1965年3月ごろの一枚。
当地の当時の蒸機は、9600,C11,C12,D51そしてC58が配置されていました。
それ以前では、D50も見かけました。
この一枚はC58で操車掛による入れ換え風景。
シャッター速度が遅く、ブレが見られますが、高崎操車場での撮影です。
このC58は両毛線や八高線で運用されて、D51との重連運転も見られました。
なつかしい、58年前の一こま。
はじめてカメラを手にしたのは、父親から買ってもらった富士フィルムの「ペット35」。小学6年生だった。その1960年代のはじめから撮り貯めた、とっておきの思い出鉄道写真と、今もバリバリ撮り続けている鉄道写真をエピソードと共に紹介します。
1965_1_6 は、地元の呼び名で「タカバシ」という場所で撮った一枚。
背景は、東三条通りと高崎線が交差する場所、その「陸橋」下を
下りの特急「とき」が通過中で、
今では架線以外にケーブルがたくさん張られたり、ガードレールが設置されているので、「お立ち台」としては良くない。
ちなみにどこでもそうだったが、以前の方が「撮り鉄」しやすかった。
でも撮影の腕は未熟だった?・・・
1961_10_3 撮影の一枚。
判読できる文字は、「クロロマイセチン 白十字」や映画「青年の樹」の看板。さらに「フジカ 8ミリシネ」「蕎麦」など・・・
写真の三輪車は、新三菱重工KKの「三輪ペットレオ」。この車には、「複写機 リコピー」の文字がホロに描かれている。
諸元は、310CCエンジン、13馬力、重量は350kg、2人乗り、最大積載量300kg。
当時の「モーターファン」誌の自動車ショー特集によると、価格は23万円だ。
1967_1_7 撮影の一枚。
高崎線の新町~倉賀野間を上りの急行「佐渡」と下りEF53牽引の準急か急行が出会った。
(現在この路線は、烏川橋梁の付け替えでこの上り線と下り線は平行していない。)
この当時の一枚は、今振り返ってみると、
「今ならもっと上手に撮れたはず」と悔やまれるが、
この時代に戻って、撮り直しはできないのが歴史の法則。