めずらしい車両を見つけました。
車体の表記は、「MALTI TASKER 810N2」 で、JR東日本の東京工事事務所の操重車です。
最大吊り上げ能力は、73.5tとも書いてありました。
公道からの撮影ですので、形式写真としては障害物が入り込んで物足りません。
2021_12_22 撮影
はじめてカメラを手にしたのは、父親から買ってもらった富士フィルムの「ペット35」。小学6年生だった。その1960年代のはじめから撮り貯めた、とっておきの思い出鉄道写真と、今もバリバリ撮り続けている鉄道写真をエピソードと共に紹介します。
2021_12_17 JR東の来春のダイヤ改正が発表されました。
上越新幹線関係では、E2系12本がE7系になるとのことです。
今年、E4系がラストランを終えたばかりですが、
来年の秋には今度は、E2系がラストランを迎えるのでしょうか。
今日の一枚▼は、2021_9_15 撮影のE2系で、高崎駅に進入するカットです。
昨日と今日は、EF641001とEF65501のpush pull編成を捕捉に近場へ。
この一枚▼は、朝の上り回送で、
夕方の高崎までの上りは、新前橋では日没後になるので、撮影は限界だった。
Twitterを見ると、伊勢崎~駒形間などは激パだったようですね。
2021_11_28 撮影。
C6120が大宮から高崎車両センター高崎支所に帰ってきたあと、2021年11月15日から試運転が行われています。
駅南の電留線や上越線での本線試運転時には、出区時に「汽笛」が自宅にも聞こえてきました。
「ああ、今日は試運転があるのだな?」と確認できました。
2021_11_19 ▼の一枚は、ロクヨンEF641053です。
ロクヨンの37と1052号機が秋田に回送されたあと、この機番のロクヨンが最近引っ張りだこになっています。
2021_11_13 は、「DL/ELぐんま よこかわ」を追った。
往路の「DLぐんま よこかわ」は、群馬八幡~安中間で、復路は北高崎~高崎間で待ち構えた。
特に、北高崎付近では小学生と一緒だった。
5~6年生ぐらいだったが、ニコンの一眼で本格派?だった。
「撮り鉄」情報も豊富な感じで、モニターを見せてもらったが、撮った写真も「水準」だった。
この一枚▼は、復路の「ELぐんま よこかわ」が高崎駅に到着後、12系客車5両を電留線に押し込んでいるようす。
JR東の電気機関車の廃車削減情報を受けてか、最近電気機関車の人気が高まっているように見えます。
2012_3_6 撮影の一枚は、「茶色のEF641001」がけん引している「工臨」です。
2021_11_10 には、秋田で整備を受けたEF641001が、高崎車両センター高崎支所に帰ってきたようです。
塗装は、国鉄色の「青色」でした。
*
好みからいえば、「茶色」のほうが好きです。
2005_11_26 には、駅南の電留線で「電車・機関車大集合」が催された。
EF551の展示は、このときの目玉だったと思う。
コロナ禍で、こういったイベントが中止されていましたが、あちこちでイベントの開催情報が、伝えられているのは喜ばしい。
2021_10_22 は、高崎駅の新幹線ホームへ。
10月1日にE4系の定期運行が終了したことから、E7系ばかりが目立つようです。
そうなると、E2系の存在は貴重になってきますね。
現美新幹線が消え、E4系が消え、そして来春には「とれいゆ つばさ」が消えていきます。
かつて、「0系新幹線」が登場したころ、写真に収める人は少なかった?と聞いたことがあります。
また、「DD51」登場のころもそうでした。
私自身、「200系」新幹線の撮影コマは、皆無に等しい有様です・・・。
ここ毎日、線路端へ出かけている。
2021_10_20 は、E131系600番台日光線用の配給だった。
TN9とTN10編成で、小山所属の新車。
冬季の配給だと雪と泥で新車の車体がよごれるが、今回はピカピカのままで、「新車の香り」をただよわせていた。
牽引機は、EF641032で、両頭連結器をもっていることから、
電車でも客車でも貨車でも牽けるので、廃車の配給でも重宝さをもっている電機だ。
2005_11_26の撮影だから、16年前の一枚▼。
D51498は、
①補助(前照)灯がないこと
②主灯に庇(ひさし)がついていること
の2点が現在と異なっている。
ちなみに、撮影地は、高崎駅南の電留線で開催された「電車・機関車大集合」の会場でした。
*今日、2021_10_14はE131系500番台の配給がありいつものとおり、ロクヨンが牽引していました。
E4系の最終列車を見に駅に・・・
16両編成のE4系は、「たにがわ」と「とき」の348号、21時39分発が上りの最終だ。
(このあと、22時11分発の8両編成の「たにがわ」416号が本当の最終。)
駅13,14番線ホームは、大勢のファンでいっぱいで、
小さな子や小学生を連れた親子連れもめだちました。
駅が用意した「Max ありがとう」の横断幕の前で、駅長さんたちと記念写真に納まっていました。
▼2階だての1階の窓枠は、ホームの高さすれすれ。通常の列車では味わえない高さ。この感覚は今日限り。2021_10_1撮影。
高崎車両センター高崎支所の「EF6437」が大宮の鉄道博物館で展示されていたが、今日(2021_9_28)夕方18時30分過ぎ帰還した。
以前一時、廃車報道もあったが、元気に単機で帰ってきて喜ばしい。
▲町の明かりの中、基地に帰るロクヨン37号機。
2021_9_28 は、「小野上工臨」で使われている「ホキ800」の廃車回送。
朝、食事もそこそこに小野上駅まで出かけました。
1時間ちょっとかかりましたが、
すでに、ファンが数人・・・。
ホキ800は、空車の7両が留置されていました▼。
10時少し前、けん引機のDD51842が、単機でやってきました。
(この時点で、ファンの数は20名ほどに増えていきました。)
機回しと入れ替えの結果、上りホームに据え付けられた回送編成は、11時30分少し前、「ピーッ」という汽笛を残して発車していきました。
今後は、「長野」に向けて「廃車回送」されるようです。
2021_9_23 は、東北DCからD51498と(SL伴走車)オヤ121、4両の12系客車の帰還回送を狙った。
*帰還とは本来戦場などから帰ることを言いますが・・・。
牽引機はEF81。
高操南のお立ち台は、珍しく大勢のファンでいっぱい。
そこで、場所を変えて高崎機関区南で待機したが、
逆光ぎみの場所なので、後追いで撮影▼。
D51の後藤工場風デフは元にもどされていましたが、輸送のためか、煙突にはフタがかけられてるようでした。
2021_9_20の投稿は、「山と新幹線」の2回目。
背景は「赤城山」。
地元の上毛カルタでは、「すそ野は長し赤城山」と詠われている山で、100キロ以上離れている「東京スカイツリー」からも望める。
標高は1828メートルで、我が家からも見ることができる。
高架橋を走り抜けるのはE7W7系新幹線で、東京までは50分ほどで着く。
画面左のビルは、群馬県庁だ。
よく見ると、(画面内に)トンボが映り込んでいる。
上越新幹線のE4系のLast Runを目前に、「山と新幹線」をテーマに撮影。
上州の山の背景には、「谷川岳」が欲しいのですがうまくいきません。
代わりの、この一枚の背景は「子持山」で、
E7W7系を配しました。
当地からは存在感のある山です。
このお立ち台からは、角度を変えれば、「赤城山」も撮れますが、残念ながら頂上付近の雲が切れていませんでした。
あすも晴れるようなので、再挑戦しようと思います。
ちなみに、10月2日からはE4系に代わってE7系が走るので、この区間の車両はE2系とE7W7系の2種類しか撮影できなくなります。
2021_9_19撮影。
「 sayonara E4series」 のポスター。
文面は、「2階だて新幹線 みんな大好き」。
13・14番線ホームに上る階段の壁に掲示されていました。
というのは、2021_9_15 の今日、
E4系の「Last Run」があと2週間と近いので、駅に出かけたのです。
今日一番の狙いは、「MaxたにがわとMaxとき」の併合シーンの撮影。
11時36分発でしたが、20分まえごろからファンが集まり始めてきましたが、
平日の水曜日とあって、それほどの混雑ではありませんでした。
でも、・・・・「混雑によってはロープでの規制」がかかる旨の予告posterも張ってありました。
1984_11_3 は、入間の航空祭へ・・・。
今でいえば、まさに「密」状態でした。
家族そろって、クルマで出かけましたが、
この手の駐車場事情は大変厳しく、入場出場に相当の時間の覚悟が必要でした。
それでも、年に一回のショーなので我慢我慢でした。
「鉄」だけでなく、「ヒコーキ」にも関心がありましたが、その後本格的にのめりこむことはありませんでした。
2021_9_8 になってようやく9月分の投稿がスタート。
この一枚は、1997_9_28 撮影の「特急あさま」。
この区間が廃止になって、もう24年になろうとしている。
写真は現在を撮っても、すぐにその写真は過去の一枚になる性質を持っている、不思議さがある。
かつては「SLの録音」にも精を出したことがあったが、碓氷線廃止のこの頃は写真だけだったのが、悔やまれる。
それでも、脳裏には「ロクサン」の汽笛やブロア音が焼き付いているようだ。
「E4系 Max」が10月1日に定期運行を終える。
9月4日、5日には高崎駅でオリジナルグッズの販売があるとの新聞発表があり、いよいよラストランを迎える。
思えば、上越新幹線開業時に高崎駅に出向いたり、200系の最終に立ち会ったり、E1系や長野新幹線のE2系の最終に立ち会ったりの「撮り鉄人生」を歩んできた。
▼2021_8_30 高崎駅14番線では、先着の「Maxたにがわ」(右)に新潟からの「Maxとき」が連結され、11時36分、16両編成で東京に向かう「316号」。
このシーンを記録におさめるため、多くのファンが集まるので、すでに「警戒」の職員が配置されている。
1996_7 撮影の一枚。
C58363とD51498との重連のアップを新前橋~井野間で撮りました。
キャブの区名札は「高運」が差してあります。
長野新幹線開業の1年前、碓氷線廃止の1年前の年に、
こんな魅力的な列車が走ったのですね。
去年の2020年には、新型コロナの影響で、八高線のSL運転は中止になりました。
ここ1,2年も、いろいろなことが、あったり、なかったりの人生録です。
1997年7月。
横川~軽井沢間、碓氷線での一枚。
まだ、デジカメが一般的でなかったときなので、フイルムでの撮影。
編成写真でなく、風景あるいはイメージ写真のつもりだった。
この年の、秋、9月30日には廃止された路線だ。
2021_7_20 は、秋田のキハ40系3連の甲種輸送を狙った。
まずは、高操までの一枚。EH200の4号機が牽引していました。
そして、高操到着後の様子は・・・・▼。
すでに夜間帯に入っているので、2秒タイマーを使ったバルブで撮影。
今夜、2時49分までは、ここで夜明かしをしているはずだ。
小湊鉄道での活躍が楽しみです。2021_7_17の土曜日は、D51498を狙った。
いわゆる「重装備」になったのを確認するためだ。
この装備は、2010年の春に披露され、2011年には、元の装備に戻っていた。
ところが、この1週間ほど前から、再び「重装備」に戻ったというのです。
▼右後ろからで、わかりにくいかもしれませんが、「後藤工場風デフ」や「長野工場風集煙装置」の「重装備」が確認できます。デフには、「動輪」マークも見えました。
水上を目指す「SLぐんま みなかみ」。
別件ですが、「Rail Magazine」2021年9月号(№450)の「NEWS SCRAMBLE」ページに工臨の投稿記事が掲載されました。
当地は2021_7_16、「梅雨明け」となった。
この日の昼過ぎ、久しぶりにE131系を待った。
いつものお立ち台は、倉賀野駅西方。
4両編成のこの新車は、500番台の相模線用のG01で、初登場だ。
この写真で見ると、機関車で回送中なのに、「パンタ」が上昇してるのが興味深い。
BSフジで中央線の特急「あずさ」の誕生話が紹介された。
1966_12_12 新宿から下り第一「あずさ」は、初列車として松本をめざしていた。
私は、前日の夜行で松本に行き、松本発の上り第一「あずさ」の初号列車に乗車。
→この辺のことは、このブログに何回か掲載しているので、またか?となるが・・・・
当時の時刻は
下り第一「あずさ」 新宿8時発、松本11時57分着
上り第一「あずさ」 松本8時発、新宿11時58分着
で、それぞれ午後には第二「あずさ」もあった。
▼この2枚の写真は、松本発の第一「あずさ」に乗車中、下り線を通過する新宿発の第一「あずさ」を撮影したもの。上りの第一「あずさ」には、記念のデコレーションがかざってありましたが、この写真で見ると、下りの第一「あずさ」には、デコレーションはなかったようです。
4年前の 2017_7_9 は、高崎駅ホームへ。
「東北新幹線開業35周年記念号」がやってきたのです。
しかもE5系で・・・。
高崎駅でE5系が撮影できる機会は、ありませんでしたので、貴重な一コマになりました。
1986_8_2 は、「EF55 GOGO TRAIN」の運転日。
たしか?上野から水上までの行程だっかたか?
EF551の復活は、鉄道ファンを熱狂させた。
ここ高崎駅下り方ホームにたくさんの「撮り鉄」が写っているが、
カメラでなく、ビデオを担いでいるファンもみられる。
復活したのは、1号機。
1968_7_11 には、東北の尻内機関区を訪問。
尻内とは、今では八戸のことでしょうか?
尻内機関区は、東北本線の盛岡以北の基地のひとつだった。
D51が多数配置され、活気があった。
そんな光景はもう見られない。
53年も前の一枚▼。