2023年12月23日土曜日

E653系初運行とアイスチューリップ

久々の「撮り鉄」は2023_12_23 。

常磐線のE653系7両編成が、当地から勝田まで運転された。

臨時列車名は、「冬を満喫! 海浜公園号」で初運行だった。

7時22分、当地を発車して勝田には10時16分に着いたことになっている。

帰路は、勝田を16時24分発の予定だ。

この一枚、冬の朝の低い日差しを受け、西上州の山を背に勝田に向かった。


運行チラシによると、海浜公園では「球根を冷蔵処理することによって冬に満開のアイスチューリップが咲きます」とありました。

なお、この列車は明日12月24日も運転されるとのこと。




 

2023年12月21日木曜日

86の行く手

寒い冬が来た。

1967_1_7は、その寒い雪の中だった。

花輪線の竜ケ森。

この駅をサミットとして、86(ハチロク)の三重連で有名だった。

↓通常はこの一枚のように、1両の86で貨物を牽引。


それでも、迫力は十分あったのです。

33‰の急勾配が、86の行く手に立ちはだかった懐かしの一枚です。


 

2023年12月20日水曜日

C58牽引貨物列車と踏切看板

 1965_12 ごろの一枚。

高操を発車して高崎駅方向に向かうC58牽引の両毛線の貨物列車。

写真手前の柵などは、踏切の注意看板などだ。

当時ではあたりまえだった「砂利道」を自転車が並走している。

その後方には、VHFアンテナが写っている。

東京から直接TV電波を受信したので、高いポールだ。

後に、榛名山中継所ができ、UHF電波の受信が可能になっている。


C58は高崎操車場を出たばかりなので、「煙」は十分。

画面左には、押し上げハンプに向かう入れ替え貨車列も写っている。



2023年12月14日木曜日

80系の時の流れを感じる一枚

 80系「湘南電車」のクハ86のデザインは、その後の私鉄も含めたくさんの車両のモデルとなった。

旧の80系の正面デザインは、3枚窓でしたが、この形から2枚窓になったものです。

撮影場所は、高崎線の倉賀野~高崎間。

編成両数を見ると、6両編成。


現在の高崎線の籠原以北では、グリーン車を含め10両で、

籠原以南は15両で運転している。

60年の時の流れを感じさせる一枚だ。

1962_7_11ごろの撮影


2023年12月9日土曜日

新型「コロナ禍」まえの新型「コロナ」

「Toyopet コロナ」は、長く低いボディですが、うわ部分が後ろに押された感じがします。

最初は997CCだったが、のち1453CCにアップしている。


「コロナ」の名前は、太陽のコロナをイメージしたようですが、輸出名は、貴婦人の髪飾りを意味する「ティアラ」。

当時の為替相場は、1ドル360円。日本国内価格の3分の1で輸出されたいたわけですので、良く売れたと想像できます。

この一枚は、市内のガソリンスタンド脇で撮影している。この右のスタンドは、立体交差計画で今は無い。1961_10_3 撮影シリーズ。

女性が道路を横断中だが、今では考えられない交通事情風景だ。



 

模型鉄

O(オー)ゲージの鉄道模型。
EH10形をまねたED10が客車1両を牽引している。
わが家の庭先に「三線のOゲージ」を敷設して撮った。
小学生から中学生にかけては、このような「模型」に興味を持っていた。
家の農業の手伝いをし、こづかいをもらって市内の模型屋さん(たしかイスズ模型)まで、自転車で買いにいっていた。
このころは、「プラモデル」が一斉に発売された頃と一致している。
艦船などは、まだ、プラスチックでなく「木製」であったので、工作には技術が必要でした。
自衛艦の「あさかぜ」など、50センチ級の護衛艦は、上手くできじまいだった。
この写真の鉄道模型、ED10は既製品でしたが、客車は板紙製の自作でした。
1962_10 ごろ撮影の一枚



2023年12月4日月曜日

いつかはクラウン

1961年10月の同じネガケースからのアップ。


今日の一枚は、「Toyopet クラウン」。

1956年版臨時増刊号の自動車雑誌「モーターファン」が手元にあるので諸元等を参考にしました。

この写真と違って、掲載誌の「Toyopet クラウン デラックスRS」では、フロントガラスが2枚分割でなく1枚なのに気づく。

「どこに出してもヒケをとらない国産車として、・・・誇るべき豪華車」とのコメントもあり、「いつかはクラウン」は、このころでも当てはまるようだ。

国産車では、当時でもトップクラスだったと思う。

なお、1960年の全日本モータショーでは、日産セドリックやプリンスニューグロリアなどが、ライバルだった。

★1960年5月撮影の一枚をプラス。

当地のドライブインに停車中の「クラウン」。


限られた人しか乗れないクルマだった。

軽井沢や新潟への分岐点で栄えたドライブインを背景に、「いつかはクラウン」を撮った小学6年生の頃の作品。



 

2023年12月3日日曜日

Toyopet マスター

又また「鉄」とは違う一枚。
1961_10 ごろの撮影は、
市内で撮影した「Toyopetマスター」。
クラウンに対する大衆車として発売され、エンジンなどはクラウンと共通だった。
4ドアで、6人乗り。
1500CC エンジン。
当時のモーター誌によると、製造元は同じトヨタ自動車工業ですが、クラウンの豪華さに比べと、「大衆車」をめざしたようです。


でも、トヨタとしての本当の大衆車は、700CCの「パブリカ」でしたね。



群馬大橋

 1960年5月ごろの一枚は、

自転車で小学校の友達と前橋に行ったときの「群馬大橋」。

左にその友人らしき人物の停車している姿が写っている。


遠景に目をやると、NHKの中継塔(電波塔)がうっすら見える。

現在、この辺にある「群馬ロイヤルホテル」は、元はNHK前橋放送局の跡地に建てられたようで、放送局については微かに記憶に残っています?

この群馬大橋も現在は下り線になり、上り線が平行して増築されています。

自分でも驚きました!

この一枚、63年前の昭和35年の撮影でした。