1964_3 撮影の「FIAT 1500」。ヘッドライトは横4灯。
今この車が走っていても、時代に合うだろう。
昭和39年の東京オリンピック開催の年だった。
名神高速道路もでき、首都高もでき、クルマ社会の到来だった。
当地では、碓氷峠のアプトが消え、ロクサンの粘着運転が始まっていた。
そんな昔のクルマなのに、「古さ」を感じるとことがない。
はじめてカメラを手にしたのは、父親から買ってもらった富士フィルムの「ペット35」。小学6年生だった。その1960年代のはじめから撮り貯めた、とっておきの思い出鉄道写真と、今もバリバリ撮り続けている鉄道写真をエピソードと共に紹介します。
1964_3 撮影の「FIAT 1500」。ヘッドライトは横4灯。
今この車が走っていても、時代に合うだろう。
昭和39年の東京オリンピック開催の年だった。
名神高速道路もでき、首都高もでき、クルマ社会の到来だった。
当地では、碓氷峠のアプトが消え、ロクサンの粘着運転が始まっていた。
1963年3月ごろのモータショー。
高崎市の城南球場で開催されてた。
クルマのカタログが欲しくて裏家の親戚にもらって手に入れた記憶がある。
たしか、プリンスのスカイラインだと思った。
当時のカタログは、カラー写真でなくカラーのイラストだった。
▼1.5リッター日産セドリックで、前照灯が立て並びに配置されていたのが特徴。写真的には、ブレが生じているのが、難だが。
それにしても、クルマは憧れの的だった。三菱500やらスバル360やら、トヨタパブリカなどが国民車とされた。
軽三輪では、ダイハツミゼット、マツダK360などがあった。
なお、この写真のセドリックデラックスの価格は、東京渡し現金として1,015,000円だった。今の価格に換算すると、何と「1/10」ぐぐらいか?