1997年7月。
横川~軽井沢間、碓氷線での一枚。
まだ、デジカメが一般的でなかったときなので、フイルムでの撮影。
編成写真でなく、風景あるいはイメージ写真のつもりだった。
この年の、秋、9月30日には廃止された路線だ。
はじめてカメラを手にしたのは、父親から買ってもらった富士フィルムの「ペット35」。小学6年生だった。その1960年代のはじめから撮り貯めた、とっておきの思い出鉄道写真と、今もバリバリ撮り続けている鉄道写真をエピソードと共に紹介します。
1997年7月。
横川~軽井沢間、碓氷線での一枚。
まだ、デジカメが一般的でなかったときなので、フイルムでの撮影。
編成写真でなく、風景あるいはイメージ写真のつもりだった。
この年の、秋、9月30日には廃止された路線だ。
2021_7_20 は、秋田のキハ40系3連の甲種輸送を狙った。
まずは、高操までの一枚。EH200の4号機が牽引していました。
そして、高操到着後の様子は・・・・▼。
すでに夜間帯に入っているので、2秒タイマーを使ったバルブで撮影。
今夜、2時49分までは、ここで夜明かしをしているはずだ。
小湊鉄道での活躍が楽しみです。2021_7_17の土曜日は、D51498を狙った。
いわゆる「重装備」になったのを確認するためだ。
この装備は、2010年の春に披露され、2011年には、元の装備に戻っていた。
ところが、この1週間ほど前から、再び「重装備」に戻ったというのです。
▼右後ろからで、わかりにくいかもしれませんが、「後藤工場風デフ」や「長野工場風集煙装置」の「重装備」が確認できます。デフには、「動輪」マークも見えました。
水上を目指す「SLぐんま みなかみ」。
別件ですが、「Rail Magazine」2021年9月号(№450)の「NEWS SCRAMBLE」ページに工臨の投稿記事が掲載されました。
当地は2021_7_16、「梅雨明け」となった。
この日の昼過ぎ、久しぶりにE131系を待った。
いつものお立ち台は、倉賀野駅西方。
4両編成のこの新車は、500番台の相模線用のG01で、初登場だ。
この写真で見ると、機関車で回送中なのに、「パンタ」が上昇してるのが興味深い。
BSフジで中央線の特急「あずさ」の誕生話が紹介された。
1966_12_12 新宿から下り第一「あずさ」は、初列車として松本をめざしていた。
私は、前日の夜行で松本に行き、松本発の上り第一「あずさ」の初号列車に乗車。
→この辺のことは、このブログに何回か掲載しているので、またか?となるが・・・・
当時の時刻は
下り第一「あずさ」 新宿8時発、松本11時57分着
上り第一「あずさ」 松本8時発、新宿11時58分着
で、それぞれ午後には第二「あずさ」もあった。
▼この2枚の写真は、松本発の第一「あずさ」に乗車中、下り線を通過する新宿発の第一「あずさ」を撮影したもの。上りの第一「あずさ」には、記念のデコレーションがかざってありましたが、この写真で見ると、下りの第一「あずさ」には、デコレーションはなかったようです。
4年前の 2017_7_9 は、高崎駅ホームへ。
「東北新幹線開業35周年記念号」がやってきたのです。
しかもE5系で・・・。
高崎駅でE5系が撮影できる機会は、ありませんでしたので、貴重な一コマになりました。
1986_8_2 は、「EF55 GOGO TRAIN」の運転日。
たしか?上野から水上までの行程だっかたか?
EF551の復活は、鉄道ファンを熱狂させた。
ここ高崎駅下り方ホームにたくさんの「撮り鉄」が写っているが、
カメラでなく、ビデオを担いでいるファンもみられる。
復活したのは、1号機。
1968_7_11 には、東北の尻内機関区を訪問。
尻内とは、今では八戸のことでしょうか?
尻内機関区は、東北本線の盛岡以北の基地のひとつだった。
D51が多数配置され、活気があった。
そんな光景はもう見られない。
53年も前の一枚▼。