GV-E197系の導入によって、
高崎車両センター高崎支所の2両のDD51の去就が気になります。
その一つ842号機は、かつてお召列車をけん引したことから、「お召」仕様を今に伝えているし、もう一台の僚機895号機もきれいに整備されている。
2021_1_31 撮影。
はじめてカメラを手にしたのは、父親から買ってもらった富士フィルムの「ペット35」。小学6年生だった。その1960年代のはじめから撮り貯めた、とっておきの思い出鉄道写真と、今もバリバリ撮り続けている鉄道写真をエピソードと共に紹介します。
GV-E197系の導入によって、
高崎車両センター高崎支所の2両のDD51の去就が気になります。
その一つ842号機は、かつてお召列車をけん引したことから、「お召」仕様を今に伝えているし、もう一台の僚機895号機もきれいに整備されている。
2021_1_31 撮影。
GV-E197系が高崎に着いたというSNS情報を得て、高崎駅南の電留線に行ってみました。
「居ました!」
が、ちょっと遠くでしたので、200ミリ望遠では力不足でした。
SNSによると、昨日(1/29)に雪の新潟から自力でやってきたそうです。
これからは、
「小野上工臨」もDD51のPPに代わる戦力として期待されますね。
2021_1_30撮影
巣ごもり中なので、ネガをスキャンしてデジタル化の作業をしています。
相当な(結構な)数のデジタル化は済んでいるのですが、まだまだフィルムはたくさんあります。
この一枚は、1996_4_27撮影の高崎操車場跡地の様子です。
区画整理事業として行っていますが、撮影時点から25年も経ちました。
「駅」ができる案もありますが、それでもラスクの工場や計算の会社、ベルトの会社、ホームセンター、少年野球場などができたり、住宅・アパートなども見かけます。
写真左の線路は、高崎線の下り線です。遠くの四角い建物は、高崎操車場の施設です。
足尾線も思い入れのある路線だった。
1969_1_22に水沼~花輪間で撮影。
C12の場合、重連も1~2本あったが、荷の量によって1両の場合もあった。
1月22日の撮影で、当地では雪はほとんど降らないので、この日もバイクでの追っかけ。
舗装もろくにしてない120号線は、バイクにとって走りずらかったが、この日、大間々あたりから、沢入(そうり)あたりまで行っている。
2021_1_21 の一枚。
朝、夜明け前の高操わき。
指や耳が凍るほどの寒さの朝。
大きな太陽が昇り始めました。
7時過ぎ、やってきました。
EF65501+C58363+オヤ121の3両編成です。
新型回送電車のE493系の発表もあり、今日のような回送は新型に代わるのでしょう。
1968_3 ごろの一枚。
高崎操車場のハンプをめざして貨車を押し上げる9600です。
ちょうどこの画面の左方向には、(開かずの)踏切がありました。
入れ替えを行っていたカマは、この9600のほか、D50、D51が担っていました。
この一枚、実は半分下は透明ガラスをレンズ前にかざして撮ったもので、
そのため、画面の下は水鏡のように見えます。
画面中央奥には、消防団の火の見櫓が見えます。
足尾線の一枚。1969_1_16撮影。
撮影場所は桐生機関区で、バイク(ホンダベンリイCS90)で出かけて行った。
このあと、このC1247はC50と重連となって
足尾をめざしている(C50とは大間々までの重連)。
このころ、森繫久彌・三木のり平の映画、「各駅停車」のロケがここ足尾線で行われている。
1967_4_1 は、常磐線の四ツ倉へ。
この年の秋には平(たいら)以北の常磐線が電化になり、
C61やC62などの蒸機が消えていくので、最後の活躍を見届けるためでした。
特に上りのC62けん引の「ゆうづる」は、
早朝通過するので、上野からは夜行で出かけました。
この一枚は、四ツ倉で撮ったC62けん引の下り列車です。
画面の上には太平洋、線路端にはファンの姿も写っています。
以前アップした続きのコマです。
1967_2_28の碓氷新線。
ともに、EF63重連が横川方についている。
撮影場所は、下り線の第一トンネルの上。
この碓氷新線は、1963年7月に暫定開通したあと、10月に本格開通した。
その後、旧線を改修し複線となっている。
この一枚は、複線化された全盛期の碓氷新線の俯瞰だ。
1969_1_10 高崎第一機関区で撮影したものです。
ネガを見ると、このころは、このような「アップ」気味の写真がめだちます。
中には整備をしている職員さんの姿が写っているコマもありました。
その後このカマは、高崎鉄道管理局前や上越高原駅で展示され、現在は上越線水上の「転車台広場」で展示中とのことです。
60年前を再現するために、2021_1_2 は、北高崎へ。
いつものお立ち台で、「DLぐんま よこかわ」を狙った。
昨日紹介したが、「よこかわのまちに汽笛は鳴り止まない」とのコピーのヘッドマークが、SL/DLともに掲示されていました。
この一枚は、モノクロームに変換したので、昭和30年代か40年代風のものに見えませんか。
60年前は、こんな光景が、日常だったのですね。
でも客車の窓が開放されているので、「夏」の撮影かとおもわれますが、「冬」の撮影!2021_1_1 の撮り初めは・・・。
EH500の並びです。
年末年始の高崎機関区には、「仙貨」所属のEH500が疎開するのですが、今年は機番、77,55,1という番号がそろいました。
この一枚には、3両が写っていますが、真ん中のEHのうしろにも1両並んで全部で4両いるのです。
★
高崎車両センター高崎支所のDD51には、895と842の2両が在籍していますが、なんと、842には「ヘッドマーク」が付いていました。その文面は、「信越本線開業135周年 DLぐんま よこかわ」「よこかわのまちに汽笛は鳴りやまない」。
泣かせる文面ですね。
明日2021_1_2 の「SLぐんま よこかわ」の横川折り返しとして走るのでしょう。