2011年2月28日月曜日

50年前からの給水塔と[高一]のD51


今日2011_2_28 小学校の地域パトロールに出動。
高崎機関区(当時は高崎第二機関区)周辺を回ったところ。
その結果・・・
この写真の左に見える「給水塔」らしきものが、いまだにそびえていました。
この写真は1962_12 の撮影なので、50年も前からこの塔はあったのだ・・・。
近代化遺産といえるかもしれません。
写真の蒸機は高崎第一機関区所属のD51。写真が不鮮明なので機番は判読できないが、3桁の番号のようだ。
中学2年生のときのなにげない、一枚の写真です。

旧碓氷線、キハ57系上り横川到着


碓氷線のインストラクター養成講座の実地研修で、2011_2_27に峠の湯からメガネ橋まで徒歩で往復してきました。
天気は良かったのですが、朝からめまいがしていて、集中できませんでしたが・・・。
この写真は1963_9 の撮影なので、48年も前の横川駅でのもので、キハ57系DC急行のとがくしか、志賀が横川駅に到着するところ。
既にこの年の7月には新線が開通していたので、63の姿も横川機関区構内で見かけることができました。
また、まだ旧線も使用していたので機動力があれば、もっとたくさんの写真がとれたはずです。
高校1年生、15才の鉄道少年のころです。

2011年2月26日土曜日

上信沿線の梅が満開です


上信沿線に「梅」の花を探しに行きました。
ありましたよ。
根小屋-高崎商科大学前に・・・。
通過しているのは、999(スリーナイン)号。
午後の太陽の光をうけて、ブルーの車体が映えます。
2011_2_26 近くに犬がいて、ワンワンほえられました。

八幡様の鳥居越しに・・・


上信電鉄沿線に行きました。
山名駅に進入するクモハ150。
この神社は、山名の八幡様。
上信の線路の下が参道で、トンネルになっています。
2011_2_26 

姥捨のキハ58の急行


キハ58の急行が長野に向かいます。
1967_4_15 姥捨駅付近で撮影。
何年も前の写真だが、このキハ58はついでで撮っていた。
本命はD51・・・、善光寺平を背景にした。
でも、今となっては貴重な一枚。
写真の価値は、後になると出てくるんだね。
もう一度行きたい撮影地だ。
いまでも、各停はスイッチバックをやっているらしいし・・・。

2011年2月25日金曜日

「さくら」のEF65527号機、機回し中


東京駅まででかけ、駅撮りをした。
おめあては、ブルートレイン。
この時代、「さくら」の列車番号は1レ、2レだったようだ。
栄光の列車番号だった。
この一枚は、1967_3_5 2レが到着し、東京駅でEF65-527号機が機回し中だ。
この3月、九州新幹線にあたらしい「さくら」がデビューする。

裏妙義をバックにしたEF63-2号機


碓氷線をガイドするボランティアの養成講座を受けている。
碓氷線の歴史・人物・構造物の講義が3回あり終了、次回は現地研修で、碓氷第3橋りょう(メガネ橋)を見学する予定。その次の回は、丸山変電所の見学となっている。
今日の一枚は、1969_5 横川で撮影のEF63-2号機。
バックには、裏妙義の山塊が・・・。
パンタがあがっていれば、申し分ない一枚になったはずだが。

2011年2月24日木曜日

時代を感じる茶ガマEF62-9号機など


高崎第二機関区(高崎機関区)と高崎操車場の間の沿線に住んでいる。
この写真の右奥だ。
この写真は高崎第二機関区から高崎駅への機走線の2両のEF62。
左は9号機だが、右のは判読できない。
片パンタなので、回送中。
もちろん茶ガマなので、時代を感じる一枚だ。
1964_3 撮影

広島更新色の64重連



広島更新色の2085レ、EF64重連。
機番は1049+1046らしい。
この橋りょう、直線でなく、南ツメからは左カーブになっている。
そのため、トラスを見渡すとカーブしているのがわかる。
2011_2_24 いつもの烏川橋りょう

代走EF81と夕陽のコラボがようやく実現


ようやくネライどおりの一枚が撮れた。
しかも安中貨物はEF510でなく、代走の81の81号機。
とても、暖かで撮影環境は抜群の午後。
他人を気遣うことなく、こんな広い川原でただ一人撮影できるなんて・・・。
自由自在のアングルが取れた。
2011_2_24 新町-倉賀野

暖かな午後の日差しの中の211系


今日の一鉄は、烏川橋りょうの西側からの撮影。
今までは、シルエット中心で逆光でしたが、順光での撮影です。
暖かな午後の日差しが感じられる一枚になった。
2011_2_24 新町-倉賀野

EF15の次位には暖房車が連結されている


古い写真は、なるべく今の季節にあったものをアップしている。
1966_3 撮影のEF15のひく貨物列車。
現在の高崎車両センター高崎支所付近を通過。
右の建物は沖電気。
次位に暖房車ヌが付いている。
雪掻きの中に雪らしきものが見えている。
あれよあれよと言う間に、EF15も消えていった。
なおこの場所は、高崎の歯科医タベイさんが良くここで撮っていたお立ち台。

2011年2月23日水曜日

EF65をアップで


たまにはアップ気味の写真を・・・。
午後3時30分からの「おいしいダイヤ」の一発目が、この65のひく3091レ。
運転士の姿もうかがえる一枚。
こんな列車を運転できるなんて、すごい職業ですね。
2011_2_23 いつもの烏川橋りょう

クライストチャーチの大聖堂前のトラム


NZ大地震がおきた。
去年の11月に訪問したクライストチャーチで・・・。
大聖堂前からトラムに乗車し、何回も乗り降り。
この日は雨。
大聖堂にも入場し、ステンドグラスやキリストなどを見学した。
あの大聖堂が崩れ落ちてしまったなんて・・・。
2010_11_5 大聖堂前のトラムストップで撮影

今日の安中貨物は133号機


集中すると毎日同じ場所で一鉄してしまう。
EF81が安中貨物をけん引してやってきました。
133号です。
運用表によると明日は81号機の予定。
この構図で何回撮ったことか・・・。
でも、今日の太陽の位置はいまひとつ不満。
数日後の晴れた日にリベンジだ。
2011_2_23 いつもの烏川橋りょう

110系の背景は海?


また、出かけました。
烏川橋りょう。
上下線の橋りょうが並んでいる場所。
撮るのは下り線だけ。
上り線はトラスの形状が複雑で、列車の顔が見えにくいし、電線もじゃまだ。
この写真の背景は、橋りょうとの組み合わせから、海の上の太陽のように見える。
たて構図なのに、広々感があります?か・・・。
2011_2_23 いつもの烏川橋りょうで撮影

2011年2月22日火曜日

高操を通過するキハ58系草津号?


国鉄色キハ58・28が定期列車から離れるそうですね。
こんな国鉄色も見られなくなってきます。
この写真は、地元「高操」で撮ったキハ58・28などの5連準急。
当時、草津号、草津いでゆ号がDC準急として高操を通過していたが、どちらかは不明だ。
ほかに信越DC急行としてキハ57系の志賀、丸池、とがくしなどがあった・・・が。
1963_3 高崎操車場西を通過する下りDC準急

高崎駅に停車する181系第一とき


3月はダイヤ改正の月。
この写真、1968_3_25 のダイヤ改正の日に高崎駅で撮影。
第一とき2001Mで、当時の時刻表で見ると、全車指定席で、停車駅は上野、大宮、高崎、越後湯沢、長岡、新潟の6駅だけ。上野を8時05分発、新潟には12時35分着で、4時間30分かかっていた。
この写真の右には、これから乗務するらしい運転士の姿が見えるが、越後湯沢までの乗務だろうか。
なお、クハ181のボンネットの赤帯の幅が広いのが珍しい。
そう、背景の高崎駅の本屋(駅舎)がなつかしい・・・。

夢の中を走る64が「牛乳パック」みたいに・・・


構図はいつもと同じ・・になっちゃう。
そこで、「夢の中で64が走っている感じ」をねらった。
太陽に向かう逆光なので、マニュアル露出でハイキーになるように撮影。
なんか、
ごうごうと豪快に橋りょうを渡る64重連が、おいしい「牛乳パック」になった。
2011_2_22 いつもの烏川橋りょう

安中貨物 22日は513号機



再び烏川橋りょうへ。
上の写真は、太陽の位置が一両目と被っていい感じだ。
そう、昨日の安中貨物は81号機、今日はEF510の513号機らしい。
下の写真は、川原のススキを前景に、広角レンズで安中貨物を一鉄。
両方とも、ススキの穂が逆光を受けて印象的。
2台同時撮影のうちの60Dで撮った二枚です。
2011_2_22 新町-倉賀野間で撮影。

2011年2月21日月曜日

157系「そよかぜ」とロクサン


今日21日、EF63が甲種回送された。
2年ほど前に横川で運転教習を受けたのを思い出した。
たしか3万円払って、講義を受け、マスコンを触って数分運転したが、それ以後、行ってない・・・。
この写真、1968_8_30日の軽井沢駅での撮影。
157系そよかぜにロクサン(EF63)を連結するところだろうか。
ただ、掛の姿が見えないが?
その後、157系はとんと見かけないが、いつの間に消えたのだろうか。

倶知安で補機D51+C62のニセコ号


函館本線倶知安駅といえば、C62重連ニセコ号。
といきたいところだが、実はD51+C62の重連のニセコ号。
補機にD51が使われた珍しい例だ。
数分の停車時間なので、撮影も大変。
このカットでは補機がD51だとわからないかも・・・。
D51は916号機、C62は2号機だった。
バルブで静止画を撮るが、発車シーンはバルブとはいかない。
ASA1600ぐらいには増感が必要だ。
厳寒の北海道の2月だった。
1970_2_11 倶知安駅

どこかの渓谷?


どこかの渓谷のような一枚。
ここが高崎線の烏川橋りょうだとは・・・。
改めてこの写真を見て思いました。
夕陽の位置もいい。
列車の通過時刻と夕陽の位置の合致。
偶然の賜物だろうが、なかなか計算してもうまくはいかないだろう。
2011_2_21 新町-倉賀野

EF210と夕陽とのコラボ


今日のEF64重連と同じ場所ですが、刻々と周りの雰囲気が変わってきました。
さらに夕方になると太陽が一段と大きく見えました。
EF210は最新型で、最近も新車の落成があったようです。
代わりにEF65が消えていくんですね・・・。
2011_2_21

おいしいダイヤのなか、EF64重連烏川を渡る


午前中畑仕事?をして、午後は鉄っちゃん。
久しぶりに高崎線の烏川橋りょうへ。
3時30分から、EF65、EF66、EF64重連、EF210、そして今日はEF81と
5時10分までに5本の貨物列車が通過。
1時間40分で5本ですから、結構おいしいダイヤです。
64重連(牛乳パック)が烏川橋りょうを渡ります。その後は、高操でEH200にバトンタッチをします。
夕陽には少し早いので、太陽とのコラボはいまひとつですが・・・。
2011_2_21 新町-倉賀野間で撮影

2011年2月20日日曜日

「あけぼの」高操通過!


今日の一枚は、「あけぼの」。
高崎操車場を通過します。
22時40分ごろです。
これから青森に向かうなんて、考えられません・・・けど。
今日のこのブログ、初めて100ヒットOVERしました。
去年の6月にはじめたのですが、これほどヒットしたのはホント初めてです。
先週、中井精也さんたちのもとで、釧網本線で研修を積んだかいがあったのかな?
2011_2_20 明日はRMや鉄道ファンの発売日。実は、今日20日に鉄道ファンを買っちゃいました。なにせ600号記念号ですから・・・。
そう、21日発売のRMの331号(2011-4)の123ページの「今日の一枚」のうち、1月20日撮影分に「五能線のウェスパ椿山」で撮ったカバーで覆われた8620の写真が掲載されています。ごらんください。

2011年2月19日土曜日

高二で撮ったC58


今日2011_2_19 元の高崎第二機関区へ行き、EF55-1号機を撮影した。
この写真は、1962_7 同じ高崎第二機関区(高二)で撮ったC58-15号機。
左の大きな屋根の建物は今も健在。
右には、暖房車とEF53らしき電機が・・・。
世の中には、変わるものと変わらないものがある。
蒸機や電機は入れ変わっても、ここの雰囲気は50年前と変わらない。

夕日を受けて EF510安中貨物高崎操車場を通過


こちらでも安中貨物は人気があり、夕方の高崎操車場には鉄ちゃんの姿があちこちに・・・
私は逆光側で待機。
ただし、足回りが抜けないのが難点。
2011_2_19

EF55ってE5系似?(角度によっては)


天気がいいので高崎機関区へ。
いつもと同じ位置にEF55-1号機が置かれていた。
200ミリに1.4倍のエクステンダーを付けて撮影。
縦位置、横位置で撮りまくった。
家でパソコンに転送したあと、画像をいろいろ回転させてみたら・・・。
新幹線のE5系に似ているんじゃないか?
EF55ってすごく先進的なスタイルをしている、と思った一瞬でした。
2011_2_19 高崎機関区(高崎車両センター高崎支所)の敷地外で撮影。

「思い出す 終了ニュース 聞くたびに」 千葉のキハ28


東京オリンピックの年、1964_4_1 千葉に出かけた。
左は、キハ28で、右は101系だろう。
RMニュースによると、この国鉄色のキハ28や58が今春、JR西日本のほうでは定期運用を終了するそうだ。
フォト俳句を一句
「思い出す 終了ニュース 聞くたびに」

カマが浮かび上がるように・・C11


JALツアーズの「旬感旅行」で釧網本線に行った。
このブログでも何枚かアップしているが、アップしきれない。
そこで、「釧網本線全通80周年記念 鉄道風景フォトコンテスト」に応募した。
5枚の制限があるが、自家プリント可なので厳選して送った。
結果発表は3月下旬。
これは・・・と言う作品があるので?楽しみ・・。
今日のこの一枚は、2011_2_12 標茶での湿原号の折り返し、入れ替え中のC11。
背景を白くし、カマが浮かび上がるように、露出は+補正をかけたので、いい雰囲気に撮れた。
少し流し撮りもしている・・・。

2011年2月18日金曜日

駅撮りだが・・・EF61のひく「あさかぜ」


EF61のひく「あさかぜ」。
鉄道少年にとっては、手軽な「駅撮り」。
ホームの端から撮ったもの。
今では、とても撮れない写真だろう。
けん引機は「茶カマ」の13号機。
レアモノの写真かも?
右には、今改修工事中の丸の内側の駅舎が見える。
1962_7 東京駅で撮影。

110系2連が広大な高操跡地を行く


高崎操車場の南は高操跡地として区画整理中で、今は広大な草地になっている。
しかし、高崎寄りの一部は分譲住宅として整備され、近々売り出されてしまう・・・。
写真は、キハ110系2連が高崎を目指しているが、この撮影地もいずれ、住宅や事務所でいっぱいになるだろう。
2011_2_18 

EF64重連のひく編成美抜群のコンテナ列車


番号が変わったかもしれないが、8089レだと思う。
高操の南の倉賀野寄りから高崎方面を望んだ一枚。
毎回のことだが、ほかにも2人ほど「鉄ちゃん」らしき姿を見た。
今日、2011_2_18 は強風で、昼過ぎは天空にいい雲があったが、このとき16時過ぎにはいい雲はなくなっていた。
そう、この列車は一両も他形式はなく、すべてコンテナを積んでいたので、「編成美」は抜群だ。

2011年2月17日木曜日

今日は506号機


久しぶりに昼間の「安中貨物」が撮れた。
運用表を見ると、EF81からすべてEF510に代わっていた。
今日の機番は506号機。
2011_2_17 高崎操車場の南で流し撮り。、

EF65の上に月が出た


EF65の上に月が出た。
しばらく停車したのち、倉賀野方面に移動して行った。
倉賀野から上りの貨物を牽くのだろう。
70~200ミリ f2.8のレンズを使用。絞りは開放のf2.8だ。
2011_2_17 高崎操車場の南。ここは、今はとても広いが、開発が進めばこの風景は一変するだろう。

雪まみれのキハ(知床斜里駅)


雪まみれのキハ。
失礼?ながら「スノーモンスター」状態。
これだけの雪がまとわり付く極寒の鉄道。
ホテルが駅前だったので、入場券を買って駅のホームで一鉄。
厳しさを感じさせる北の駅だった。
2011_2_13 知床斜里駅構内で撮影

キヤE193系がやってきました


検測車キヤE193系が八高線にやってきました。
群馬藤岡駅北の跨線橋に行き、EF70~200ミリに×1.4のテレコンを着けて撮影。
5センチ程度の隙間からの撮影でした。
帰宅後、60Dでジオラマ風に加工。
2011_2_17

151(181)系「つばめ」を東京駅で撮影


九州新幹線の博多-新八代間の開業で、新幹線の「つばめ」は九州内の各駅停車タイプになるそうです。
もともと、客車時代から151系時代などを経た「つばめ」ですが、
私の「つばめ」の思いでは、この151系時代だけ。
1962_8_17 東京駅での駅撮りは49年も前のこと。
鉄道少年にとっては、憧れの的だったのでしょう。
結局「こだま」にも「つばめ」にも乗車の機会はなく、見るだけでした・・・。

2011年2月16日水曜日

EF56一次形を自宅近くで撮影


EF56。
高崎第二機関区所属。
自宅のすぐ近くの上り高崎線で撮影。
もちろん、今でもこの場所はそのままある。
高二には、昭和38年に1、2号機が宇都宮から転属、定期運用に就いていたが、
昭和39年3月20日には早くも外れていた。
その後は、EF59に改造された。
これら56形の一次形は車体の角に丸みがある。
1964_3_撮影。

ススキに雪が積もっていた吾妻線


再びヤンバへ。
2011_2_11 大雪の日でした。
そのため、風雪が強く撮影は困難。
ここは、川原湯温泉駅に繋がる長野原方で吾妻川第3橋りょう付近。
手前には、ススキの穂に雪が積もっている。
雪は横殴り。
視界は不良。
でも、写真は、自然条件をそれなりに記録している・・・

吾妻線の廃線予定線の「絶景」


「ヤンバ」の魅力的な撮影地を探している。
区間は、吾妻線の岩島-長野原草津口の間。
去年、2010年にヤンバダム工事事務所の写真コンテストに入賞したことから、この魅力探しにいっそう火がついた。
しかし、雪と氷、それに急坂におじけづいてバイクや車での訪問はちゅうちょしていたが、ようやく2月に2度訪問。
この写真は、去年の2010_2_12 電車と徒歩でたどり着いた「絶景」撮影地。
185系「草津号」が、しずしずと吾妻渓谷沿いの急峻な地形を通過。
この「絶景」、付け替え新線の開通でじきに「廃線」なる・・・。

流氷を見渡しながら走る「流氷ノロッコ号」


釧網本線の白眉。
知床斜里駅から止別(やむべつ)までの直線区間。
ヘッドライトが見えてから、何分にも亘って視界内に・・・。
やってきたのは「流氷ノロッコ号」。
網走行きは、DE10のけん引で、斜里行きは推進運転になる。
昨夜の北風で流氷は着岸しているので、「大氷原」が出現。
2011_2_14 止別-知床斜里間で撮影

2011年2月15日火曜日

流氷に一番近い駅 北浜


流氷に一番近い駅。
北浜駅で中国の人たちの歓声が飛び交いました。
私たち日本人でも、ここは特別な場所。
はるか遠くまで、白い氷原が続いていました。
2011_2_14 

この構図はどうでしょうか 43年春の奥中山


D51が重連で間に貨車、そして後ろからD51が後押し。
アウトカーブで、少し俯瞰気味。
前補機の圧力弁を見越すと、後部補機のすがたが・・・。
絶妙な「構図」。
難点は真ん中に見える架線柱が目立つこと、自車の吐く煙で影になった前補機かな?
1968_4_1 御堂-奥中山間。
この年がヨンサントウ(昭和43年10月)。この年の秋、ここは電化されD51の煙は消えた。

C11の白いタイヤ


茅沼(かやぬま)駅は丹頂が飛来する駅として魅力充分。
今日のC11はDE10を従えて運行していた。
駅を発車し、加速するC11。
前方を注視する機関士。
白く雪で縁取りされた動輪のタイヤが面白い。
2011_2_13

知床斜里駅の駅撮り


厳冬期の知床斜里駅に進入する釧網本線の上り列車。
20分遅れでした。
本数は少ないなかでも、きちっと運行されていました。
運転席正面の雪まみれ状態を撮りたかったのですが、
この列車には雪は付いていませんでした。
実際、この駅での撮影時には雪は止んでいました・・・。
風の強い、氷点下の厳しいなかでの駅撮りでした。
2011_2_13

蒸機の息づかい 「SL冬の湿原号」を撮った


JAL旬感旅行「SL冬の湿原号を撮る3日間」に行ってきました。
そのため、このブログは3日ぶりのアップです。
今日の一枚は
釧網本線の茅沼駅でのC11207号機の引く「湿原号」。
2台のカメラを使っての撮影のうち、望遠を使用したものです。
速度がまだ遅いので、ほかに何コマか使えるものがありました。
比較的近くで撮ったので、蒸機の息づかいが間近に伝わってきました。
もちろん、安全な距離での撮影でしたよ・・・。
2011_2_12