2022年12月31日土曜日

2022年は、651系のアップで撮り収め

 2022年12月31日、大晦日の一枚。

今日一日は、積極的に「撮り鉄」に取り組みました。

狙いは651系。

草津号や水上号など、臨時を含め7本撮りました。

頑張れば、もっと撮る機会はありましたが、7本が限界?でした。



2022年12月30日金曜日

「撮り鉄」への意欲

 28年前の1995_1_3 撮影 の一枚。

D51+C58の重連が高崎駅を発車します。

上越線の水上までの一往復でした。


煙室扉下には、正月飾りが付いている。

今では、ドカ雪などで水上の転車台が使えないこともあるせいか、

冬季の上越線のSL運行はなくなっている。

なお、2022年は、ある鉄道趣味誌が定期刊行されなくなったことで、発表の機会が少なくなり、「撮り鉄」への意欲がうすれた一年だった?


2022年12月25日日曜日

特急「とき」

1964年12月の撮影。


高崎線の上り線を行く特急「とき」。

流し撮り。

背景には、高崎操車場の上り到着線の貨物が写っている。

右下には、高崎第二機関区と高崎操車場とを結んでいる機走線のトンネルが映り込んでいる。


 

2022年12月23日金曜日

(再掲)80系湘南電車

 1963年12月ごろの一枚。

先頭は2枚窓のクハ86形の湘南電車で80系。

高崎線の主力として活躍していましたが、のちに115系に置き換わりました。

撮影場所は、現在のぐんま車両センターで、1年ぐらい前の「高崎車両センター高崎支所」です。


最近1か月余り、物置の収蔵物を整理していると、カメラ誌や鉄道誌が大量にでてきました。

カメラ誌は廃棄しましたが、鉄道誌の廃棄には躊躇している状況です。

また、1960年台や70年台のクルマやオートバイのカタログが、段ボール箱で2箱以上もありました。中には、めずらしいクルマもありましたし、なつかしいクルマもありました。

クルマにあこがれていた若き時代を思い出させる倉庫整理です。

この作業はまだまだ続きます。




2022年12月22日木曜日

651系「草津」号、あと3か月で交代

 2023年3月18日のダイヤ改正がJR東から発表されました。

その一つが、特急「草津」や「スワローあかぎ」号の変化で、

使用車両が651系からリニューアルのE257系に代わることです。

さらに特急「草津」号の名称が、特急「草津・四万」号になります。

四万(しま)温泉の最寄り駅であることを表に出したのでしょう。

思えば、651系は常磐線では交直流電車として誕生し、

直流化改造で185系に置き換わったのでした。

最近では、白いボディにサビが見られる編成も見かけました。

▼この一枚は、2022_9_23 撮影の「草津」号、上野行きです。








2022年12月11日日曜日

「リゾートやまどり」ラストラン

2022_12_11は、485系改の「リゾートやまどり」が上尾~長野原草津口間を往復しました。
ラストランだったようです。
当地では、送り込み回送や返却回送を含めれば、この列車は上尾までの上り下り合わせて4回のシャッターチャンスがありましたが、実際撮ったのは1回だけでした。
この一枚です。▼
新前橋の車両センターへ向かう返却回送列車ですが、よく見ると「団体」表示のままでした。
背景の山は上毛三山の榛名山で、この485系改との組み合わせは、これが最後になるようです。


2022年12月8日木曜日

都電最後の日

この12月の時期、1967_12_9の「都電が銀座から消える日」の一枚を毎年アップしていました。
あれから55年経ちました。

この一枚の都電は、「茅場町」行きの15番系統ですね。
こちらにやってくる自動車は、プリンスのグロリアだろうか?
当時から、プリンス自動車は、デザインに秀でていた感じです。

そうそう、2023年のお正月が来ると、いよいよ「後期高齢者」です。



2022年11月27日日曜日

185系B6編成「新潟平野を駆け抜ける」通過


 2022_11_26は、185系団臨「新潟平野を駆け抜ける」が通過しました。

行路は上野→新潟でした。

このところ、185系の団臨が目立つようですが、もともと定期列車としては引退しているので、「団臨」運用が目立つのかもしれません。

お正月の「初詣臨」も走るようなので、まだ185系の走行シーンは見られるようです。

本日の編成は「B6」でもちろん「斜めストライプ」デザイン。

「後追い撮影」をアップしました。


2022年11月21日月曜日

EF58175

ロイヤルエンジンこと、「EF5861」が鉄道博物館に展示されました。

「鉄道ファン」誌2023年1月号に詳細がでていますが、私自身この61号機の撮影ができたのは、1回だけ。長野での植樹祭の帰りの「お召」でした。

▼この一枚は、同じEF58ですが、175号機です。


窓には、つらら切り、そして雪かきが付いていますし、警笛にもつらら切りがついています。上越仕様ですね。

当時の高崎第二機関区での撮影でした。

このEF58やEF15など、あまりにも日常的であったので、撮影コマはごく僅かなのは残念です。1963_11_23 ごろの撮影。


2022年11月12日土曜日

けがの功名

 2022_11_12は、高崎駅12番線ホームへ。

目的は、E2系200系塗装の「なつかしのあさひ号」の撮影です。

13番線に来ると解釈し、通過線を挟んだ12番線ホームに待機。

ところが、自分の確認ミスで14番線に入線しました。

でも「けがの功名」というのでしょうか、思いがけずこんな一枚が撮れました。

14番線に入線する「あさひ号」にカメラを向ける人たちの姿です。
この後9時8分、大宮に向けて発車していきました。


2022年11月6日日曜日

”リバイバル特急とき”運転

 2022_11_6(日)に E653系7連による”リバイバル特急とき”新潟発上野行きが運転されました。

この列車、11月3日の新潟行き下りの復路便でした。

撮影30分前、近くの撮影個所を探ってみましたが冬の低い太陽のため、すでに線路は半、日陰状態でした。

そこで、完全な日陰を探して撮ったのが、ココ。

でも・・・。

少し陽が差していたりして・・・。

さらにホームに入線する対向の回送電車に阻まれてしまい、最初の一こま目がこの一枚。     


2022年10月26日水曜日

485系改「やまどり」

 


485系の改造車「やまどり」と「華」の引退が報じられました。

共同通信の記事のようで、地元紙にも紹介されました。

電車の引退が一般紙で紹介されたのですね。

2編成とも新前橋の高崎車両センター所属なので、

何回かの撮影機会はありましたが、定期運用でないので、スジ調べが必要でした。

この「やまどり」の一枚は、2021_11_14撮影の臨時「モグラ」と「ループ」の運用時でした。(高崎操車場脇の高崎線で撮影。)

「華」ほうの撮影機会は、「やまどり」より少なく、数カットしか撮っていないようです。

最近「草津」「あかぎ」などで運用されている651系の白いボディーに塗装が浮いているのを見かけました。次の引退は、この651系でしょうか?



2022年10月21日金曜日

ピカピカの181系「あさま」

あさま山麓を行く181系「あさま」号。
浅間山を背景に181系の新車を撮ろうと中軽井沢へ出かけたのは、1966_10_1のことだった。
屋根の銀色のクーラーカバーが真新しくまぶしい?
稲も刈り取りを控え、実っているようです。
真ん中には、田んぼの見回りの女性の姿も見えている。

撮影機材は、オリンパスペンなので、「ハーフサイズ」。

2022年10月16日日曜日

「鉄道開業150th」のヘッドマーク付きD51

2022_10_16 は、鉄道開業150年を記念した「SL/DLぐんま よこかわ」が運転されました。


SLはD51498、DLはDD51895が牽引しました。

この一枚は、D51498が高崎到着後、客車を電留線に収納するときのものです。

ヘッドマークは、レンガアーチの橋梁を渡る一号機関車と客車、

周りを線路が囲み、「鉄道開業150th」の文字が描かれていました。

この10月は、テレビでも「鉄道関係」の番組がいくつか放映されていましたが、浅い内容が多かったように思えました。

 

2022年10月15日土曜日

旧型客車スハフ42

 


2022_10_15 は、「高崎鉄道わくわくフェア」の、旧型客車スハフ42 2234の撮影に行きました。

ブルーに塗られた車体になぜか新鮮な印象を感じました。

車内に入ると瓶の「栓抜き」やレトロな座席、扇風機に時代の変化を見ることができました。


有料撮影の対象の一つらしいEF64は、会場から離れたところに置かれていました。

コロナ禍も関連しているのでしょうが、「有料撮影」は一つのトレンドになっていますね。






2022年10月6日木曜日

EF552

EF552の「ナンバープレートと銘板」。
1963_7 ごろの一枚。
この電機は、東海道線や高崎線で活動したあと、
長らく高崎第二機関区で休車状態だった。
1号機は現在、鉄道博物館で保存されていますが、
この2号機は解体されたはずです。
写真の「ナンバープレート」や「東洋電機」・「日本車両」の銘板はどうなっているのでしょうか?





2022年10月5日水曜日

軽3輪「マツダK360」

「あのころの車」。

1961_10_3 カメラを持って市街地へ出かけました。

目的は、クルマの撮影。

今見ると、とても懐かしく思えます。

こんなクルマが走っていたのですね。

「軽3輪」のマツダK360。


背景は、当時の「富士銀行」だろうか?

クルマの通行も少なめだ。

マツダの「R360クーペ」も思い出しました。


 

80系が走っていた

  80系湘南形電車が、高崎線を走っていた。
1962_5_10の撮影だが、写真的にはボツの一枚(真ん中右の小屋が邪魔)。
昭和37年当時はこの80系が主力で、客車列車も何本かはあったが、
どちらも満足するレベルの一枚は無い。





2022年10月3日月曜日

解体前のED4215号機

 碓氷峠でアプトの仕業についていたED42が、用途廃止になったのは1963_9_30 だった。

その後、廃車解体になる前に一時留め置かれた姿がこの一枚▼


横川からの回送のため、すでにロッドは外されている。

場所は高崎第二機関区東の廃線跡。

撮影は、あれから59年。


2022年9月25日日曜日

200系 また10年前の一枚

 10年前の一枚、 2012_9_26撮影。

上越新幹線の200系で、高崎駅で上りと下りが出会いました。

2編成が写っていますから、けっこう頻繁に走っていたのですね。

たった?10年前の一枚とは思えず、もっとずっと前のものと感じます。

この上越新幹線も来年の春には、E7・W7系だけになります。



2022年9月23日金曜日

10年前の上野駅13番線

 10年前の一枚。

2012_2_4 上野駅13番線ホームで撮影。

当時このホームでは、乗車口看板によると、「カシオペア」や「北斗星」も発車していました。

写真の「あけぼの」は21時15分発でしたので、撮影は発車前の一枚というわけです。

牽引機は長岡の双頭連結機のEF6431でした。

10年という歳月も、今振り返れば、「あっという間」ですね。

特に年寄りは「感動」が少ないせい?で、短く感じると聞いたことがあります。





2022年9月19日月曜日

[無料」撮影会

コロナ禍のためか、近頃は無料の鉄道車両等の撮影会がなくなり、「有料撮影会」が盛んだ。
参加費は安くはなく、「万」の単位が目立つが、
鉄道ファンの参加意欲を盛り立てる、希少な車両の撮影や体験が盛り込まれている。
参加費が高いとみるか、安いとみるかは、ひとそれぞれであるので、募集人数と参加希望人数との倍率は興味深い。
▼10年前の2012_8_25の「無料」撮影会、東京総合車両センターでの一枚。
「あまぎ色」の185系がなつかしい。「はくつる」のヘッドマークを掲げたEF81などとの並び。









2022年9月15日木曜日

トロッコ「アガッタン」はお休みでした

八ッ場ダム(ヤンバダム)の建設を控え、JR吾妻線の付け替えが行われたのは2014年でした。

この付け替えによって、岩島~長野原草津口間の旧JR吾妻線は廃線となりましたが、

一部の路線は新たな用途(二輪車型のトロッコ)、「吾妻峡レールバイク アガッタン(AGattan!)として、再出発しました。

▼「アガッタン線」ですが、残念ながら今日 2022_9_15は、平日の木曜日なのでアガッタンは休業中でした。電化柱も保存され、今でも185系や115系の電車がやってきそうな雰囲気です。






 

2022年9月11日日曜日

台湾のC12(CK124)

 十年前の2012_3_12は、台湾の「撮り鉄」・・。

一人で行ったのではなく、某有名鉄道カメラマンの企画による「撮影旅」でした。

撮影地間の移動は、マイクロバスなので機動性がありましたが、冷房がききすぎて風邪をひいて発熱してしまいました。

この一枚の撮影は、「CK124」が先頭の臨時重連列車で、内湾線の竹中~上員間。日本のどこかのローカル線での撮影を思い浮かぶことができました。



沿線には、多くのファンが詰めかけていましたが、ここの撮影地は配慮があったのか?いいカットが撮れました。






2022年9月2日金曜日

2両のキュロク

1965_9_18 撮影の「キュウロク」こと、9600形式2両が機走線を走っている。

この線路は、国鉄高崎第一機関区から高崎操車場を結んでいる業務用の路線で、旅客線ではありません。


写真左方面が高崎で、右方面が高崎操車場。

2両とも高崎第一機関区の所属で、高操のハンプの押し上げや入れ替えが仕事でした。

撮影地は、現在のJR貨物の高崎機関区付近です。



 

2022年9月1日木曜日

59年前の碓氷線

わが「撮り鉄人生」の中で、印象深い撮影対象は、碓氷線を行く「アプトED42」と「63(ロクサン)」だ。

そのアプトは、1963年の9月末で役目を終え、粘着運転の「碓氷新線」に移行。

▼この一枚は、丸山信号所の25‰複線区間を行く、上り線で、EF63+EF63+EF62+旧型客車の編成だ。当然、第三軌条も写っている。(1963_9_30撮影)


59年後の今日、この写真を見ると、もっとたくさん撮っておけばよかったと、残念な思いがよみがえる。

ただ、15歳の当時の経済力や行動力から考えると、よくやったなと言える。



2022年8月25日木曜日

旧「上州新屋」駅舎最後の日

 2022年8月25日昼過ぎ、上信電鉄の上州新屋駅舎が新築移転されるのを前にして営業中の旧駅舎最後の姿を撮影した。

駅舎の移転は、道路の拡幅のためとのことで、新駅舎は線路の北側に新築され、駅前広場も整備されていた。

旧駅舎と新駅舎は、線路を挟んだ形で、この「景観」は旧駅舎の取り壊しまでとなっている。

▼画面左に新駅舎、右が今日で営業を終了する旧駅舎。


なお、新駅舎の使用開始は、8月26日の始発から。

2022年8月17日水曜日

D51498の動感を表現したかった

 2022_8_14は、北高崎へ。

狙いは、D51498牽引の「SLぐんま よこかわ」をスローシャッタで撮ること。

でも、意図したとおりには撮れませんでした。

その意図、とは・・・。

→機関助士さんをブレなく撮ること。

→機関車の動輪は「流れて」いることで動感をだすこと。

でも、何コマ連写してもダメ。被写体を追うタイミングがあいませんでした。





2022年8月8日月曜日

上越線 電機の三重連に牽かれて

2022年の8月は、酷暑、集中豪雨で明けました。


57年前の1965年7月撮影のこの一枚は、上越線の水上以北で撮った「電機の三重連」です。

EF15や16が牽引する普通列車でこの日、上越国境を越えて新潟に向かいました。

このあと長岡の手前の宮内で乗り換え、信越本線の鯨波で海水浴をしたのです。

その往路は「電機の三重連」の撮影▲という、貴重な一こまでした。

後に、東北本線の「蒸機の三重連」に魅了されたのは1967年ごろでした。



 

2022年7月24日日曜日

ぶら下がるC6120

 ひさびさの下りの「ELぐんまよこかわ」の撮影。

この一枚はEF641001牽引の「ELぐんまよこかわ」にぶら下がるC6120。

ココ信越線では、C6120は下り列車の先頭には立てず、常に上り方に連結されています。


撮影場所は、群馬八幡~安中間で、今まで撮れたお気に入りの場所は、「葦」が繁茂して撮影不可能になっていました。

草や木々の繫茂で、いままでとは同じようには撮れないのですね。






2022年7月20日水曜日

「鉄道ファン」9月号

2022_7_20、 月刊誌「鉄道ファン」9月号を見た。

特集は「ブルートレイン熱中時代」で、

「EF6627 定期運用終了」など、興味深い内容でいっぱい。


今日の一枚▼は、2016_12_21 撮影のEF6630。高崎線の倉賀野や高崎機関区にまで関西からやってきた運用だった。倉賀野~新町間。


2017_3_改正のダイヤで、高崎線への乗り入れ運用は消滅している。

*「鉄道ファン」の裏表紙の「EOS R7」の広告も興味ある内容。

2022年7月9日土曜日

八高線準急「奥利根」

この春(2022年)のダイヤ改正で八高線にキハ111系の「単行」が走り始めました。

八高線の編成は今まで、2から3輌編成でしたが、今回は1両での運行が登場したのです。

1962_7_撮影のこの一枚、高崎線区間(倉賀野~高崎)を走る2両編成の「八高線準急」です。


新宿から八王子を経由して、上越線水上に至る温泉準急「奥利根」で、キハ28編成でしたが、まだクーラーがないことから、乗客は暑さで大変だったでしょう。

画面左奥には、SLの煙が写っています。

 

2022年6月30日木曜日

予定どおりの旅のありがたさ

「 大人の休日俱楽部」のパスを利用した4日間の旅は2年ぶり。

1日目は新潟経由で上杉の城下町「米沢」へ日帰りの旅。

電動アシスト自転車で、町をめぐりました。

この一枚は、帰路の米沢駅で撮った「E3系」。


新型の「E8系」も発表されているので、このタイプ、数年後には置き換わる予定。

歌舞伎の『隈取』の塗分けが新鮮でした。

2日目はラグビーの町、「釜石」への日帰り。

これも、電動アシスト自転車で町巡り。

3日目は、岩手県の「八幡平のトレッキング」を予定しましたが、

霧が深く、風雨が激しいので、単独では危険と思い、「ガイドと行く八幡平」のコースに変更。でも濡れに濡れまくった一日でした。

4日目も、風雨が強く半日、旅館で待機し、早めの帰宅としました。

そうそう、旅館での待機中は、石油ストーブにお世話になりましたよ。

下界では、梅雨も明け、猛暑になっていました・・・・。


今回4日間で、交通トラブルが2つありました。

〇一つは「こまち」関連で、倒木による不通が発生。「こまち1号」は盛岡で打ち切りになってしまいました。お客を下した「こまち」編成は、回送となってしまいました。

私は、今回は盛岡で下車し新花巻に向かったので、このトラブルには影響はありませんでした。

〇もう一つも「こまち」関連で、踏切事故での遅れでした。そのため「はやぶさ32号」は盛岡で「こまち」とは併結しないで東京に向かいました。

予定通りの旅ができることは、有難いことなのですね。






2022年6月14日火曜日

EF58133

 1963_6 の撮影。


昭和38年のころだ。

場所は、高崎第二機関区。

EF58133は、「ひさし」付きだ。

上越線はトンネルが多いので、「つらら切り」のためだろうか?

画面左には、現在も壊されずに残っている「給水タンク」だろう。

当時、EF58は当たり前すぎて、ほとんど被写体にはなっていないのは、

今となっては、残念なことだ。




2022年5月31日火曜日

縦構図

 最近、投稿された事件や事故の写真や動画で、「縦構図」が目立つようになっている。

スマホでは、撮影開始までの流れが、「縦構図」のほうが、一行程少なくなっていることや握りやすさが理由だろうか。

この一枚は、1962_6_10 撮影の「縦」構図。


画面の先には、高崎第一機関区が見える。

信越本線の下りホームで、D50321牽引の旅客列車が発車の時を待っている情景だ。


なお、このころの高崎~横川間は未電化で、D50やD51などが最後の活躍していました。





2022年5月30日月曜日

築堤上のD51

 1967_5_14 撮影の一枚。

東北本線の長根信号所と滝沢の間で、築堤上を行くD51の回送ですね。

この区間は、複線電化に際して線路の付け替えが行われましたので、

この風景はまさに、過去のものとなりました。

D51に煙が見られないのは、左の盛岡方に向かって下り勾配だからです。

当時、この地域はリンゴの花が満開でした。


ここは晴れていれば、バックには岩手山が望める場所でした。


2022年5月19日木曜日

鉄道写真

 5月になって初めての投稿です。

あれよあれよという間に5月の連休が過ぎて、今日は2022_5_19になっていました。

今日の昼前、私にとって「めずらしい」動物を捕捉しました。

「イタチ」です。

日本中どこにでもいるそうですが?

実際、目の当たりにしたのは初めてでした。

それも、「線路端」で・・・・。

背景はJR貨物のEF652096が、高崎機関区から機走線を経て高操にはいるところです。

この一枚では、イタチが線路に「侵入」し、横断しています。

近くの原っぱで「キジ」は見かけるのですが、イタチはまさにはじめてで、最初はこの動物の名前はわかりませんでした。

これも「鉄道写真」。





2022年4月30日土曜日

E3系「つばさ」

山形新幹線のE3系「つばさ」。
上野~大宮間で撮影したのは2022_4_30。
すでにココはサクラの開花は過ぎ、新緑の季節。
後継のE8系の新造も発表されているので、E3系は数年で消えていく形式となっている。



2022年4月28日木曜日

深入りはじめの一枚

 1963_4 の一枚は、EF80の7号機。


上野駅で撮ったものだが、露出不足のネガだった。

でも、露出はPhotoshopで補正できた?

このカマの区名札は「勝」なので、所属は「勝田」。

3月末から4月のはじめまでの「春休み」期間中に東京まで出かけて撮ったもので、

1963年と言えば、東京オリンピックの1年前。

撮影時は、高校1年の春で、鉄道趣味に深入りはじめたころだった。


ベィリー橋

 1965_4  の一枚は、「ベィリー橋」。


架設したのは、新町の陸上自衛隊第12施設大隊で、高崎観音山の花見客対応のための仮設の橋でした。

烏川と碓氷川の合流地点付近に渡され、通学の高校生が自転車で通行している。

この橋の説明文によると、型式は、2列1階橋。

全長は約43メートルで、360CC以上の車両は通行禁止。

写真奥の高校生の「肩掛け布カバン」は、時代を反映しています。

なお、私を含め、このころのこの学校の高校生は、「下駄履き」でした。



2022年4月16日土曜日

「現場」の一枚は、「西松井田駅の開業」

 1965_4_1 は、信越本線の西松井田駅が開業した日。

この駅は信越本線の横川電化により、旧松井田駅が移転されたあとの旧松井田駅の位置に作られたのです。

今なら、たくさんのファンで「激パ」だろうが、この時は関係者のみの人出でした。

画面の奥に祝賀電車が写っている。


このあと、ホームでは地元女子児童による運転士と車掌さんへの花束贈呈がありました。

57年前、私が立ち会った「現場」の一枚です。

2022年4月9日土曜日

ピカピカのロクサン

 1963_4 の撮影。

今のJR貨物の「高崎機関区」の検修庫前で撮ったEF636(ロクサン)。

この年の秋には、アプトが消え、ロクサンによる粘着運転が始まった。

ここ、高崎機関区には続々とロクサンが新製配置車が到着していたのです。

横川に行く前に整備がおこなわれていたのでしょう。

ピカピカのボディが懐かしい。

ロクサンの右に連結されているのはEF53。

画面向こうにはEF58の姿がチョッとだけ見え、蒸気が吹いている。


ロクサンとロクニでは、運転席の「窓枠」が「角かR」かでデザインが違っていた。

私的には、「角」のロクサンのほうが好みだった。




2022年3月31日木曜日

C62重連停車中

北海道新幹線開業に伴って、函館本線の長万部~小樽間(山線)が廃線になる。
懸案の余市~小樽間もバス化され鉄路は消える。
ここは、わが青春時代の思い出の路線で、ここをめざして渡道したのは何回だろうか?
この一枚は▼、1967_3_29撮影の倶知安駅。

札幌行き105レ「ていね」のC62重連が、4分間の停車中だ。
北海道といえども、3月の末になると雪も線路上には積もってはいなかった。
この時、急行105レの倶知安発は、18時09分。
画面左には羊蹄山。
このあとのC62重連は、小沢、余市、小樽と停車し任務を終え、以後札幌までは電機のけん引に任せるダイヤだった。
「わが撮り鉄人生」にとって忘れられない一こま。






2022年3月27日日曜日

どうなるEF65501

 「群」の区名札のEF65501の去就が注目されている。

動態保存となるか、静態保存となるか、廃車解体か?

3月に「群馬車両センター」に改称した「高崎車両センター高崎支所」周辺には鉄道ファンらしき人が目立っています。狙いは、このEF65501やEF641001などの撮影のようです。

この一枚は、ダイヤ改正当日の2022_3_13に公道から撮影したものです。



2022年3月14日月曜日

「群」「高クン」

「ぐんま車両センター」がスタートしたようです。

今までの名称は、「高崎車両センター高崎支所」でしたが、

略称所属名はEL・DLは「群」、DCは「高(俗字の梯子高)クン」のようです。

▼この一枚はEF641053と1001で、区名札は「群」が差してありました。


八高線のDCの単行運用開始などもそうですが、

今回の3月のダイヤ改正に絡んで変化の時代を迎えていますね。

2022_3_13 公道からの撮影。



2022年3月11日金曜日

効率よく撮れたE2系

 2022年3月になって、初めての投稿です。

今日3月11日は、外出するのにとても快適な気候になりました。

そこで、

明日がJR東日本の「ダイヤ改正」なので、この改正で大幅に減少する「E2」新幹線を撮りに高崎駅に出かけました。


午前10時過ぎから数本、上越新幹線のE2系がやってきますので、駅撮りなので撮影効率はとてもいい時間帯でした。

11年前の3月11日、私がいた現場は、市内の歯医者さんの玄関でした。

ちょうど治療が終わり、歯医者さんの玄関の外に出たときでした。

地が揺れ、堀の水が左右に揺れ、電線がブンブンと揺れ、うなっていました。

その後も、余震が続きました・・・。





2022年2月24日木曜日

上信のデキ

「上信電鉄のデキが整備され、オンラインでお披露目」とのTVニュースを昨日(2022_2_23)視聴。

このデキ、構内に置かれているとみて、今日、高崎アリーナのデッキに行ってみました。

見えました!居ました!


遠目ですが、きれいに整備されているようでした。

*コロナ禍が収まって、真近で動態姿のデキを見たいですね。





2022年2月21日月曜日

小山のEF80

 水戸線の電化を控えて小山に行ったのは、1967_2_22でした。

小山駅の東南で撮ったのは、EF80。

この一枚▼は、手前の貨車と連結する場面です。

新車状態?のEF80が「まぶしい」一枚になっています。


ブログ執筆中の2022_2_21、歌手・俳優のSさんの訃報を聞きました。特に同世代なので残念です。



夜行急行「おき」大阪に到着

1966_3_30 撮影の一枚は、大阪駅のDF50牽引の急行「おき」。

今では無くなった客車の「夜行急行」で、当時の(1966年1月号)時刻表を見ると・・・。


 出雲市21:10発で、大阪には6:49着。

この上り702レの編成は、(上井~大阪間)「荷」+(大社~大阪)「荷」+「1」+「寝B」+「寝2」+「2」×6輌+DF50の12輌だった。

なお、当時「大阪から山陰線へ」のルートでは、DC特急「まつかぜ」とDC特急「やくも」の2列車に次ぐ第3番目の優等列車でした。

東京~浜田間には、23レ24レ夜行急行「出雲」がありました。

*2022_2_21 は、北西の風が吹き荒れましたが、日没後には収まりました。