2020年6月30日火曜日

161系「とき」と懐かしの風景

梅雨空の中、毎日「畑仕事」に励んでいます。
2020年の今年度もスイカ、キュウリ、ナス、トウモロコシ、サツマイモ、トマト、インゲン、キャベツ、ネギ、サトイモが植え付けられています。
特に楽しみは、スイカとトウモロコシです。
スイカは20玉ほどが実っていますが、課題は「熟期」です。

1966_7 撮影の一枚は、流し撮りで撮った161系上りの「とき」です。
手前は、懐かしの風景の「庭」。
流れている周囲をよく見ると、物置と物置に収められた耕耘機に牽かせたトレーラ―、麦踏みローラー、水栓、堀に渡された石橋、洗濯ものを干す台、「見張り所」と言われた建物など懐かしの風景が広がっています。
半世紀前の一枚。

2020年6月23日火曜日

霧の中のロクニ

1966_7_23 には、軽井沢へ撮り鉄に・・・。
この時は、臨時の165系「碓氷」に乗車。
この「碓氷」には、大きなヘッドマークが付けられていたのです。
軽井沢で下車し、横川方の峠方向で撮ったのがこの一枚。
EF62(ロクニ)けん引の貨物列車です。
碓氷峠は「片峠」と言われ、軽井沢方は高原状ですが、横川方は急坂。
あいにくの?霧の中を急坂を越えてやってきたのがこの列車です。


「暖房車」って知っていますか?

「暖房車」って知っていますか?
この一枚は、その「暖房車」の「ヌ」。
蒸気機関車けん引列車は、スチーム暖房になっていたのですが、電気機関車だと、蒸気が得られませんので、電化区間で電気機関車けん引列車には、この「暖房車」が必要でした。
特に高崎・上越線を走る客車列車にめだちました。
蒸気発生装置のない、EF53やEF60の100番台などの次位にはこれが付いていました。
後のEF58には、蒸気発生装置が付いていましたので、EF58の配備につれ、徐々に「暖房車」は廃車になりました。
その、廃車前のひと時、ここ高崎第二機関区の東に留置されていたのです。
1963_7 撮影。



ブルートレイン「あさかぜ」を高崎で撮影

1964_6 の撮影。
現在の高崎車両センターに疎開していた東京~博多間のブルートレイン「あさかぜ」用20系寝台列車。このころの「あさかぜ」には、1等寝台中心の編成変えが行われていたようだ。
背景の左には、「日本製粉」の木造の工場が見える。
56年という「半世紀」を経たこの一枚の写真、当時は大したことないと思っていても、今となってはとても貴重に思えている。
現在のここは、211系や651系などの整備留置基地になっている。



新製配備の「ロク二」

1963_7 撮影のEF62形。
高崎に新製配備された「ロク二」。
形式写真であれば、「パンタ」が上がっているのがいいのですが・・・。
この年の7月15日には、碓氷線の横川~軽井沢間が粘着運転を開始。
この日(7月15日)からは、アプト鉄道と粘着運転が併用されて、9月末になってアプトは廃止になりました。
なお、これらの「ロク二」はあまりにも身近であったので、撮影コマが少ないのは残念です。

2020年6月8日月曜日

高崎駅のD50

6月になったと思ったらもう、今日は2020_6_8。
ブログの更新をだいぶさぼっていました。
1962_6_10撮影の高崎駅ホームのD50321けん引の旅客列車をアップします。
このコマ、実は「ブレ」の一枚だったのです。
それまで、引き延ばしもしなかったので、普通に撮れていたと思っていましたが、
パソコンで今日見ると、「ブレ」写真でした。
それでも、貴重な一枚。
信越本線の横川までは、まだ、電化していなかったので、このD50が各駅停車を引いていたのですね。
58年も前の一枚となりました。
このころの撮影ですので、使用カメラは「富士のペット35」です。