2023年5月29日月曜日

C62の巨体

 1967年4月には常磐線の平機関区に行きました。

この年の秋に電化を控えた春休みの一日。

C62形の巨体は、庫のあちこちで休んでいました。


中には「ゆうづる」のヘッドマークを付けたC62形も居ました。


この「ゆうづる」は寝台特急なので、ここ平では下りは深夜、上りは早朝での撮影なので、撮影条件は厳しいものでした。

2023年5月23日火曜日

「お召」予備機の雰囲気

1968_8 は、高崎第一機関区を訪問。

ちょうど運よく、C58形400号機を撮影できた。


この400号機、「お召列車の予備機」として整備された蒸機で、

撮影当時は、まだ予備機としての雰囲気を保っていた。

所属の区名札は、「小」で 小山機関区。

なお、長い「撮り鉄人生」で「お召列車」関連の撮影は、2~3回しかない。

2023年5月22日月曜日

C62形2号機

1960年代の後半から70年代の初めまでは、北海道に通った。

1回や2回でなく10回弱だったか・・・。

宿泊は、ほとんどが「列車内」で、

特に函館~札幌間で、夜行の普通列車や急行「たるまえ」などが定宿でした。

この一枚は、1970_8_19 撮影のC62形2号機。


大沼~仁山間を函館に向かっているのを「流し撮り」したものです。

残念なのは、デフの「つばめ」が写っていないことや、

ピントがどこにもあっていないことだろう。

でも、ロクニの動感は出ていると思うので、

かつての東海道本線を走っていた雄姿を表現できたかな。


夢のような時代

 


1966_7_11には、御殿場線の国府津機関区へ、

国鉄最大の機関車「D52形」を撮影に遠征しました。

2023年の今では、当地始発の国府津行きの直通電車が通っていますが、

当時は上野、東京乗り換えで行ってきました。

今では、正に「夢のような時代」でした。

D52(デゴニ)形がこんな身近に撮影できたのですから。


2023年5月20日土曜日

今はダム湖の底


 2008_5_23 吾妻線川原湯温泉駅の上り方で撮影。

線路端の名を知らない雑草?が満開だ。

傍らを185系「草津号」が通過していく。

画面の左上には、駅のこ線橋も写っている。

撮影地は、その後の2014年には線路付け替えによって新線に移り、

ダム湖の底に沈んだ。


185系電車も今や651系から257系に代わり、時の流れを感じさせる一枚になった。


2023年5月18日木曜日

碓氷新線廃止一年前

 撮影の年、1996年5月は横川~軽井沢間の碓氷新線廃止1年前だった。

1963年秋に、この碓氷新線が開通して、たった?33年で廃止となってしまったのです。

1963年の開通当時は、もちろん誰一人として「廃線」は予想していなかったことでしょう。

写真は、EF63に押されて横川を発車した「あさま」号です。

横川を発車して、最初は25‰の坂ですが最急こう配は、66.7‰を記録しています。

ここ、碓氷新線は


日本の幹線鉄道一の急坂でした。



2023年5月13日土曜日

見上げたVHFアンテナ

第1回目の東京オリンピック開催の年。
1964年。
5月ごろの一枚。

空を見上げて撮ったVHF電波を受信するテレビアンテナ。
二羽の小鳥が電線に留まっている。
テレビアンテナの素子数は遠距離用の7本で、支柱も10メートル近くあったが、写りは悪かった。
7本の素子の短い方の延長が東京タワー方向だった。
支柱には、平行フィーダー線が判別できる。
後年、榛名山の二子岳にUHF電波を出す中継設備ができて、当地の写りは改善された。
地デジの現在でも、UHF時代に設置した我が家のアンテナは、今も使っている。

2023年5月11日木曜日

大宮操車場

 


1967_6_12 には、大宮に立ち寄った。

大宮機関区と大宮操車場、そして川越線だ。

狙いは、9600形蒸機。

ちょうど操車場を見下ろすこ線橋があったのだろう。

広大な操車場を行き来する蒸機をうまくとらえている。

機関助士さんの「ナッパ服」も懐かしい。

この操車場跡地は、今や「副都心」化され、昔の面影はなくなっている。


半世紀前の田植え

 今日の一枚は、「+α」の部類。

我が家の田植え前の作業を撮影したもの。

その作業は「苗取り」で、苗間で育てた稲の苗を抜き取り、藁で縛り、水田に配置し、苗を水田に移植したのです。

今でも、直播(ちょくは)という手法がありますが、稲作は昔から「移植」栽培が普通でした。

この移植(田植)のため、駆り出されたのが隣組みのひとたち。

画面のなか、苗取りにせいをだしているのが、それ。

この「苗取り」が済むと、いよいよ「田植え」。

1967_6 ごろの撮影で、半世紀前の


記録になった。



2023年5月6日土曜日

碓氷新線の終焉から四半世紀

「わが撮り鉄人生」のエポックの一つは、ここ信越本線の横川~軽井沢間。
1963年のアプト式鉄道の終焉、碓氷新線の開通、そしてEF63の終焉と
長野新幹線の開通だ。

この一枚は、1997_5_25 撮影の「碓氷峠を下るEF63(ロクサン)と189系のあさま」。
軽井沢を発車し、矢ケ崎に差し掛かるところを狙ったが、
フィルムカメラでの撮影なので、スキャニングした写真だ。
あれから四半世紀、26年たった。
今日、2023年5月6日の気温は、真夏のようだった。

2023年5月4日木曜日

緑ナンバー

2023_5_4 は穏やかな日和。
昨日に続きカメラを持って出動。
被写体は「SLレトロぐんま 水上」で
D51498の牽引でした。
車体は、春の日に照らされ黒光り」。
長い汽笛ののち、水上に向けてダッシュしていきました。
なお、地元の地方新聞の報道のとおり、D51498は「緑のナンバープレート」に代わっていました。



 

2023年5月3日水曜日

風前の灯火

久しぶりの撮影。
場所は、高崎駅北の信越線。
「ELレトロ ぐんま よこかわ」の牽引機はEF65501で、
折り返しの「SLレトロ ぐんま よこかわ」のけん引機であるD51498をぶらさげた編成です。

この写真では、最後尾のD51は写っていませんが。
2023_5_3 撮影

最近では、このような「旧型客車列車」は珍しくなっています。
EL牽引では大井川鉄道ぐらいでしょうか?
時はどんどん流れて、
SL牽引の「旧型旅客列車」も、風前の灯火状態となっていますね。



2023年5月1日月曜日

61年前のキュウロク形

今考えればこんなカットは撮らないで、
もう少しマシな撮り方をしたでしょうか。
(キュウロク機関車の手前の電柱や電線がじゃまでした。)
1962_5_10 撮影とあるので、なんと、61年前の一枚で14歳の時。
この9600形蒸機は、高崎第一機関区の所属で、
高崎操車場のハンプの押し上げの運用についていました。
D51形の運用のこともありましたが、ほとんどがこの9600形の

ように思います。
C58形も高崎第一機関区に所属していましたが、八高線と両毛線、長野原線での運用に限定されていました。
なお、この日の本命狙いは、161系「特急とき」の試運転列車で、手前の線路が高崎線の上りで、「とき」はこの線路を通過して行きました。


啄木の歌碑

 連休明けの1967_5_14 は、東北へ。

盛岡で乗り換え、東北本線の滝沢、沼宮内ではD51三重連の撮影にいきました。


この一枚は「好摩」駅の啄木の歌碑。

「霧ふかき好摩の原の 停車場の 朝の蟲こそ すゞろなりけれ」。

ここ好摩からは花輪線が分岐しています。

1967年は、撮り鉄人生にとって「特別の年」だった。