2022年12月31日、大晦日の一枚。
今日一日は、積極的に「撮り鉄」に取り組みました。
狙いは651系。
草津号や水上号など、臨時を含め7本撮りました。
頑張れば、もっと撮る機会はありましたが、7本が限界?でした。
はじめてカメラを手にしたのは、父親から買ってもらった富士フィルムの「ペット35」。小学6年生だった。その1960年代のはじめから撮り貯めた、とっておきの思い出鉄道写真と、今もバリバリ撮り続けている鉄道写真をエピソードと共に紹介します。
2022年12月31日、大晦日の一枚。
今日一日は、積極的に「撮り鉄」に取り組みました。
狙いは651系。
草津号や水上号など、臨時を含め7本撮りました。
頑張れば、もっと撮る機会はありましたが、7本が限界?でした。
1963年12月ごろの一枚。
先頭は2枚窓のクハ86形の湘南電車で80系。
高崎線の主力として活躍していましたが、のちに115系に置き換わりました。
撮影場所は、現在のぐんま車両センターで、1年ぐらい前の「高崎車両センター高崎支所」です。
カメラ誌は廃棄しましたが、鉄道誌の廃棄には躊躇している状況です。
また、1960年台や70年台のクルマやオートバイのカタログが、段ボール箱で2箱以上もありました。中には、めずらしいクルマもありましたし、なつかしいクルマもありました。
クルマにあこがれていた若き時代を思い出させる倉庫整理です。
この作業はまだまだ続きます。
2023年3月18日のダイヤ改正がJR東から発表されました。
その一つが、特急「草津」や「スワローあかぎ」号の変化で、
使用車両が651系からリニューアルのE257系に代わることです。
さらに特急「草津」号の名称が、特急「草津・四万」号になります。
四万(しま)温泉の最寄り駅であることを表に出したのでしょう。
思えば、651系は常磐線では交直流電車として誕生し、
直流化改造で185系に置き換わったのでした。
最近では、白いボディにサビが見られる編成も見かけました。
▼この一枚は、2022_9_23 撮影の「草津」号、上野行きです。
行路は上野→新潟でした。
このところ、185系の団臨が目立つようですが、もともと定期列車としては引退しているので、「団臨」運用が目立つのかもしれません。
お正月の「初詣臨」も走るようなので、まだ185系の走行シーンは見られるようです。
本日の編成は「B6」でもちろん「斜めストライプ」デザイン。
「後追い撮影」をアップしました。
共同通信の記事のようで、地元紙にも紹介されました。
電車の引退が一般紙で紹介されたのですね。
2編成とも新前橋の高崎車両センター所属なので、
何回かの撮影機会はありましたが、定期運用でないので、スジ調べが必要でした。
この「やまどり」の一枚は、2021_11_14撮影の臨時「モグラ」と「ループ」の運用時でした。(高崎操車場脇の高崎線で撮影。)
「華」ほうの撮影機会は、「やまどり」より少なく、数カットしか撮っていないようです。
最近「草津」「あかぎ」などで運用されている651系の白いボディーに塗装が浮いているのを見かけました。次の引退は、この651系でしょうか?
2022_10_16 は、鉄道開業150年を記念した「SL/DLぐんま よこかわ」が運転されました。
SLはD51498、DLはDD51895が牽引しました。
この一枚は、D51498が高崎到着後、客車を電留線に収納するときのものです。
ヘッドマークは、レンガアーチの橋梁を渡る一号機関車と客車、
周りを線路が囲み、「鉄道開業150th」の文字が描かれていました。
この10月は、テレビでも「鉄道関係」の番組がいくつか放映されていましたが、浅い内容が多かったように思えました。
「あのころの車」。
1961_10_3 カメラを持って市街地へ出かけました。
目的は、クルマの撮影。
今見ると、とても懐かしく思えます。
こんなクルマが走っていたのですね。
「軽3輪」のマツダK360。
背景は、当時の「富士銀行」だろうか?
クルマの通行も少なめだ。
マツダの「R360クーペ」も思い出しました。
碓氷峠でアプトの仕業についていたED42が、用途廃止になったのは1963_9_30 だった。
その後、廃車解体になる前に一時留め置かれた姿がこの一枚▼
場所は高崎第二機関区東の廃線跡。
撮影は、あれから59年。
10年前の一枚、 2012_9_26撮影。
上越新幹線の200系で、高崎駅で上りと下りが出会いました。
2編成が写っていますから、けっこう頻繁に走っていたのですね。
たった?10年前の一枚とは思えず、もっとずっと前のものと感じます。
この上越新幹線も来年の春には、E7・W7系だけになります。
10年前の一枚。
2012_2_4 上野駅13番線ホームで撮影。
当時このホームでは、乗車口看板によると、「カシオペア」や「北斗星」も発車していました。
写真の「あけぼの」は21時15分発でしたので、撮影は発車前の一枚というわけです。
牽引機は長岡の双頭連結機のEF6431でした。
10年という歳月も、今振り返れば、「あっという間」ですね。
特に年寄りは「感動」が少ないせい?で、短く感じると聞いたことがあります。
八ッ場ダム(ヤンバダム)の建設を控え、JR吾妻線の付け替えが行われたのは2014年でした。
この付け替えによって、岩島~長野原草津口間の旧JR吾妻線は廃線となりましたが、
一部の路線は新たな用途(二輪車型のトロッコ)、「吾妻峡レールバイク アガッタン(AGattan!)として、再出発しました。
▼「アガッタン線」ですが、残念ながら今日 2022_9_15は、平日の木曜日なのでアガッタンは休業中でした。電化柱も保存され、今でも185系や115系の電車がやってきそうな雰囲気です。
十年前の2012_3_12は、台湾の「撮り鉄」・・。
一人で行ったのではなく、某有名鉄道カメラマンの企画による「撮影旅」でした。
撮影地間の移動は、マイクロバスなので機動性がありましたが、冷房がききすぎて風邪をひいて発熱してしまいました。
この一枚の撮影は、「CK124」が先頭の臨時重連列車で、内湾線の竹中~上員間。日本のどこかのローカル線での撮影を思い浮かぶことができました。
沿線には、多くのファンが詰めかけていましたが、ここの撮影地は配慮があったのか?いいカットが撮れました。
2022年8月25日昼過ぎ、上信電鉄の上州新屋駅舎が新築移転されるのを前にして営業中の旧駅舎最後の姿を撮影した。
駅舎の移転は、道路の拡幅のためとのことで、新駅舎は線路の北側に新築され、駅前広場も整備されていた。
旧駅舎と新駅舎は、線路を挟んだ形で、この「景観」は旧駅舎の取り壊しまでとなっている。
▼画面左に新駅舎、右が今日で営業を終了する旧駅舎。
なお、新駅舎の使用開始は、8月26日の始発から。
2022_8_14は、北高崎へ。
狙いは、D51498牽引の「SLぐんま よこかわ」をスローシャッタで撮ること。
でも、意図したとおりには撮れませんでした。
その意図、とは・・・。
→機関助士さんをブレなく撮ること。
→機関車の動輪は「流れて」いることで動感をだすこと。
でも、何コマ連写してもダメ。被写体を追うタイミングがあいませんでした。
2022年の8月は、酷暑、集中豪雨で明けました。
EF15や16が牽引する普通列車でこの日、上越国境を越えて新潟に向かいました。
このあと長岡の手前の宮内で乗り換え、信越本線の鯨波で海水浴をしたのです。
その往路は「電機の三重連」の撮影▲という、貴重な一こまでした。
後に、東北本線の「蒸機の三重連」に魅了されたのは1967年ごろでした。
ひさびさの下りの「ELぐんまよこかわ」の撮影。
この一枚はEF641001牽引の「ELぐんまよこかわ」にぶら下がるC6120。
ココ信越線では、C6120は下り列車の先頭には立てず、常に上り方に連結されています。
撮影場所は、群馬八幡~安中間で、今まで撮れたお気に入りの場所は、「葦」が繁茂して撮影不可能になっていました。
草や木々の繫茂で、いままでとは同じようには撮れないのですね。
2022_7_20、 月刊誌「鉄道ファン」9月号を見た。
特集は「ブルートレイン熱中時代」で、
「EF6627 定期運用終了」など、興味深い内容でいっぱい。
今日の一枚▼は、2016_12_21 撮影のEF6630。高崎線の倉賀野や高崎機関区にまで関西からやってきた運用だった。倉賀野~新町間。
2017_3_改正のダイヤで、高崎線への乗り入れ運用は消滅している。
*「鉄道ファン」の裏表紙の「EOS R7」の広告も興味ある内容。
この春(2022年)のダイヤ改正で八高線にキハ111系の「単行」が走り始めました。
八高線の編成は今まで、2から3輌編成でしたが、今回は1両での運行が登場したのです。
1962_7_撮影のこの一枚、高崎線区間(倉賀野~高崎)を走る2両編成の「八高線準急」です。
画面左奥には、SLの煙が写っています。
「 大人の休日俱楽部」のパスを利用した4日間の旅は2年ぶり。
1日目は新潟経由で上杉の城下町「米沢」へ日帰りの旅。
電動アシスト自転車で、町をめぐりました。
この一枚は、帰路の米沢駅で撮った「E3系」。
歌舞伎の『隈取』の塗分けが新鮮でした。
2日目はラグビーの町、「釜石」への日帰り。
これも、電動アシスト自転車で町巡り。
3日目は、岩手県の「八幡平のトレッキング」を予定しましたが、
霧が深く、風雨が激しいので、単独では危険と思い、「ガイドと行く八幡平」のコースに変更。でも濡れに濡れまくった一日でした。
4日目も、風雨が強く半日、旅館で待機し、早めの帰宅としました。
そうそう、旅館での待機中は、石油ストーブにお世話になりましたよ。
下界では、梅雨も明け、猛暑になっていました・・・・。
今回4日間で、交通トラブルが2つありました。
〇一つは「こまち」関連で、倒木による不通が発生。「こまち1号」は盛岡で打ち切りになってしまいました。お客を下した「こまち」編成は、回送となってしまいました。
私は、今回は盛岡で下車し新花巻に向かったので、このトラブルには影響はありませんでした。
〇もう一つも「こまち」関連で、踏切事故での遅れでした。そのため「はやぶさ32号」は盛岡で「こまち」とは併結しないで東京に向かいました。
予定通りの旅ができることは、有難いことなのですね。
5月になって初めての投稿です。
あれよあれよという間に5月の連休が過ぎて、今日は2022_5_19になっていました。
今日の昼前、私にとって「めずらしい」動物を捕捉しました。
「イタチ」です。
日本中どこにでもいるそうですが?
実際、目の当たりにしたのは初めてでした。
それも、「線路端」で・・・・。
背景はJR貨物のEF652096が、高崎機関区から機走線を経て高操にはいるところです。
この一枚では、イタチが線路に「侵入」し、横断しています。
近くの原っぱで「キジ」は見かけるのですが、イタチはまさにはじめてで、最初はこの動物の名前はわかりませんでした。
これも「鉄道写真」。
1965_4_1 は、信越本線の西松井田駅が開業した日。
この駅は信越本線の横川電化により、旧松井田駅が移転されたあとの旧松井田駅の位置に作られたのです。
今なら、たくさんのファンで「激パ」だろうが、この時は関係者のみの人出でした。
画面の奥に祝賀電車が写っている。
57年前、私が立ち会った「現場」の一枚です。
1963_4 の撮影。
今のJR貨物の「高崎機関区」の検修庫前で撮ったEF636(ロクサン)。
この年の秋には、アプトが消え、ロクサンによる粘着運転が始まった。
ここ、高崎機関区には続々とロクサンが新製配置車が到着していたのです。
横川に行く前に整備がおこなわれていたのでしょう。
ピカピカのボディが懐かしい。
ロクサンの右に連結されているのはEF53。
画面向こうにはEF58の姿がチョッとだけ見え、蒸気が吹いている。
ロクサンとロクニでは、運転席の「窓枠」が「角かR」かでデザインが違っていた。
私的には、「角」のロクサンのほうが好みだった。
「群」の区名札のEF65501の去就が注目されている。
動態保存となるか、静態保存となるか、廃車解体か?
3月に「群馬車両センター」に改称した「高崎車両センター高崎支所」周辺には鉄道ファンらしき人が目立っています。狙いは、このEF65501やEF641001などの撮影のようです。
この一枚は、ダイヤ改正当日の2022_3_13に公道から撮影したものです。
2022年3月になって、初めての投稿です。
今日3月11日は、外出するのにとても快適な気候になりました。
そこで、
明日がJR東日本の「ダイヤ改正」なので、この改正で大幅に減少する「E2」新幹線を撮りに高崎駅に出かけました。
午前10時過ぎから数本、上越新幹線のE2系がやってきますので、駅撮りなので撮影効率はとてもいい時間帯でした。
*
11年前の3月11日、私がいた現場は、市内の歯医者さんの玄関でした。
ちょうど治療が終わり、歯医者さんの玄関の外に出たときでした。
地が揺れ、堀の水が左右に揺れ、電線がブンブンと揺れ、うなっていました。
その後も、余震が続きました・・・。
1966_3_30 撮影の一枚は、大阪駅のDF50牽引の急行「おき」。
今では無くなった客車の「夜行急行」で、当時の(1966年1月号)時刻表を見ると・・・。
この上り702レの編成は、(上井~大阪間)「荷」+(大社~大阪)「荷」+「1」+「寝B」+「寝2」+「2」×6輌+DF50の12輌だった。
なお、当時「大阪から山陰線へ」のルートでは、DC特急「まつかぜ」とDC特急「やくも」の2列車に次ぐ第3番目の優等列車でした。
東京~浜田間には、23レ24レ夜行急行「出雲」がありました。
*2022_2_21 は、北西の風が吹き荒れましたが、日没後には収まりました。