4月2日日曜日

高崎線を走った451系試運転列車

 1963_3_12 ごろの一枚。


常磐線用の交直流急行電車、451系4連が高崎線を走りました。

「試運転」表示の列車が運よく撮影できたのは不思議です。

画面をよく見ると、高崎線の上りで「1952M」の表示があります。

撮影場所は高崎操車場西で、現在は陸橋になっていますが、当時は「踏切」でした。

しかも、「踏切警手」が24時間常勤していたのです。

編成番号は「K57」と判読できるので、「勝田電車区」配置車でしょうか?