2013年9月30日月曜日

姨捨でオロハネ10

稲刈りが昨日2013_9_29 終わりました。というよりは、始まれば半日で終わるとい
う作業量・・・。この一枚、名古屋と長野間の急行「きそ」だろう。DD51がけん引していた。客車は、めずらしい「オロハネ10」。数多くの撮影地で、ベスト10に入る篠ノ井線姨捨(おばすて)での一枚。1967_4_15 撮影。

2013年9月27日金曜日

黒磯の115系

何年かぶりに風邪をひき39度2分の熱。2日間安静にしてた。稲刈りも控えていたので、気がかり・・・。孫のお守りも出来ない日々。今日の一枚は黒磯での115系4連。大きな前照灯がめだちます。1963_8_6 撮影。

2013年9月25日水曜日

上野を目指すデカ目115系

この一枚の背景は「日本製粉高崎工場」だろう。この一帯に市民体育館が造られる予定。下り線を行くのは両毛の貨物でC58けん引だった。上り線は115系の初期の形。いまでは、もう見られない記録写真となった。1965_9_下旬 高崎-倉賀野間。

2013年9月24日火曜日

彼岸花の咲くころ 107系

彼岸花の咲くころ。2012_10_8 の撮影だから、およそ1年前の信越本線。107系をバックにし、手前に花を配置した。今年も咲いているだろうか・・・。

2013年9月23日月曜日

熊ノ平でロクサンを撮る

碓氷線には思い入れがある。ED42のアプト時代末期から通いつめたからだろう。1996_10 のころの撮影は、熊ノ平での一枚。ロクサンが「あさま」を牽いてやってきた。ロクサンのブロアー音が今でも聞こえるようだ。

2013年9月22日日曜日

D51帰区

孫たちとSL見物に。倉賀野バイパスの陸橋から眺めました。D51498が水上から帰ってきました。帰区のせいか、煙も蒸気も控えめでした。誘導掛さんが、バックするD51をお出迎え・・・。今日一日おつかれさまでした。

2013年9月21日土曜日

碓氷線アーチを行く「あさま」

1995_11_ ごろの撮影。碓氷新線の下り線を「あさま」が行く。何度もこの碓氷線には通ったが、結局傑作は撮れず。後悔ばかり・・・。日陰と日向の差が顕著なので、モノクロームに変換して見た。信越本線横川-軽井沢間で撮影。

2013年9月19日木曜日

E6系甲種輸送

E6系の甲種輸送を撮影に高崎操車場へ。ちょうど十五夜の月が明るく照らしていました。また、ハラダの工場の列柱もライトアップされていい雰囲気で撮影できました。2013_9_19 撮影。

2013年9月18日水曜日

流される前の佐野橋

再び佐野橋のこと。まずは、流される前の一枚は、2013_8_29 に撮影のもの。そして、2013_9_17 撮影の、半分が流された後の一枚。いずれにしても、早い復旧が望まれます。

赤城山からの富士山

今日は雨なし・・・ということで、赤城山登山。主峰である黒檜山(くろびさん)にアタック。1828メートル。途中、撮影したのがこの一枚。右下半分は、赤城山南の地蔵岳。1674メートル。この地蔵岳越しに富士山が望めました。
2013_9_18 撮影。

2013年9月16日月曜日

お立ち台、佐野橋のはしげた外れる

18号台風の爪あとは、わが家にも・・・。母屋の(下から吹きあがったような雨のため?)雨漏り、稲の倒伏、とうもろこしの倒伏。ここ上信電鉄の烏川橋梁下の烏川はまるで大河の様相。沈み行く太陽を背景に桃源堂号が徐行して通過。この橋の下流には、人・農耕機のための木造橋の「佐野橋」がある。撮影にはとても雰囲気のいい橋。・・・でも、この橋、18号台風のため、半分から先のはしげたは、上流からの水圧のため、川に流され川の中を漂っていた・・・。撮影中には、ミキミキという音も・・・。すぐにも、ちぎれて流されそうな気配でした。2013_9_16

2013年9月15日日曜日

吾妻線付け替え工事線区の一枚

吾妻線付け替え線区を撮影対象として6年になる。この付替え線移転は、八ッ場ダム本体工事開始に先駆けて行なう必要があるとのこと・・・。この一枚、2010_11_21 撮影。湖面2号橋である、「不動大橋」の影が115系に映り込んでいる。

2013年9月13日金曜日

背景には日本製粉の木造工場

地元周辺を撮影。1967_8 ごろ、現在の高崎車両センター高崎支所わき。背景には、今は無き「日本製粉」の木造工場。上り本線にはEF15が、機走線にはEF56の姿が写っている。

2013年9月11日水曜日

SL試運転

何日も撮影に縁がなかったが、ようやく2013_9_11 に再開?。けっきょくいつものお立ち台での一枚でした。C6120の「SL試運転」。小雨交じりの曇り空でした。
高崎駅での発車シーンは、何度撮影してもいいですね。

2013年9月8日日曜日

EF60けん引「さくら」

過去撮りためた画像も、ブログにアップしたり、雑誌に投稿したりしていると、だんだん少なくなってきた。この一枚、東京オリンピックの年、1964_4_1 撮影の「さくら」。EF60がけん引しているが、よく見ると被写体ブレを起こしている。でも、今となっては貴重な一枚です。東海道本線鴨宮あたりで撮影。

2013年9月7日土曜日

「越路」のヘッドマーク

1964_7_20 この年の秋に東京オリンピックがあった。上野駅での新潟行き急行「越路」のヘッドマークを撮影。この「越路」のほか、「佐渡」「越後」「弥彦」「ゆきぐに」などの165系電車列車があった。


2013年9月6日金曜日

高二わきで撮ったキュウロク

鉄道趣味の開花の過程は、まずは地元。この一枚は、高二(高崎第二機関区)内の機走線。高崎駅や高崎第一機関区とを結ぶ回送線だ。左の建物は五輪田の信号所。キュウロクが高崎操車場での仕業のため、高崎第一機関区からやってきた。電柱などの処理に難がある一枚。右の2階建ては佐野小学校。1962_7_11 撮影。

2013年9月5日木曜日

EF6637号機

EF66の0番台の27号機の写真が「お立ち台通信vol.12」の表紙に載っている。0番台は希少価値あるカマになったということですね。この一枚は37号機。1986_10_10 高二で撮影したもの。なお、2013_10_19 には、「高崎鉄道ふれあいデー」があり、高崎車両センター高崎支所の蒸機や電機が展示予定ですね。

2013年9月4日水曜日

高崎線の115系

撮影地ガイドの「お立ち台通信 vol.12」が送られてきた。一件だけ投稿したものですが、それが掲載されたので、献本されたのです。さて、この一枚は、1993_8_13 撮影の高崎線の下り115系です。いまでは、臨時の回送ですらほとんど見かけない115系。通過している下りの線路は、いまでは分譲地となり、たくさんの家が立ち並んでいます。

「高崎線130周年記念」の211系

2013_9_3 は、青春18切符の5回目の使用。千葉の佐原へ。伊能忠敬の記念館で、国宝の忠敬地図を見学し、小野川では舟めぐりなどを・・・。香取神宮にも行きました。利根川べりにも・・・。この一枚、高崎駅での211系。5時10分発の始発に使用されています。数少なくなった211系なので、貴重な電車になっています。

2013年9月2日月曜日

本体工事も着工

国の来年度予算に、八ッ場ダムの本体工事費が請求されるようです。いよいよ、本体工事が着工される。そうなると、JR吾妻線は、この本体工事着工に先立って移設されるはず・・・。今までも何回も通いつめて、撮影をしたはずですが、まだまだの感があります。この一枚、2008_11_29  撮影のダムサイト付近を通過する185系「草津号」。この風景ももうすぐ消え去ります。
岩島-川原湯温泉間で撮影。

2013年9月1日日曜日

ニセコのC62を思いださせる構図

「SLみなかみ」に乗車した目的がこの一枚。指定席も6号車を選んだのもこの一枚を撮るため。この構図は、かつての「C62重連のニセコ」を思い出させる。2013_8_31。写真は、D51のデンダーを写したこの一枚と水上駅発車シーン。

「SLみなかみ」と「風っこ」に乗る

2013_8_31 。青春18切符の残りを消化するため、「SLみなかみ」、「風っこもぐら」と「風っこループ」に乗車。今までは撮影するだけでしたが、はじめて「SLみなかみ」に乗車しました。6号車だったので、D51のすぐ後ろだったのですが、電源車のエンジン音が大きくて、ドラフト音はほとんど聞こえず!その後、水上から越後湯沢を往復。この一枚は、風っこループの開放された窓からのもの。徐行運転されたので、眼下にループの出口付近の湯檜曽駅と線路がよく見えました。