1960_5_10 、現在の「フジマート 上佐野店」あたりにあった「東急高崎ドライブイン」。東急バスが東京~長野間を運行していたので、途中の休憩所になっていたらしい。
まだ新築らしく、瓦も新しい。
「トヨタのクラウン」を撮ったものだが、タイヤの側面が「白い」タイヤだ。
ここは、このあと病院ができ、交差点は立体交差になりスーパーが出来て、今日に至っている。
58年前、昭和35年の高崎だ。
はじめてカメラを手にしたのは、父親から買ってもらった富士フィルムの「ペット35」。小学6年生だった。その1960年代のはじめから撮り貯めた、とっておきの思い出鉄道写真と、今もバリバリ撮り続けている鉄道写真をエピソードと共に紹介します。
2018年9月30日日曜日
2018年9月27日木曜日
「上信 700形」先行見学会の話題
上信電鉄へ「JR 107系」が譲渡されて1年たちます。
2018年9月26日、上信電鉄が発表した「上信電鉄感謝フェア2018」の開催チラシの中で、「700形先行見学会」の見出しがありました。
107系は「上信 700形」になるようです。
ということは、700形が実際に運用されるのは、「感謝フェア」以降となるのでしょう。
▼2018_9_24 高崎アリーナの通路から見た留置されている「107系」群。本線を通過するのは、「上信 7000系」。
2018年9月26日、上信電鉄が発表した「上信電鉄感謝フェア2018」の開催チラシの中で、「700形先行見学会」の見出しがありました。
107系は「上信 700形」になるようです。
ということは、700形が実際に運用されるのは、「感謝フェア」以降となるのでしょう。
▼2018_9_24 高崎アリーナの通路から見た留置されている「107系」群。本線を通過するのは、「上信 7000系」。
2018年9月24日月曜日
非常渡り線
「昭和の高崎」の一枚。
1959_4 、昭和34年撮影。
高崎第二機関区から高崎操車場への「非常渡り線」。
架線も張られている。
写真は東から西をみたもの。
すぐ南隣に地下トンネルがあるので、この渡り線が実際使われたのを見たことはない。
その代り、1963年秋のアプト廃止後、廃車予定のED42が10両ほどここに長く留置されていたのは、鮮明に覚えている。
画面とおくには、第二機関区の検修庫が、右には蒸機の給水塔が見える。
この二つの鉄道施設は、2018年の今も存在している。
手前の、二本のレールはすでに撤去され、跡地は雑草がはびこっている。
1959_4 、昭和34年撮影。
高崎第二機関区から高崎操車場への「非常渡り線」。
架線も張られている。
写真は東から西をみたもの。
すぐ南隣に地下トンネルがあるので、この渡り線が実際使われたのを見たことはない。
その代り、1963年秋のアプト廃止後、廃車予定のED42が10両ほどここに長く留置されていたのは、鮮明に覚えている。
画面とおくには、第二機関区の検修庫が、右には蒸機の給水塔が見える。
この二つの鉄道施設は、2018年の今も存在している。
手前の、二本のレールはすでに撤去され、跡地は雑草がはびこっている。
1961年「マツダK360」を撮影
「昭和の高崎」の写真集が発売されるらしい。
そこで、私なりの一枚。
田町の元富士銀行の交差点だろう。
写真の軽三輪車は、「マツダのK360」。
マツダでは、初めての「軽三」らしい。
この日、1961_10_3 は、カメラをもって町めぐりをしている。
でも、撮ったのは、このような自動車ばかりでした。
もっと、背景を広く撮っておけば、町のようすがわかっただろう。
それでも、こんな写真が36コマ写っているのは、今となっては貴重だ。
そこで、私なりの一枚。
田町の元富士銀行の交差点だろう。
写真の軽三輪車は、「マツダのK360」。
マツダでは、初めての「軽三」らしい。
この日、1961_10_3 は、カメラをもって町めぐりをしている。
でも、撮ったのは、このような自動車ばかりでした。
もっと、背景を広く撮っておけば、町のようすがわかっただろう。
それでも、こんな写真が36コマ写っているのは、今となっては貴重だ。
2018年9月20日木曜日
高崎操車場のDE11
1983_11_6 撮影の高崎操車場。
高崎操車場の高崎寄りから、ハンプに貨車を押し上げているDE11。
撮影から半年後の1984_2_1 には、このヤード経由の操車場は廃止され、機関車の付替え機能の施設となっている。
この後、1987年4月1日には、JRが発足。
右の高架は、下之城跨線橋。手前の線路は、高崎線の上り線。右に車掌車「ヨ」があるのは、上りの到着線。
高崎操車場の高崎寄りから、ハンプに貨車を押し上げているDE11。
撮影から半年後の1984_2_1 には、このヤード経由の操車場は廃止され、機関車の付替え機能の施設となっている。
この後、1987年4月1日には、JRが発足。
右の高架は、下之城跨線橋。手前の線路は、高崎線の上り線。右に車掌車「ヨ」があるのは、上りの到着線。
2018年9月15日土曜日
「碓氷新線」廃線直後の「バスのりば」案内表示
21年前の軽井沢駅上りホーム
1997_9 の軽井沢駅上りホームを駅北から撮影。
EF63を「あさま」に連結しているところ。
長野新幹線のホーム覆いも工事中です。
この年の、9月30日に横川~軽井沢間の「碓氷新線」、11・2キロは廃線となった。
昨日、2018_9_14 に「旧碓氷線」のめがね橋に行ってきたが、廃線となった「碓氷新線」は、レールや架線はあるものの、木々が生い茂っていました。
あれから、21年たったのですね。
EF63を「あさま」に連結しているところ。
長野新幹線のホーム覆いも工事中です。
この年の、9月30日に横川~軽井沢間の「碓氷新線」、11・2キロは廃線となった。
昨日、2018_9_14 に「旧碓氷線」のめがね橋に行ってきたが、廃線となった「碓氷新線」は、レールや架線はあるものの、木々が生い茂っていました。
あれから、21年たったのですね。
2018年9月9日日曜日
またE257系500番台
また、E257系500番台。
7月以来3回目です。
今月下旬にもやって来ます。
今日は、駅南のアリーナ脇で撮った上りの回送。
本当は、高崎操車場でお客さんの乗った一枚を撮ったのですが、
「ファイルが壊れた」とのことで、復旧できませんでした。
それにしても、当地にはめずらしい塗り分け、色使いの車両です。
今後も、次々とやってくるようです。
7月以来3回目です。
今月下旬にもやって来ます。
今日は、駅南のアリーナ脇で撮った上りの回送。
本当は、高崎操車場でお客さんの乗った一枚を撮ったのですが、
「ファイルが壊れた」とのことで、復旧できませんでした。
それにしても、当地にはめずらしい塗り分け、色使いの車両です。
今後も、次々とやってくるようです。
2018年9月5日水曜日
185系の後継になるかな?E257系500番台
2018_9_5 高崎線。
E257系が7月以来再びやってきた。
戸塚から沼田までお客さんを届けた、帰りの列車。
幕張車両センターの500番台、NB12編成だった。
太陽光の加減でこの撮影地では正面が隠れる一枚に対して、
これは最後尾だが、好く陽が当たっている。
でも、構図的には、ダメの一枚。
185系の廃車のニュースを聞くと、後継はこのE257系になるという実感が重みを増す。「菜の花と海」をイメージした「BOSO」特急らしい色彩が新鮮だ。
E257系が7月以来再びやってきた。
戸塚から沼田までお客さんを届けた、帰りの列車。
幕張車両センターの500番台、NB12編成だった。
太陽光の加減でこの撮影地では正面が隠れる一枚に対して、
これは最後尾だが、好く陽が当たっている。
でも、構図的には、ダメの一枚。
185系の廃車のニュースを聞くと、後継はこのE257系になるという実感が重みを増す。「菜の花と海」をイメージした「BOSO」特急らしい色彩が新鮮だ。
2018年9月2日日曜日
横川を発車した「白山」
2018_9_2 の投稿は、1997_9_28 の一枚。
碓氷線の横川~軽井沢間の廃止の3日前。
翌年には、冬季長野オリンピックが開催された。
横川を発車した、特急「白山」がEF63に押され、横川を発車した。
「白山」は、ボンネットの、「こだま」形。
撮影から、すでに21年になる9月をむかえた。
碓氷線の横川~軽井沢間の廃止の3日前。
翌年には、冬季長野オリンピックが開催された。
横川を発車した、特急「白山」がEF63に押され、横川を発車した。
「白山」は、ボンネットの、「こだま」形。
撮影から、すでに21年になる9月をむかえた。
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