2021年4月28日水曜日

185系最後の一枚?

2年前の 2019_7_7 、わたしが185系を撮ったのは、▼これが最後の一枚だったかも?

列車名は復路の「谷川岳山開き号」で、B6編成だった。

「後追い撮影」なので、一抹の寂しさを感じさせる一枚になった。

「諸行無常」の理により、写真に写った映像は、すぐ過去のものとなっていくのですね。

いつものお立ち台で・・・。





2021年4月26日月曜日

(再掲)高崎操車場区画整理の一枚

 高崎操車場が縮小されてから、跡地の区画整理が行われ、

それまでは、高崎線の上下線はこの操車場を囲んでいたが、この辺りの下り線は上り線寄りに移設された。

▼写真をよく見るとELの姿も確認できる。


そして、空いた土地は住宅地として分譲された。

写真上方には、キリンビールの工場が写っているが、現在は撤退して森永や郵便の集配センターになっている。

1996_4_27 の撮影(ネガカラーで撮影したが、変色のためモノクロームに変換した)


2021年4月22日木曜日

EF652095疎開?

 JR貨物、新鶴見機関区所属のEF652095の高操到着を撮影。

いつもながら、からっ風の強い日でした。

定時でやってきました。

EF210にけん引された「ムド」でした。

この後は、高崎機関区方向に向かっていましたので、そこで疎開の期間を過ごすのでしょうか?

2021_4_22 撮影。


2021年4月21日水曜日

時の流れ

 1989_4_23 の一枚。

23年前の高崎車両センター(新前橋電車区)で開かれた鉄道フェア。

カメラは、一眼レフカメラだろうか、コンパクトカメラだろうか。

画面の右下に日付が入っている。

D51498の向こうには、EF551が見える。

撮影からほぼ四半世紀たっているが、写真のD51は現在も稼働中なので、時の流れを感じさせない。





2021年4月17日土曜日

桐生駅構内

(再掲)
桐生には1970年からの勤めで7年ほど通ったので、「ふるさと」感がある。
この7年以前の1968_5_3 にも桐生に行っている。
広い桐生駅の構内の様子がわかる。
C12が構内を走り、右奥のホームにはお客さんの姿も見える。
森繫久彌と三木のりへいの「各駅停車」のロケがあったのも、このころか。
C12形の印象は、この映画の影響が強い。
この桐生訪問の前後、何回となくC12を追って足尾線に通っているので、
このブログにも何回もアップしている。
桐生地区は、撮り鉄人生でも思い入れのある地だ。


2021年4月16日金曜日

485系改「リゾートやまどり」

2021_4_16 は、「リゾートやまどり」の回送を一枚。

ネットで「スジ」を検索して見つけたスジでした。

情報が本物かどうかわかりませんでしたが、お立ち台に行ってみました。

予定時刻になると、やってきました。

連写の一枚で、後追いのフレームからはみ出たカットです。

情報は本物でした。

この485系改造の「リゾートやまどり」には、何度か乗ったことがありましたが、いい電車です。

 

2021年4月13日火曜日

DLの終焉を見たような日

2021_4_13 は、GV-E197系を追った。

まず、いつものお立ち台である駅北へ。

事前の情報のとおりやってきました。

次は、この情報がほんとか、どうかを確かめに吾妻線の小野上駅へ。

居ました。

ちょうど砕石の積み込み試験中でした。

(右に見える重機は、「ヤマ」を均しています。)

重機の運転手さんのすばらしい操作で、1両分を積み込むのに10分程度でしょうか? 

みるみる間にホッパ車(GV-E196形)は満杯になりました。

4月13日は、DL(ディーゼル機関車)の終焉を見たような日になりました。


2021年4月12日月曜日

こんなシーンを見て育った

 1967_4_30 ごろの撮影。

鉄道写真の定型的な「編成写真」ではなく、「イメージ写真」。

線路際の、こんなシーンを毎日眺めながら育ちました。

1967年4月号の交通公社の時刻表を見ると、この列車は2004M 「第2とき」だとすれば、

17時5分過ぎの撮影だろうか?

ちなみにこの列車は新潟を13時40分に出て、上野には18時25分に高架の7番線に到着している。新潟~上野間に4時間45分かかっている。



2021年4月11日日曜日

俯瞰できるお立ち台

2021_4_11 は、高崎市役所の21階展望ホールへ。

あいにくの春霞の天気なので、遠目はかすんでいましたが、

レンズの性能なのか、カメラブレか、ピンボケかで、ピントのあまい一枚ばかり量産してしまいました。


来週、再びチャレンジしようと思います。

右上の新幹線の車両はE7系かW7系ですね。画面の道路は旧中仙道で、このまま手前に来ると高崎城がありました。江戸は右上方向です。

 

2021年4月10日土曜日

碓氷線丸山あたり

 1996_4 撮影だから、1年後の秋に碓氷線は廃線となりました。

撮影に精を出し通い詰めたのですが、いい写真は撮れずじまい。

それでも、「わが撮り鉄人生」のうちでも、思い入れのある碓氷線。

通った場所は、やはりここ「丸山」あたりが多かったと思います。

構図的には、右の小屋を(列車で)カットしたほうがよかったかな?


2021年4月8日木曜日

9両編成の「Maxたにがわ83号」?

2021_4_8 は、高崎駅新幹線ホームへ。

狙いは、前回と同じ「E4系Max同士(Maxたにがわ316号とMaxとき316号)の増結シーン」。

動画で撮影しました。

前回は増結周りに数人のファンがいましたが、今回は私ともう一人の2人だけ。

この秋の引退に向けて、この「シーン」は相当の激パになり、規制が加わると予想。

そのため、いまから記録を撮っておきたかったのです。

ところで▼この一枚は、Maxのパノラマ撮影。


でも、変な具合に作成されてしまいました。

9両編成の「Maxたにがわ83号」になってしまったのです。

カメラの動かし方が良くなかったのでしょう。

失敗作です。



2021年4月3日土曜日

「力あわせるぐんま号」のオハニ

2021_4_3 は、「力あわせるぐんま号」を撮影。

列車名の「力あわせる・・・」とは、郷土カルタ、「上毛カルタ」の「力あわせる200万人」から命名したようです。

*

まずは、高崎車両センター高崎支所から駅までの機走線で一つ。

続いて、駅北で発車をねらいました。

遠目ですが、駅で行われている「出発式」の動きがうかがえました。

最初は、駅のホームへ出かける案もありましたが、規制が加わるとの事前の情報があったので、ココに来ました。

▼「力あわせるぐんま号」の最後尾の「オハニ」です。近くにいる子どもに乗務員が手を振っているように見えます。




 

2021年4月2日金曜日

57年前の「聖火リレー」

前回、1964年の東京オリンピックの「聖火リレー」を再度アップ。

確か、1964_10_6 とネガケースに書いてあったので、この日に当地を通過したのでしょう。撮影地は高崎市南部の旧国道18号線(中山道)。

伴走者が立ち止まっている中を聖火トーチが通過。

短パンにランニングシャツを着ていますが、緊張している感じですね。

トーチのデザインも簡素でした。

屋根に上って見学しているのがすごい!

57年前の一枚▼。




2021年4月1日木曜日

奥中山の俯瞰

 1968_4_1  の撮影は、東北本線の御堂~奥中山間の俯瞰。

ここは、「D51三重連」でファン人気のお立ち台でした。

ここを通過するD51の編成は、D51+D51+貨車+D51の組成もありました。

でも、人気はD51+D51+D51+貨車の編成でしたが、

日に何本もありませんでした。

ここには数回行きましたが、その間、電化ポールが次々に立ち、架線も張られていきました。

写真を見て気づくのですが、2両のD51の煙は左に流れています。
列車の速度より、後ろからの風速のほうが強い(早い)のですね。