2024年4月18日木曜日

481系しらさぎ

 1965_4_4は、名古屋へ。

撮ったのはコレ、481系しらさぎ編成。

名古屋~北陸の富山間の特急だったか?

151系の交直両用仕様で、この時点では「新車」だった。

2024年の現在でも、名古屋~(北陸)敦賀間の特急は健在だ。




「のりもの」に関心


1961_4_30 は、家族で羽田空港へ出かけた。
お目当ては「航空機」。
撮影できたのは、日本航空のダグラスDC-4だろうと思われる。
送迎用デッキからの一枚だったが、撮った写真はこれともう一つだけ。
一こま一こまが貴重な時代。
このころは、二輪車バイク、自動車、鉄道車両、航空機など、「のりもの」に関心があった。
その後は、鉄道車両に焦点が絞られる・・・。


2024年3月30日土曜日

高崎駅前

 


1980年の頃の高崎駅前。

本屋の西口駅舎やタクシーがなつかしい。

このあと上越新幹線建設のため、写真の駅舎は取り壊され現在の駅ビルになった。

この写真と現在の駅前とを比べると時代の変遷を感じる。


「山岳装備」のD51


1967_4_15 は、篠ノ井線の姥捨へ。

ここは車窓や姥捨駅からの眺めが抜群だった。

駅の構造もスイッチバックになっているし、25‰の急坂なので録音や写真としての面白みがあった。

写真の一枚は、正面の撮影をやり過ごした後追い撮影。

「山岳装備」のD51の通過シーンだ。



 

2024年3月29日金曜日

「SL 湯らーりといそべ」

最近、 C6120の活躍の場が広がっている。

2024_2_24 撮影の安中駅を発車するC6120▼「SL湯らーりといそべ」。

この春以降では従来の水上、横川だけでなく、渋川、桐生、沼田などへと広がっている。

いずれも、ヘッドマークを掲出しているので、そのデザインに注目。

今回は、地図の「温泉マーク」



をデザインしているようだ。




2024年3月26日火曜日

あぜ道のカブ号


50CCの一種原付バイクは、ホンダの「スーパーカブ」号。

撮影は1961_4_30で、バックは小麦の育っている田んぼ。

マフラーなどのメッキ部分も新車の光沢だ。

2024年のいまでもカブ号は、この原型を失わず販売されているのは驚異。

我が家では、この50CCの他に、65CCの二種原付も後に購入した。

私自身、自転車にエンジンを付けた「本物の」原動機付自転車に試乗したことがありますが、このカブ号の完成度は当時から高かった。

たしか、この時のカブ号の価格は、55,000円だと記憶している。(なお、現在の価格は300,000円のほど。)


 

仙台のC62

春休みの一日は、日帰りで仙台往復。

1964_4_3のことだった。

この年は、東京オリンピック開催の年。


仙台駅のホームで撮ったこの一枚は、常磐線で活躍していたC62形37号機。

いまだったら、何コマも撮ったのだろうけどこのシーンはたったの一枚だけ。

この撮影のあとの数年後、常磐線で最後の活躍をしていたC62たちを追ったのです。



 

懐かしの赤羽線

1967_3_4 撮影の一枚は、旧型国電。
赤羽線の72系(63系)。
この線は、赤羽と池袋を結んだ線。
このころ以降、使用車両は新型の103系に置き代わって行った。
画面右には、旧型電機のEF15が写っている。
懐かしの赤羽線。

2024年3月18日月曜日

17歳の一枚は「大阪市電」

1965_3_9の一枚は、大阪市電。


高校の修学旅行で訪れた大阪。

17歳の高校2年生の時。

対向する車内からの一枚だった。

青春のひと時を思い出させる一枚だ。

このあと1969年3月31日限りで全線廃止されたそうです。




2024年2月26日月曜日

FIAT 1500は古い?

1964_3 撮影の「FIAT 1500」。ヘッドライトは横4灯。

今この車が走っていても、時代に合うだろう。

昭和39年の東京オリンピック開催の年だった。

名神高速道路もでき、首都高もでき、クルマ社会の到来だった。

当地では、碓氷峠のアプトが消え、ロクサンの粘着運転が始まっていた。


そんな昔のクルマなのに、「古さ」を感じるとことがない。




 

2024年2月16日金曜日

日産セドリック

1963年3月ごろのモータショー。

高崎市の城南球場で開催されてた。

クルマのカタログが欲しくて裏家の親戚にもらって手に入れた記憶がある。

たしか、プリンスのスカイラインだと思った。

当時のカタログは、カラー写真でなくカラーのイラストだった。

この車は、


▼1.5リッター日産セドリックで、前照灯が立て並びに配置されていたのが特徴。写真的には、ブレが生じているのが、難だが。

それにしても、クルマは憧れの的だった。三菱500やらスバル360やら、トヨタパブリカなどが国民車とされた。

軽三輪では、ダイハツミゼット、マツダK360などがあった。

なお、この写真のセドリックデラックスの価格は、東京渡し現金として1,015,000円だった。今の価格に換算すると、何と「1/10」ぐぐらいか?

 

 

2024年2月12日月曜日

181系「とき」

 1965_3_25 高崎駅にて


撮影。

ダイヤ改正の日だった。上野~新潟間に181系「とき」が走ったのです。

特徴は、ボンネットにかかれた「眉毛」。

その幅が広い。

後になってその幅は塗り替えられ狭くなっているが、この時は「広幅」だった。

屋上のクーラーカバーは、シルバーに輝いている。

新車の香りが漂うようだが、短いスカート部分は少し古さを感じさせている。

テールライトには、「赤色」フィルターがはめこまれている。




2024年1月31日水曜日

まだSLが走る上州路

今日の一枚は、「再掲」。
1995_1_3 撮影のD51とC58の重連のシーン。
もうこんなビックな列車は走らないでしょう?
▼お正月らしく、しめ飾りがついています。

でも、当地ではこんなSLがまだ走っています。
2024_2_17 には、高崎~渋川まで2往復のC61牽引の臨時列車の運転が発表されています。
竹久夢二にちなんだヘッドマークが掲出されるそうです。
楽しみです。
1月も今日までですね。




2024年1月29日月曜日

キハ81系「はつかり」

鉄道趣味誌「鉄道ファン」を創刊号から見直ししている。

懐かしい写真が何枚も見つけることができた。

その創刊号の一枚が、東北本線御堂~奥中山間で撮られたキハ81系の「はつかり」。

本運転では夜間帯になるので、こうは撮れない構図とのコメントが載っている。

これは「試運転」だからとのことだ。


1967_3_28 撮影の私の一枚がこれ▲。

すでに電化のポールが立ち始め、構図的にはめだっているので、「駄作」の部類だが、懐かしさに重点をおけば、「佳作」なのかも?

ブルドック顔のこのキハは、東北本線で活躍したあと、奥羽本線の「つばさ」だったり、紀勢本線の「くろしお」などで活躍したようです。

 

2024年1月15日月曜日

急行「能登」と惜別「バイク」

14年前の一枚。
2010_1_25 高崎駅南部で撮影。
早朝の上り急行「能登」を待ち受けたのは、2010_1_25の早朝。
連写で何コマも撮ったうちの一カットだ。
489系のボンネットがなつかしい。
「能登半島」の絵入りヘッドマーク。
特徴のわかるヘッドライトは3灯。

今日2024_1_15 の夕方は、めちゃ寒かったが、
撮影時のこの時の朝もそうとう寒かったに違いない。
長年飽きもせず「撮り鉄」に打ち込んだ人生。

その伴侶として「撮り鉄」人生に貢献したのが、積算20800㌔を走った「バイク」(スズキアドレス125CC)、先週とうとう「廃車」処分をしました。
まだまだ動くのですが、動いていないと安心して乗れないと思ったのです。
途中でエンコしたら、目も当てられないですから・・・。
後ろ髪をひかれる思いでさよなら。
これからは、バイクの伴侶なしでの「撮り鉄」です。

2024年1月12日金曜日

「はくつる」けん引機

 1965_1_2 の一枚。

上野駅のEF58だ。


ブルートレイン「はくつる」を牽引して上野に到着し、

機回しをしている間に撮った一枚です。

反対側のエンドには、「はくつる」のヘッドマークが掲出されているはずです。

このころのゴハチ(EF58)は全盛期でした。

旅客列車のほとんどが、この「ゴハチ」のけん引だったのですから。

鉄道写真の「形式写真」としては、車体の下1/3が影になっている点が難点だ。


2024年1月6日土曜日

E653系、群馬の風景になじみ始める

 2024年1月6日の初撮りは、「開運高尾山初詣群馬号」。

E653系7連が、榛名山を背景に朝の低い太陽の光を受け通過した。


高崎駅発は、7時22分。

時間通りだったようだ。

今までの臨時列車は、185系で運転されていたが、最近はこの勝田のE653系が使われ始めた。

群馬の風景になじみ始めた一枚になった。


2024年1月2日火曜日

年月は過ぎました

2024年の事始めのブログは、水上での一枚。

1967_1_6 撮影の特急「とき」。

冬休みの期間だったのでしょう。


水上へは、上越線で当地から1時間程度かかります。

たしか、雪景色を見たくて行ったはずです?

今このような車両が走っていたらと思ってしまいますが.....

でも、、、、、。

年月はもう50年以上も過ぎたのですね。