2021_3_31 は、Gーmesse群馬で、聖火リレーの到着を見に行きました。
到着は昼間でなく、当地では夜間帯に入っていて、
午後7時20分すぎでした▼。
心配されたのは「密」。
感染予防とイベントの実行とどう折り合うか、複雑な思いが感じられました。
1時間ほど前に場所取りをした時点でも「密」の状態でしたが、
聖火到着時点では、相当な「密」になっていました。
▼聖火到着前の盛り上がりの演出でしょうか、こんな派手な大型車が数台通過しました。
はじめてカメラを手にしたのは、父親から買ってもらった富士フィルムの「ペット35」。小学6年生だった。その1960年代のはじめから撮り貯めた、とっておきの思い出鉄道写真と、今もバリバリ撮り続けている鉄道写真をエピソードと共に紹介します。
通称「安中貨物」を高操で撮った。
長年の懸案?だった「ホッチキス」が、列車と重ならない構図で撮れました。
今日の荷は、「タキ1200」が12両の長い編成で、いつもの「トキ」は無しでした。
*
実は、今日の本命は昨日と同じ「651系」だったのですが、
幸い、小雨で曇り空だったので、コントラストのやわらかい一枚になりました。
2021_3_28 午後5時前。
2021_3_27 は、651系を中心にあっちこっちへ・・・。
今日は土曜日なので、「あかぎ号」と「草津号」の2種類の特急が走っていました。
その合間撮影したのが、これ▼
上りの「SLぐんま みなかみ」が、到着番線からD51498に引き出されたシーンです。
誘導係がD51に乗っています。
このあと、バックの推進で電留線に入りました。
どのように入れ換えを行うのか、真近に見学できました。
2021_3_21 は、EF6437の人気を予想して、「激パ」になるだろうと思っていました。
案の定、いつものお立ち台は大賑わいで青年層がめだちました。
カメラは「一眼」で、長い望遠レンズもめだちました。
Twitterの画像を見ても、アップが多いようでした。
カメラメーカーは、キヤノンが一番で、ニコンも次に多かったようです。
アナログの6×7の人もいましたが・・・
それと、動画を併用している人も・・・。それも、一眼での動画です。
2021_3_12 の一枚は、新幹線のレール▼。
このつなぎ方だったら、ガタンゴトンという音は出ないはずと納得。
高崎線では、ガタンゴトンの音はあまり(ほとんど)しないので、在来線でもこのやり方でやっているのかな?
2021_3_19 は、いつものお立ち台へ。
房総・鹿島地区で使用されるE131系の配給を撮影。
R12の2両編成で、幕張車両センターの所属。
このR12編成は、今回導入する24輌のうちの最終編成で形式番号は
クモハE131-82とクハE130-82。
新潟の「総合新津」が製造。
正面のデザインは、房総の海の波しぶきをイメージした水玉模様だそうです。
2021_3_17 は、駅南の電留線へ。
EF65501の姿がありました。
どうしてここに来たかというと・・・・
畑で汽笛が聞こえたのです。蒸機と電機の掛け合いのようでした。
いつもと違うな、と思い駆け付けたのです。
電留線では、D51もいましたし、このEF65501もいました。
今現在、JRの電機で人気のあるのがEF6627でしょうが、このEF65501も負けてはいませんね。
今回、EF65501が動くことに関して、どんな情報からなのか、3人ほどファンの姿を見かけました。
2021_3_16 は、高崎アリーナ脇。
E235の配給を狙いました。
J8編成の4両でした。
このような機関車けん引の配給列車は、新型けん引電車の登場で、早晩活躍の場も少なくなるでしょう。
昨日3月15日は、GV-E197の信越線試運転を撮りましたが、今日16日は高崎線での試運転を撮りました。毎日、撮影の日々が続きます。
そういえば、春休みになったせいか、沿線で若者のファンを多くみかけますね。
2021_3_10 撮影のGV-E197系。
昨日から始まったホッパ車組み込みによる試運転を撮影。
高崎~本庄間を日に数回往復しているようですが、今日の北風にはまいりました。
撮影地では、その風がさらに強まった感じで、シャッターを押すのにも大変でした。
ようやく?撮れたのがコレ▼。
俯瞰で見ると、手前のホッパ車(GV-E196形)のようすがわかります。けん引車(GV-E197形)は向こう側ですが、この上り列車では、後押しの「推進車」の役割を果たしているのでしょうか。*進行方向は右です。
性能試験の様子では、途中徐行ないしいったん停止した後、発進している場面を何回か見ました。発進時のエンジン音から、電気式気動車の「力強さ」を感じました。
古い一枚ばかり続いたところですが、
今日の一枚は、「最新」です。2021_3_9 撮影。
GV-E197系の一枚です。
この197系ですが、197形+196形4両+197形からなる6両編成です。
しばらくは、197形2両による試運転が行われていましたが、ようやく「フル編成」による試運転が行われました。
この一枚▼の左が197形で右が196形です。
今日は、本庄まで都合3往復したようですが、E235系の配給があり、この一枚のための撮影場所の移動ができませんでした。そこで、反対側からの撮影ですませました。
列車の進行方向は右です。⇒
1965_1_6 は、まだ冬休み期間。
高崎線の上り、EF58けん引の旅客列車を一枚撮っている。
とても身近な旅客列車であったが、実際残っているネガはごくわずかだ。
今でいえば、231系や233系にあたるだろうか?
EF58というありふれた機関車でも、のちの世になってみると、希少価値どころか、まったく存在さえ消えている。
▼写真の背後に写っているのは、日本製粉の工場だが、今は取り壊されて市民体育館、「高崎アリーナ」になっている。
また、この辺りは上越新幹線の高架橋ができている場所だ。*なおこの一枚、以前アップ(投稿)したものと重複しているかもしれません。
1966_12_11 は、まず松本へ。(再掲)
前日、12月11日の夜行で松本へ行き、上りの第一「あずさ」に乗車したのです。
この日12月12日は、新宿~松本間の特急「あずさ」の誕生日でした。
松本では、盛大な出発式が行われました。
楽隊も繰り出すほど、「あずさ」は地元の大きな期待に応えて登場したのです。
ただ、個人的には、この撮影で重大なトラブルが発生していました。
あとで、現像して気づいたのですが、全コマが「ピンボケ」でした。
さらに原因は、レンズを内側から締め付けるネジのゆるみとわかりました!
一生の不覚です。
なお、この「あずさ」の松本→新宿間の所要時間は、3時間58分でした。
▼新宿に到着した「あずさ」で、大きなデコレーションが付いています。
なお、この「あずさ」誕生の記事は、このブログでは何回も取り上げています。
1984_1_29には、「現役」の高崎操車場の姿を記録。
操車場は、坂の頂上付近から貨車を放し(突放)、行先別に区分けし、
貨物列車を組成する役目でした。
全国でこのヤード方式が廃止される前にと、周辺から撮影したうちの一枚です。
それまでは、9600やD51、D50などの蒸機が担っていた押し上げ機関車は、1970年代の無煙化によりDE11に変わっていました。
現在の高崎操車場は、貨物の拠点間輸送の中継施設として、
2009_1_17 は、信越本線群馬八幡~安中と松井田~西松井田間へ。
この日の撮影目的はというと・・・、
奇跡の復活をとげた機関車です。
この日、12系客車を前後から挟んだ、「プッシュプル編成」でした。
往路の下り列車が本命で、そのけん引機が今回のクイズ。
▼復路のけん引機はEF641001ですが、往路のけん引機はとてもレアだったのです。
① EF5861
② C58363
③ D51498
④ EF551
1940年、昭和15年発行の「時間表」をみて気づいたこと。
上野発米原行きがあったことです。列車番号は605レで各駅停車(普通列車)で18時間19分かかりました。その時間(ダイヤ)は・・・。
上野発 23:50
高崎着 ヨ2:24(信越本線経由)
直江津着 8:34
金沢着 13:07
米原着 18:39
81年前、この605レに乗車していれば、その日のうちに米原に着いたということです。「青春18きっぷ」があれば・・・?よかった!
ところで、本日の一枚はコレ▼。
1967_8_24 撮影の北陸本線米原~田村間。D50重連と471系交直急行電車との出会いの場面。当時、この辺りは、「交直接続」のため、客貨車はD50が列車をけん引していました。折り返しで方向転換しなかったため、この写真のように、後ろ向きで走行していたのです。
交流区間では、ED70などが走っていましたが、電車はそのまま通過できました。