2021年2月27日土曜日

上野発大阪行き急行

前回の正解は、①の大阪です。


1940年(昭和15年)10月発行の時間表が手元にあります。

発行は日本旅行協会(ジャパン ツーリスト ビューロー)で30銭とあります。

この本によると、上野発大阪行き急行は、

2・3等寝台車付きの601レは上野を午後9時に出発した夜行で、大阪には翌日の午後1時50分に到着しています。高崎・信越・北陸線経由でした。

なお、この601レに追従して、上野を午後9時45分発、大阪には翌日の午後7時7分着の603レの普通・快速もありました。

この一枚▼は、再び1964年10月6日の「聖火リレー」です。


後追いですが、当時の賑わいがわかります。2021年3月、当地では「聖火リレー」が行われるとアナウンスされています。


上野発のDC特急「白鳥」はどこに向かった?

 DC特急2003D「白鳥」を撮ったのは1962_7_11ごろのこと▼。

(残念ながら、1962年当時の時間表は手元になく、1963年6月発行のコンパス全国時間表によります)

当時(1963年)、この2003D は上野を8時50分に出発して、高崎に10時6分に着くまでノンストップだった。


ここでクイズ。

Q 当時(1963年)この2003Dは、高崎を出た後、途中で列車番号が2002Dに変わり、最終目的地に向かいます。その時の到着時刻は21時7分でした。では最終目的地はどこでしょうか?

① 大阪

② 青森

③ 直江津

④ 金沢


2021年2月26日金曜日

両毛線との乗り入れ

 前回の答えは②

上野からの乗り入れはあった。

①の八王子は、5時33分発。高崎を経由して小山に10時49分着。途中の伊勢崎には9時10分に着いている。

③の熊谷は、6時50分発で前橋には7時49分着。

④の太子は、伊勢崎を8時17分に発車して、新前橋を経由して長野原線の太子には11時6分着。


ところで、この一枚(再掲)▼は、キハ16形とわかる気動車。行き先は桐生。

座席の配置はクロスと記憶している。

撮影日は、1966_7_11で東海道線の根府川に行った日か。



快速宇都宮行き

 1963_9_22の一枚。

▼高崎駅2番線に、宇都宮行きの快速DCが停車している。


気動車には詳しくないので、キハ16か17だろうか?

このころの両毛線には、気動車が高崎~小山を経由して宇都宮への直通が日に2本あった(もっとも、最近まで高崎~宇都宮間の直通はあったようです)。

ここでクイズ。

Q  このころの両毛線の駅(1例として前橋または伊勢崎)は、あるところとの直通列車が何本かありました。では、次のうちで、直通のなかったのはどこでしょうか?

① 八王子

② 東京

③ 熊谷

④ 太子(おおし)


*弘済出版コンパス全国時間表 1963年6月号からのデータをもとにしました。



2021年2月24日水曜日

哀愁を感じさせる一枚

 前回の答えは

④ 下り1M「とき」の高崎の次の停車駅は「長岡」です。

高崎を18時8分に発車して、長岡には20時30分に到着しました。このあと新津に停車し、新潟には21時30分に到着。つまり、高崎~長岡まで「ノンストップ」でした。

次は、「イメージ」豊かな一枚で★★★。▼


高崎線を倉賀野から高崎に向かうELけん引の旅客列車。

後ろから撮ったもので、あと数分で高崎に到着する列車です。

画面を拡大してみると、奥には日本製粉の工場も写っています。

画面右は、今の高崎機関区。光っている線路は、高操の引き上げ線。

SLですと、煙が残るのですが・・・、でも、哀愁を感じさせる一枚になった。

撮影は、1963年9月でした。



161系1M「とき」のすごいダイヤ?

 下りの特急1M「とき」が通過する。


1963_5 ごろの撮影だが、当時の時刻表によると、上野の5番線を16時50分発で、途中の停車駅はなく、高崎には18時6分着、8分発のすごいダイヤだった。

上越線の勾配区間用のこの161系は、当初運転席の上には3個目の「ライト」があり、夕方なのですでに点灯している(のちにこのライトは撤去された)。なお、当時は昼間点灯は実施してなかった。

ここでクイズ。

Q 当時、この1M「とき」は高崎を発車したあと、次はどこに停車したでしょうか?

①~④のうちのどれでしょうか?

① 水上

② 越後湯沢

③ 小出

④ 長岡




根府川の一枚

 


1966_7_11、東海道線根府川先の白糸川橋梁を渡るEF60か61の上りの貨物列車。

次位には回送だろうか、けん引機と同じ電機が連結されている。

55年前の一枚だが、当時からここは「撮影名所」だった。

当時のメモによると5時過ぎの列車で地元を立ち、上野・東京と乗り継ぎ根府川にやってきている。

その後は、国府津機関区へ寄り、D52とC11を撮り、御殿場線を走るD52けん引の普通列車を撮ったということです。

当時のカメラは中古で買ったオリンパスペンでした。

今になって思うと、せめて35ミリで撮っておきたかった。



2021年2月20日土曜日

マルタイを撮影しました

 2021_2_20 は、マルタイを撮影。

3か所で撮影しましたが、ここ高操は2つめ。

マルチプルタイタンパーの新車ですね。

2組のマルタイの中間にヨ8000形を挟みこんでの輸送でした。

けん引機は高操までと高操以降はEH200で、高操で交換してました。

このマルタイの製造は、オーストリアのPlasser&Theurer(プラッサーアンドトイラー)社で型番は09-16/CST。

このマルタイ、鉄道車両なのか、機械なのかどちらでしょうか?

左部分と右部分が半永久連結されているような感じです。
左部分には、「D」と「1」を組み合わせたロゴが判読できます。



2021年2月19日金曜日

答えはC58363

 2021_2_17 のクイズの答えはこの一枚▼


4 C58363が答えです。

このころは、C58の試運転もこちら上越線でもやっていたのですね。

▼これは、昨日の2021_2_18の一枚。高崎アリーナ脇で撮影、


GV-E197系の試運転のものです。

毎日のように、高崎線で試験が行われています。

しかも、何往復も・・・。

そして、カメラを持った高年齢の鉄道ファンも数人見かけました。

退職後の趣味活動のようです。

なお、高崎アリーナ周辺は「広報たかさき」の2月15日号で「夜景のスポット」して紹介されていますね。



 


2021年2月17日水曜日

この日のカマはどれ?

 TVでクイズ番組が盛んなので、クイズを一つ。

この写真は、EF6438が最後尾にぶら下がった旅客列車の試運転です。

EF64には、「尾灯」が点灯していますね。


この日、先頭で12系客車をけん引しているカマ(機関車)は、次のうちどれでしょうか?

1 D51498

2 C6120

3 DD51842

4 C58363

2013_3_13 上越線方面に運転された列車からの出題で、高崎駅での撮影です。


2021年2月16日火曜日

GVの新車を撮るのは「今でしょう」

 GV-E197系の一枚。


これは後追いだが、もちろん正面からも撮っている。

本庄からの帰りをねらったものでした。

数100メートル前で徐行し、再スタートを切ってこちらに向かってきました。

そして、高崎方向に去っていったところを撮ったものです。

これから、何十年にわたって活躍する車両ですが、

新車時の雰囲気はあとでは撮れないので、撮るのは「今でしょう」。

2021_2_16 高操脇で撮影。


2021年2月14日日曜日

D51498の進行方向は?

 2021_2_14 は、午前午後、磯部・安中方面へ。

午前は磯部で「SLぐんま よこかわ」、午後は安中で「DLぐんま よこかわ」を捕捉。

安中を発車後、眼前を通過しているのを連写で捉えたうちの一枚で、

DD51842がけん引する「DLぐんま よこかわ」の最後尾にぶらさがっている?D51です。

このDL+旧客+SLの編成も全国でココだけになっているようですね。

ところでこのD51の進行方向は、右か左のどちらでしょうか?







2021年2月13日土曜日

EF65501、工臨を牽く

越中島貨物駅に返す「チキ」をけん引するのが、「pトップ」こと、EF65501。
倉賀野駅の西、高操駅の東に工臨を撮影に出かけた。
JR東の電機やDD51も用途廃止がうわさされていることから、
最近は撮影の機会が多くなっています。
屋外でも、三密にならないようにしたいですね。
2021_2_13 撮影。




2021年2月12日金曜日

GV-E197系の試運転

 GV-E197系が高崎・上越線で試運転をしていたので

2021_2_12、高崎アリーナ近くで一鉄。

この前にはレール輸送チキの返却もありましたので多彩な?半日でした。




2021年2月11日木曜日

ED42を再び

廃車体のED42の姿を再び。


用途廃止になったあと、留置された車体を撮影にきた何人かのファンを見かけた。

現役時代が一番絵になるのでいいのだが、廃車になり解体を待つ姿も鉄道写真としては捨てがたい。

鉄道写真家のHさんの解体前の蒸機の写真を思い出した。

1963_11 撮影。

2021年2月10日水曜日

廃車を待つED42

 1964年の頃のカラー写真。

この年の一年前の1963年10月に碓氷旧線は新線に切り替わった。

その旧線を走っていたのがこのED42。

廃車を待つための一時置き場としてここ非常渡り線が選ばれ、

6~7両ほどが、半年以上にわたって留置されたのです。

ナンバープレートには、「グリース」が塗ってあり、動輪のロッドは外されていました。



2021年2月9日火曜日

交直流仙台急行「まつしま」

 1964年10月に東京オリンピックが開催された。

この一枚、その年の春4月の撮影。

東北本線を上る36M「第二まつしま」を乗車中の下り列車から撮ったものだ。

当時のネガによると、下り仙台行きの「まつしま」に乗っていたようだ。

電車は交直流の451系か455系。

この「まつしま」は、仙台~上野をむすんでいた急行で、

当時の交直流急行色をカラーで撮っていることや、

大きなヘッドマーク付きあることで「貴重」なコマといえる。

春休みだったので仙台日帰りの旅行だった。

なお、この日、仙台駅ホームで発車前のC62を撮っている。



2021年2月6日土曜日

新型ホッパ車?

 2021_2_6 


公道からは、遥か遠くに「砕石輸送車」らしきものの留置を見かけました。

左がGV-E197系のGV-E196形、新型ホッパ車のようです。

右の黒いのは今までのホッパ車、ホキ800みたいです。

いよいよ、砕石輸送が変わりますね。



「SLぐんま よこかわ」の組成を見学

 2021_2_6 は、「SLぐんま よこかわ」の入れ替え、組成を高崎駅南の電留線の見学に行きました。

完成した編成は、高崎方からEF641001+旧客5両+D51498です。

まず、

①D51が空いている電留線の一番奥に突っ込まれます。

②EF64がバックして、旧客を連結します。

③EF64が旧客を折り返しポイントまで引き出します。

④ポイントを転線して、EF64が旧客を推進運転で、D51に近づき旧客を連結をします。

⑤組成が完成し、EF64が先頭となり編成を引き出します。

⑥転線してEF64は推進、D51がけん引の形で2番線ホームに着きます。

この一枚は、上記⑤の前のものです。





2021年2月3日水曜日

EF81けん引の甲種輸送

 EF81けん引の甲種輸送を倉賀野駅西の高操との境で撮影。

輸送されているのは、秋田を出場したE257系5連。

本来の撮影目的は、この後通過するEF65501けん引の「チキ」の工臨だった。

予想していなかったので、「ラッキー」でした。

交直流のE493系けん引電車の導入も発表されていることから、

この電機けん引の列車もあとわずかだろう。





2021年2月1日月曜日

セミ判で撮った9600形

 古い写真のような一枚。


大宮機関区で撮った9600形蒸機。

機番は79627。

擦り切れたジーンズに一種の趣があるように、

このコマには擦り傷、ピンボケ、ごみなどがいっぱいだが、

それでも、なんかある雰囲気を漂わせているように思える。

撮影の年代は、製造された大正期ではなく、昭和43年(1968年)。

撮影カメラは、古いセミ判(6×4.5)だ。