2024年12月31日火曜日

臨時特急増発

 2024_12_31 E653系の臨時特急「水上」号が上野→水上まで運転されました。

撮影した日中は穏やかな日和でしたが、一時は落ち葉が北風に舞っていた大晦日でした。

いままで651系で走っていた特急「草津」や「水上」に代わって跡を継いだのがE257系とE653系。

特に今日は定期特急列車を含め、吾妻線上越線には下り5本、上り4本もの登板でした。

▼E653系で運転された臨時特急「水上」号。






2024年12月25日水曜日

E257系に「落陽」がギラリ

 2024_12_24 撮影の一枚。

上りのE257系特急「草津・四万」号が、高操わきを通過。

列車の窓には、今落ちつつある「落陽」がギラリと反射しています。

時刻は、17時少し前。

2025年3月のダイヤ改正では、E257系の「あかぎ」の一部削減がアナウンスされています。




2024年12月23日月曜日

夕方から夜の間(ハザマ)を行く

 現在の「安中貨物」は、高操を16時46分着、48分発のダイヤ。

2024_12_23の16時48分と言えば、あたりは相当暗い。


夜というよりは、夕方から夜の間(ハザマ)といった暗さだ。

この一枚、その高操を発車して高崎(安中)に向かう後追いカット。

タキ1200形式のみのこの列車、安中で「返空」となり、深夜帯に折り返すことになっている。



2024年12月21日土曜日

冬至の光

 2024_12_21、冬至の朝の光を右側面にあびるE653系K70編成。


国鉄色だが本来の色はでてない。

この臨時列車の終点は勝田で、那珂湊の魚介類お買い物ツアー。

後追いでねらった一こま。

画面には、高操に入線する貨物列車の速度規制が見える。


2024年12月20日金曜日

厳冬の函館本線重連急行

半世紀前、はるか昔。
1970_2_11の函館本線銀山から小沢あたり。
厳冬の北海道。
狙いは、C62+C62重連急行「ニセコ」。
しかしこの日は、C62が不調だったらしく、重連を組んでいたのはD51+C62の組み合わせ。
めったにない組み合わせの撮影だったので、これは幸運なのか、不運なのか。

▼この一こまは、そんなD51+C62急行「ニセコ」。
吹雪の中、連写して撮ったもので、もっと近寄った手前のこまもあるが・・・。
今思い起こすと、この真冬の北海道撮影行が

何のトラブルもなく実行できたのは奇跡。

2024年12月18日水曜日

八高線の単行列車

 2025年3月15日のJR東のダイヤ改正で、高麗川以北の八高線の列車は、すべて2両編成になると発表されました。


今までの単行や3連は、3か月後の改正で無くなるので、

2024_12_17に群馬藤岡~丹荘間にでかけました。

ここ線路を見下ろす小高い丘で、カメラを据え付け列車を待ち受けました。

やってきたのは、狙いの単行でした。

神流川を渡河するところから、

大きな右カーブ、直線へと、連続して印象深い写真が撮れました。


2024年12月11日水曜日

GV-E197が信越線を走った

 2024_12_11は、特別な日になりました。

それはGV-E197けん引の12系の旅客列車が、初めて本線である信越線を走ったのです。

今回の試験運転の編成は、横川方からGV‐E197(TS08)×2+12系客車×3+D51498の6両でした。

お立ち台でのファンの姿は10人ほどでしたが、GV-E197への関心の高さを感じました。

クルマのナンバーから見ると遠方からの遠征組もいてびっくり。

ELやDLがけん引する旅客列車は、▼今後はこのような形になるのでしょう。

▼は高崎駅を発車する下り横川行きの試運転列車。最後尾にD51498が付いていた。





2024年12月6日金曜日

赤と青

赤い機関車と青い機関車。

赤い方はEH500。

青い方はEF210。

撮影地は、JR貨物高崎機関区南の線路わきの小道。

冬晴れの晴天の青空の下、「赤」と「青」が映える12月初旬の昼下がり。

2024_12_6  撮影。

EF65やEF64ばかりを追っかけていたこの頃でした・・・。




 

2024年11月30日土曜日

八高線新型はGVE-400似?

八高線の高崎(倉賀野)~高麗川間に来年下期、新型車両が導入されるとJR東から発表された。
型式名はHB-E220系で、ディーゼルエンジンで発電し、電気モーターで車輪を駆動させる構造。車体デザインは、GVE-400などの流れを受けているようだ。
八高線は非電化なので、撮影にじゃまな?架線柱が無く、撮影に自由度があるので、今後半年間はキハ110系の撮影が楽しみだ。
2020_9_28 八高線(高崎線)で試験運転を実施したときのGVE-400。




2024年11月27日水曜日

GV-E197系、12系とD51と連結

今、鉄道ファンの間で注目を集めているGV-E197系。

2024_11_27 朝、SLの汽笛が聞こえたので、早速汽笛の主を求めて出かけました。


その汽笛の主はD51498でした。

一緒にいたGV-E197系200番台は、「TS-08」の2両編成で

「GV-E197系×2+12系×2+オヤ121+D51×1」の6両編成に組成されました。

D51498は上り方なので、「DL/SLぐんま 横川」高崎行き編成用といった具合です。

なお、今日のこのGV-E197系の試運転は、SLとの初めての連結だったようで、

信越線では、この編成を基本にした性能試験が行われると思われます。






 

2024年11月17日日曜日

今秋最後のSL運転

 


2024_11_17 は、板鼻陸橋付近へ。

狙ったのは、C6120とEF641053 。

列車名は、「EL/SLレトロぐんま 横川」。

撮影区間は、信越線の群馬八幡~安中間。

午前と午後、合わせて2回出かけました。

背景の碓氷川の河岸段丘の木々も色づいていました。

撮り鉄さんの数は少なめで、10名ほどでしたが、

今度の11月23日24日は、EL/DLけん引旅客列車として営業運転「最後」なので、

撮影地は相当混雑する?と予想。




2024年11月16日土曜日

板鼻陸橋からの一枚

 1966_12 ごろの一枚。


信越線の群馬八幡~安中間を行くEF62形牽引の下りの準急か急行。

背景の左は碓氷川の河岸段丘、右奥は群馬八幡の化学工場。

画面右の水田は、今も58年前そのままだ。

信越線の上り線部分は複線工事中で、架線柱もまだなく、道床の白い砕石が目立つ。

撮影個所のこの陸橋は今でもそのままあるが、ここらへんは旧中山道の「板鼻宿」あたり

で、現在の「お立ち台」は、この陸橋の下になっている。

当時のこの辺は、今と違ってずいぶんスッキリしていた。


明日、2024_11_17 にはここ板鼻陸橋付近で「EL/SLレトロぐんま 横川」を撮影する予定・・・。


2024年11月9日土曜日

カウントダウン

ここ一週間ほど、GTVや上毛新聞で取り上げられている
「ぐんま車両センター」のDLとELによる「旅客列車の営業運転終了」の話題。
JR東日本高崎支社は、「カウントダウン」運転を行ってこの「終了」の注目を曳いている。
今日の残されたカウントは「4」。
そのため残りは、あと「3」。
この一枚はDD51895牽引、EF641053後押し、中間に6両の「旧客」を挟んだ編成を撮った。
吐き出している「紫煙」が古いディーゼルエンジンの証。
せっかくのレトロ編成なので、モノクロームに変換してみた。
明日は、EF64が牽引の予定。

2024_11_09


2024年11月5日火曜日

愛着あるカマ

上越線を走る「SLレトロぐんま水上」は、来週の2024年11月16日で今年の運行は終わる。

その2週間ほど前の今日(2024_11_4)は、上りと下りの2本を狙った。

この一枚は、その下りの一本。


駅を発車するC6120を望遠で捕捉した。

客車の最後部までフレーム枠に入っていないので、鉄道写真としては「佳作」の部類。

前にも何回か投稿しているが、このC6120、1968年当時東北本線(盛岡・千曳・奥中山)や奥羽本線(碇ヶ関)で撮影しているので、愛着あるカマの一つになっている。


 

2024年11月3日日曜日

ピカピカのDD51

 2024_11_3は、2両のDD51に遭遇。

踏切を渡ろうとしたとき、遮断機が下りてきたのです。

踏み切り待ちをしていると、DD51842の入れ換えでした。


そのとき見かけたのが、このDD51842と895の並びで、

踏み切り待ちの間、すかさずシャッターを切りました。

両機ともピカピカに磨かれていました。

このDLの出番は、あと数回を残すだけ。



2024年11月1日金曜日

再燃

 1967_5_14、「撮り鉄人生」で燃えた頃の一枚。

東北本線の盛岡以北が、複線電化開業する前の盛岡駅。

終点青森を目指して「DD51重連」急行が発車する。


列車は、急行「十和田」だろうか、まだ夜の明けきらない時刻だった。

* 2024年の秋、当地のDD51牽引による「旅客列車としての営業運転」がファイナルを迎えている。もう一度「撮り鉄人生」を再燃させたい一か月を迎えた。2024_11_1



2024年10月31日木曜日

62年前の151系特急「つばめ」(再掲)

 もう一度掲載

1962_8_17には、東京駅ホームで「駅撮り」。

この一枚、広島行きの特急「つばめ」。

この「つばめ」は、この年の6月の広島電化で東京~広島間に設定された151系特急電車だ。

1962年といえば、東京オリンピック開催の2年前で、62年前の中学3年生?

この「つばめ」の運行も、1964年10月の東海道新幹線の開業までだった。



2024年10月28日月曜日

135周年記念のクモハ3036、A36編成

2024_10_28 は「群馬県民の日」。

午前は、「EL群馬県民の日」号の撮影。

この一枚は、そのEL通過の前に撮った

211系クモハ3036以下の4連です。

先頭車は、霜取りパンタが付いている珍しい車両。

この編成はA36で、正面には丸形ヘッドマークが掲出されています。

表示文字は「135th Anniversary Rymo  Line」で、両毛線全通135周年を記念したものです。JRのリリースによると、年末の12月26日まで掲出されるとのことです。


 午後は、かねてから行こうと思っていた「県立博物館」を訪問しました。


2024年10月27日日曜日

ヘッドマークコレクション

 


2024_10_27 は、「上信電鉄の感謝フェア」にでかけました。

会場の上信電鉄の本社までは、自転車で20分ほど。

まず撮影したのは、「ヘッドマーク」。

上段の3枚が「デキ関連」で、下段はデハ150形のさよなら関連。

それぞれに思い出をもって、掲出されてきたものでしょう。

今日のフェアの目玉は、「デキ3」の構内走行。

ただし、もはやデキは自力では走行できず、デハの後押しで構内を「移動」させられた感じでした。

でも、ボディがきれいに塗装されているので、このまま、本線を走れそう!でした。


2024年10月24日木曜日

かつて見たシーン


かつて見たシーンの再現?
このカット、50年以上前にも見たような・・・
モノクロにしたので、余計にそう見えたのかもしれない。
でも、この一枚の撮影日は、
2024_10_24。
久しぶりのD51498の試運転を捕捉したのです。

今日の試運転は、高崎~横川間の往復で、高崎方には、EF641053が連結されていました。
このロクヨンは、1000番台ではラストナンバー。

復路なので、列車の進行方向は右だが、構図的には、D51は左に向かっていると感じたい。
このEF641053を含めて、「ぐんま車両センター」のEL/DLの5両は、この秋で「旅客列車としての運転を終了」と発表されています。


2024年10月22日火曜日

赤城山をバックに高麗川行きDC

関東のローカル線、JR「八高線」の群馬藤岡~丹荘間に行ってみた。
撮影地の近くの「土師(どし)神社」で、「流鏑馬(やぶさめ)」の神事がおこなわれていたのです。
この祭典の帰り際撮ったのがこの一枚。
キハ110系の高麗川行きの2連編成が、赤城山をバックに駆け抜けていった。
手前の田んぼは休耕田で、雑草が伸び放題。
彼岸花でも咲いていれば、印象的な一枚になったかもしれない。


2024年10月19日土曜日

E653系が走った

 2024_10_19 E653系7連の「海浜公園コキア高崎号」が早朝走りました。

当地では年に数回しか走らない、ごく珍しい車両で、

しかも国鉄特急色の編成を狙ったのですが外れました。

いつも見かけた185系と651系も過去のものとなり、もう何年も経っていますね。



2024年10月18日金曜日

「140周年」ヘッドマークを掲げて

 2024_10_14 の「鉄道の日」。

C6120が新しいヘッドマークを掲出して走りました。


「高崎駅開業140周年」を記念したものでした。

撮影地の高崎アリーナには、20人ほどのファンが集まっていました。

これは駅南の電留線での「機関車大集合」のおこぼれ撮影を狙ったものでしょうか?

現役時代のC6120を東北本線や奥羽本線で何回か撮影していますが、こんなにピカピカでは

ありませんでした。

でも、C6120の現役時代を知るものとして、この20号機の今後の活躍を願っています。


2024年10月14日月曜日

英語表記のHM

 今日2024_10_14 は「鉄道の日」。

この日、両毛線を走っている211系に、135周年記念(HM)ヘッドマークが貫通路ドアに掲出されていました。

A36編成で4連でした。


このHMの文(「135th Anniversary Ryomo Line」)は、英語で表記されています。

なぜでしょう?


2024年10月12日土曜日

八高線全線開通90周年の110系2連

2024_10_12 土曜日夕方、「八高線全線開通90周年」のステッカーが貼られたキハが走っていた。
編成はキハ110系2連。
日暮れが早く、17時30分すぎではもう真っ暗?。
この日、「SL/ELぐんま きりゅう」が走っており、ここアリーナの廊下には10人ほどが集合、12系客車の電留線への入れ換えシーンを撮影していた。
この一枚は、群馬車両センターへの帰区する110系。




2024年10月1日火曜日

「夢の超特急」と出会ったあのころ

今日、2024_10_1 、東海道新幹線が開業して60年経った。
開業日は1964年10月1日で、東京オリンピック開催の10日前。
この一枚は、これに先立った一年前、1963_8_7 の試験線の撮影で、編成は試験車両4両のB編成。
現在の東海道新幹線でいえば、新横浜~小田原間だろう。
在来線でいえば、鴨宮あたり。
試験車両には試乗できなかったが、近くまで行って撮影できたのは、
貴重な体験だった。

「夢の超特急」と出会った61年前のあのころ。


2024年9月28日土曜日

ダイヤ改正3日前の特急「こだま」

151系(181系)の「こだま」を東京駅で撮ったのは、1964_9_28。

10月1日、東海道新幹線ゼロ系登場のダイヤ改正3日前。

そして、在来線からこの「こだま」も消える。

当時のホームで撮った他の写真を見ると、

いわゆる「てっちゃん」、「撮り鉄」がいない?

60年前の東京駅の情景だ。


(注)この一枚の写真は、一度アップしたのちの「再掲」かもしれない。


 

2024年9月9日月曜日

DL/ELファイナルへ

 2024_9_7 は、高崎アリーナ脇へ「SLぐんま みなかみ」を撮影に。

「SLぐんま みなかみ」帰着前、ここから群馬車両センターに向けて移動したのが、このEF641001。

来週の9月15日から「DL/ELカウントダウン運転」が始まり、この1001号機もファイナル運転の対象となるはずだ。








2024年9月8日日曜日

横川のEF63

信越本線の横川駅に停車中のキハ80系に
EF63が連結される一コマ。
1965年の撮影。

1963年の秋には、ここ「横軽」区間のアプトは廃止され、EF63の「粘着運転」に切り替えられた。
このころのEF63の新車の塗装は、茶色であったのがわかる。

何度も何度も撮影のために通い詰めた横川だった。
あれから59年たった。


2024年9月7日土曜日

貴重な電機けん引編成

9年前の一コマ。

新潟色の115系3連をEF81134がけん引し、新津を目指しています。

大宮総合車両センターでの点検をすませてきたのでしょう。

2015_6_26 高崎線高崎~倉賀野間での撮影。

この電機けん引の編成は、これからは新型の「GV-E197」に代わるので、この一コマは貴重なカットになりました。


10年前のこのころは、新潟色の115系はしばしばここを通過していました。

それらは自走していたり、他の115系に挟まれたり、電機にけん引してもらっていましたが、今ではこれらの115系は全く見られなくなっています。




 

2024年8月25日日曜日

EF641053 最後の運行が迫ってきました

「諸行無常」は世の常。


EF58などが牽引していた「旅客列車」が消え何年もたちました。

今度は、EF64やEF65の順番が回ってきました。

今日、安中で気づいたのですが、EF641053号機のサイドには、補修をしたペンキ跡がめ

だっていました。

この秋の当機の運行が最後なのもうなづけます。

2024_8_25 夕方、16時28分ごろ、二つの汽笛が聞こえました。

今日信越線で運行した「EL/SLぐんま よこかわ」のけん引機、EF641053とC6120の汽笛

で、

「ピー」

「ボー」。

「群馬車両センター」へ戻った合図ですが、なにやらもの悲しい雰囲気でした。


 

2024年8月23日金曜日

半世紀前のD51三重連

 1970_8_23撮影だから、54年前の一枚だ。

奥羽本線の碇ヶ関でのD51三重連の貨物列車。

奥羽本線の電化複線化を控えた撮影地だった。


蒸機撮影には難となる、ポールはまだ立っていなかった。

現在は高崎の「ぐんま車両センター」に配備されているC6120をここで撮っているのは驚きだ。

碇ヶ関には、北海道で函館本線のC62重連の撮影を終え、立ち寄ったもので、この年はすでに社会人になっていた。


2024年8月20日火曜日

横川駅の駅名標

「わが撮り鉄人生」で印象深い駅のひとつは、信越本線横川駅。

この一枚の撮影は、1997年の夏だろう。

この年の秋に長野新幹線が開業し、ここ信越本線の横川~軽井沢間の鉄路は分断、廃線となった。

この駅名標には、かつて軽井沢方には「熊ノ平」、高崎方には「松井田」の駅があった。

中学生のとき、この「熊ノ平」駅を利用した碓氷峠遠足に参加している。

標高は、ここ横川で386メートルとあるので、碓氷峠あたりは1000メートルほどだろうか。




 

2024年8月18日日曜日

SL重連水上を発車

 


2011年7月2日、上越線の水上を発車したC6120+C57180牽引の高崎行きの「重連」。

「SLぐんま みなかみ」号だ。

12系客車とC57は、新潟からの借り入れだった。

この日、高崎駅でSL3両による「同時発車」も行われていた。

高崎駅北方で同時発車を撮影の後、後続の電車で水上に向かい、上りの重連を撮ったのがこの一枚。

ほんの13年前のことだ。



2024年8月17日土曜日

昭和を感じる一枚

 2024年8月17日、ブロクの再開。

一か月のお休みでした。

ようやく重い腰を上げて信越線の安中に行ってきました。

腰を上げた理由は、赤いナンバープレートになったC6120の記録で、列車名は「SLぐんま よこかわ」です。

横川方には、プッシュプルとしてEF641001がぶら下がっていますが、この一枚には写っていません。

本来、カラー写真ですが、モノクロに変換してみると

昭和の時代を感じる一枚になりました。





2024年7月13日土曜日

C61牽引の「ぐんまちゃん号」走る


久しぶりの投稿です。

2024_7_13撮影のC6120牽引の「ぐんまちゃん号」です。

ぐんまちゃん30周年、高崎駅開業140周年を記念した列車が

9時56分、水上めざして高崎駅を発車したシーンです。

オリジナルヘッドマークが掲出されています。

お客さんの乗車も満員のように見えました。

当初、D51かと思いましたが、C6120の登板でした。

この夏以降、何本かのSL牽引列車が、上越線などを走るようです。




2024年6月28日金曜日

足尾線にC12を追った

 1969_2_7撮影。

足尾線の上神梅~本宿間でC12をアップ気味で撮ったもので、C12形163号は足尾をめざしていた。

こちらは、バイクでの追走だった。

そのバイクは、ホンダの「CS90」で大間々あたりから、神戸(ごうど)まで追いかけた。

この足尾線、荷が重いときは重連もあったので、魅力的な路線だった。




2024年6月13日木曜日

貴重な遺産

 1965_3 ごろの一枚。

高崎操車場(高操)のハンプ近くに停車中のD51形261号機。


高崎第一機関区の所属機だ。

高操のハンプでの貨車の引き上げには、9600形、D50形、D51形が使われていた。

この地区で見られるカマは、他にはC58形やC12,C11で、両毛線や八高線、足尾線を走っていたが、今の時代と違って、バイクや車などがなく十分な撮り鉄には、「機動力に少々欠けていた」。

当然、この一こま一こまは私にとって貴重な遺産だ。




2024年6月7日金曜日

時代が変わる秋

 ぐんま車両センターのELとDLの5両の営業運転の終了が発表された。

2024_6_6 のJR東日本高崎支社からの発表で、知りえたのは、今朝7日付けの上毛新聞だった。

発表によると、この9月にファイナル運転が横川、水上、桐生の往復で行われるとのこと。

この一枚は、2023_9_3の信越本線の群馬八幡~安中間での撮影で、「ELぐんま よこかわ」を牽引しているEF65501。


SLとのPP運転なので、進行方向は左、横川方だ。

他に引退するカマは、EF641053,EF641001、DD51842,DD51895。

時代が変わるこの秋だ。




2024年6月4日火曜日

昭和43年、夏休み入り

 


1968_7_11 は東北本線の千曳~乙供間へ行った。

ココは、この区間がヨンサントウで新線に移るため、廃線になるのでポールが立たなかった場所。

驀進してくるC60をほぼ正面からとらえた一枚。

ポールがないと、撮影の自由度が増すので、貴重な区間だった。

ここを走っているカマは、4種。

貨物のD51、旅客のC60とC61。

それに重量貨物列車は、D51の重連で、急行旅客列車はDD51の重連。

この日、他の撮影者はいなかったので、至福の時を過ごすことができた夏休み入りだった。


2024年5月25日土曜日

形式名入りナンバープレート

 


D51498の黒ナンバープレートには、「形式D51」の表記。

画面右には、189系の「あさま」。

1995年7月、D51498の高崎発車の一枚だ。

もう29年も前のこと。

そうそう、今日2024_5_25の夕方、高崎線上り線を「斜めストライプの185系」が走っていました。なんとも、懐かしい車両でした。


2024年5月21日火曜日

C62重連を追った夏

 5月に入っての投稿はたった2回目。

この一枚、1968_7_12 の撮影は、函館本線の倶知安駅。

すぐ隣には、倶知安機関区があった。

函館からの下りのニセコは、C62の重連だ。

夏のこの時期は、まだ明るい夕方だった。

残り小樽までの運転に備えて、石炭のかき寄せ、走行装置の点検などが行われている。

この、C62重連を追って、渡道は真冬を含めて10回ぐらいだったろうか。

函館、五稜郭、大沼公園、長万部、二股、倶知安、小沢、銀山、上目名、小樽、小樽築港などが思い浮んだ。





2024年5月1日水曜日

キュウロクが走る半世紀前の川越線

1967_6_14 は、川越線の日進~指扇間へ。
田植え後の水田と茅葺きの家が背景だ。
走行しているのは、大宮機関区のキュウロク、9600形貨物列車。
右には、草取りをしているのか、女性の姿が見られる。
半世紀、57年前の一こま。
水田に水が張っていないのは、田んぼを一時的に「干して」いるせいか?


2024年4月30日火曜日

C6222「ゆうづる」けん引機

1967_4_1 は、3人兄弟で常磐線の平機関区へ日帰り旅。

お目当ては、C62。

写真の一枚は、22号機で「ゆうづる」のヘッドマーク付き。

このC6222は深夜から朝の上りの「ゆうづる」けん引機だった。

今では考えられないだろうが、こういった撮影のための機関区への入場も緩やかだった。

この後、日を改めて何回かここを再訪している。





 

2024年4月29日月曜日

いつまで撮影できる

2024_4_29 は、2か月ぶりの撮影。
まず、高崎駅南の高崎アリーナへ。
ココで撮ったのがコレ。

C6120牽引の「EL/SL高崎駅140年横川」。
駅南の電留線から旧客を引き出している所です。
C61のボディはピカピカでしたので、現像でモノクロームに変換し、レトロ感を出しました。
このC6120は、SLの現役時代に東北で何回か撮影していますので、愛着のある「カマ」のひとつ。
2024年の現在、ここ地元で撮影できるなんて夢のようです。
ただし、何時までも撮影できるわけではないようです。
九州の8620の引退のこともあるし、東北のC58銀河のこともあるし・・・・。
こちらのD51498もまだ復帰していませんし・・・。



2024年4月18日木曜日

481系しらさぎ

 1965_4_4は、名古屋へ。

撮ったのはコレ、481系しらさぎ編成。

名古屋~北陸の富山間の特急だったか?

151系の交直両用仕様で、この時点では「新車」だった。

2024年の現在でも、名古屋~(北陸)敦賀間の特急は健在だ。




「のりもの」に関心


1961_4_30 は、家族で羽田空港へ出かけた。
お目当ては「航空機」。
撮影できたのは、日本航空のダグラスDC-4だろうと思われる。
送迎用デッキからの一枚だったが、撮った写真はこれともう一つだけ。
一こま一こまが貴重な時代。
このころは、二輪車バイク、自動車、鉄道車両、航空機など、「のりもの」に関心があった。
その後は、鉄道車両に焦点が絞られる・・・。


2024年3月30日土曜日

高崎駅前

 


1980年の頃の高崎駅前。

本屋の西口駅舎やタクシーがなつかしい。

このあと上越新幹線建設のため、写真の駅舎は取り壊され現在の駅ビルになった。

この写真と現在の駅前とを比べると時代の変遷を感じる。


「山岳装備」のD51


1967_4_15 は、篠ノ井線の姥捨へ。

ここは車窓や姥捨駅からの眺めが抜群だった。

駅の構造もスイッチバックになっているし、25‰の急坂なので録音や写真としての面白みがあった。

写真の一枚は、正面の撮影をやり過ごした後追い撮影。

「山岳装備」のD51の通過シーンだ。