1969_5_4 は、足尾線のC12の追っかけ。
撮影地は、草木~沢入間。
この区間は、ちょうど「草木ダム」「草木湖」の建設地で、
線路の付け替えが行われるところだ。
非力のC12なので、この区間はC12の重連区間でもある。
ただし、この日は一両での牽引。
いつものとおり、バイクで追いかけたが、これ以降、足尾までは追跡しなかった。
*
50年以上の「撮り鉄」で、「鉄道の変遷」を撮り続けてきたが、
そろそろ終着駅が近づいたかな?
いや!まだまだ!
はじめてカメラを手にしたのは、父親から買ってもらった富士フィルムの「ペット35」。小学6年生だった。その1960年代のはじめから撮り貯めた、とっておきの思い出鉄道写真と、今もバリバリ撮り続けている鉄道写真をエピソードと共に紹介します。
撮影地は、草木~沢入間。
この区間は、ちょうど「草木ダム」「草木湖」の建設地で、
線路の付け替えが行われるところだ。
非力のC12なので、この区間はC12の重連区間でもある。
ただし、この日は一両での牽引。
いつものとおり、バイクで追いかけたが、これ以降、足尾までは追跡しなかった。
*
50年以上の「撮り鉄」で、「鉄道の変遷」を撮り続けてきたが、
そろそろ終着駅が近づいたかな?
いや!まだまだ!
逆光をいかしてシルエットで表現。
撮影場所は、大間々から相老あたりだが、
正確な撮影地の記録メモがなく、撮影地が不明な一枚。
メモはなくても覚えていればいいのだが、
今や「物忘れ」が生じているのを感じているこのごろです。
1967_3_28は、東北本線の沼宮内(ぬまくない)駅に行っていました。
盛岡の北方にある重連・三重連の機関車の組成・解放の基地の駅です。
下りの貨物列車は、この駅から重連・三重連となってサミット奥中山を目指します。
前補機はD51の164号機で、精いっぱいの力をだし、
ダッシュしていきました。
このころは、まだ電化のポールも建植されず、空もスッキリしていました。
この写真のようにD51は、日常的に見られた機関車でした。
*
一方、2025_9_4 には、
D51498が上越線で脱線事故を起こしたニュースが伝わってきました。
当地では、今でも日常的に親しみのある機関車ですので、
早期の無事の復帰回復を願っています。
2011_2_1 撮影の★★★。
何のアウトライン(シルエット)でしょうか?
高崎機関区脇の公道から、特徴ある流線形が浮かぶように撮りました。
そう、EF55の1号機です。
今では、大宮の「鉄道博物館」に展示されていますが、
私にとってなじみのある機関車です。
*そういえば今日2025_9_4 、蒸機の「汽笛」が高崎機関区方向から聞こえてきました。
D51498の汽笛だと思われます。
修理が終わって試運転をしているのでしょうか?
その場所は、このEF55の撮影地と同じ場所からです!!