「上信電鉄のデキが整備され、オンラインでお披露目」とのTVニュースを昨日(2022_2_23)視聴。
このデキ、構内に置かれているとみて、今日、高崎アリーナのデッキに行ってみました。
見えました!居ました!
遠目ですが、きれいに整備されているようでした。
*コロナ禍が収まって、真近で動態姿のデキを見たいですね。
はじめてカメラを手にしたのは、父親から買ってもらった富士フィルムの「ペット35」。小学6年生だった。その1960年代のはじめから撮り貯めた、とっておきの思い出鉄道写真と、今もバリバリ撮り続けている鉄道写真をエピソードと共に紹介します。
1966_3_30 撮影の一枚は、大阪駅のDF50牽引の急行「おき」。
今では無くなった客車の「夜行急行」で、当時の(1966年1月号)時刻表を見ると・・・。
この上り702レの編成は、(上井~大阪間)「荷」+(大社~大阪)「荷」+「1」+「寝B」+「寝2」+「2」×6輌+DF50の12輌だった。
なお、当時「大阪から山陰線へ」のルートでは、DC特急「まつかぜ」とDC特急「やくも」の2列車に次ぐ第3番目の優等列車でした。
東京~浜田間には、23レ24レ夜行急行「出雲」がありました。
*2022_2_21 は、北西の風が吹き荒れましたが、日没後には収まりました。
高校時代の修学旅行は、1965年3月初旬だった。
なぜ3月かと言えば、大学受験を考慮したもので、高校2年生の修了時期でした。
旅行先は関西で、三重と京都と奈良、大阪だった。
この一枚▼は、1965_3_9撮影で、何線でどこで撮ったものかは不明。
使用カメラは、オリンパスペンSでハーフサイズ。
この旅行中、他には京都市電や山陰線のC57などの写真が残っている。