2024_12_31 E653系の臨時特急「水上」号が上野→水上まで運転されました。
撮影した日中は穏やかな日和でしたが、一時は落ち葉が北風に舞っていた大晦日でした。
いままで651系で走っていた特急「草津」や「水上」に代わって跡を継いだのがE257系とE653系。
特に今日は定期特急列車を含め、吾妻線上越線には下り5本、上り4本もの登板でした。
▼E653系で運転された臨時特急「水上」号。
はじめてカメラを手にしたのは、父親から買ってもらった富士フィルムの「ペット35」。小学6年生だった。その1960年代のはじめから撮り貯めた、とっておきの思い出鉄道写真と、今もバリバリ撮り続けている鉄道写真をエピソードと共に紹介します。
2024_12_24 撮影の一枚。
上りのE257系特急「草津・四万」号が、高操わきを通過。
列車の窓には、今落ちつつある「落陽」がギラリと反射しています。
時刻は、17時少し前。
2025年3月のダイヤ改正では、E257系の「あかぎ」の一部削減がアナウンスされています。
現在の「安中貨物」は、高操を16時46分着、48分発のダイヤ。
2024_12_23の16時48分と言えば、あたりは相当暗い。
この一枚、その高操を発車して高崎(安中)に向かう後追いカット。
タキ1200形式のみのこの列車、安中で「返空」となり、深夜帯に折り返すことになっている。
2024_12_11は、特別な日になりました。
それはGV-E197けん引の12系の旅客列車が、初めて本線である信越線を走ったのです。
今回の試験運転の編成は、横川方からGV‐E197(TS08)×2+12系客車×3+D51498の6両でした。
お立ち台でのファンの姿は10人ほどでしたが、GV-E197への関心の高さを感じました。
クルマのナンバーから見ると遠方からの遠征組もいてびっくり。
ELやDLがけん引する旅客列車は、▼今後はこのような形になるのでしょう。
▼は高崎駅を発車する下り横川行きの試運転列車。最後尾にD51498が付いていた。今、鉄道ファンの間で注目を集めているGV-E197系。
2024_11_27 朝、SLの汽笛が聞こえたので、早速汽笛の主を求めて出かけました。
その汽笛の主はD51498でした。
一緒にいたGV-E197系200番台は、「TS-08」の2両編成で
「GV-E197系×2+12系×2+オヤ121+D51×1」の6両編成に組成されました。
D51498は上り方なので、「DL/SLぐんま 横川」高崎行き編成用といった具合です。
なお、今日のこのGV-E197系の試運転は、SLとの初めての連結だったようで、
信越線では、この編成を基本にした性能試験が行われると思われます。
1966_12 ごろの一枚。
信越線の群馬八幡~安中間を行くEF62形牽引の下りの準急か急行。
背景の左は碓氷川の河岸段丘、右奥は群馬八幡の化学工場。
画面右の水田は、今も58年前そのままだ。
信越線の上り線部分は複線工事中で、架線柱もまだなく、道床の白い砕石が目立つ。
撮影個所のこの陸橋は今でもそのままあるが、ここらへんは旧中山道の「板鼻宿」あたり
で、現在の「お立ち台」は、この陸橋の下になっている。
当時のこの辺は、今と違ってずいぶんスッキリしていた。
明日、2024_11_17 にはここ板鼻陸橋付近で「EL/SLレトロぐんま 横川」を撮影する予定・・・。
もう一度掲載
1962_8_17には、東京駅ホームで「駅撮り」。
この一枚、広島行きの特急「つばめ」。
この「つばめ」は、この年の6月の広島電化で東京~広島間に設定された151系特急電車だ。
1962年といえば、東京オリンピック開催の2年前で、62年前の中学3年生?
この「つばめ」の運行も、1964年10月の東海道新幹線の開業までだった。
2024_10_28 は「群馬県民の日」。
午前は、「EL群馬県民の日」号の撮影。
この一枚は、そのEL通過の前に撮った
211系クモハ3036以下の4連です。
先頭車は、霜取りパンタが付いている珍しい車両。
この編成はA36で、正面には丸形ヘッドマークが掲出されています。
表示文字は「135th Anniversary Rymo Line」で、両毛線全通135周年を記念したものです。JRのリリースによると、年末の12月26日まで掲出されるとのことです。
会場の上信電鉄の本社までは、自転車で20分ほど。
まず撮影したのは、「ヘッドマーク」。
上段の3枚が「デキ関連」で、下段はデハ150形のさよなら関連。
それぞれに思い出をもって、掲出されてきたものでしょう。
今日のフェアの目玉は、「デキ3」の構内走行。
ただし、もはやデキは自力では走行できず、デハの後押しで構内を「移動」させられた感じでした。
でも、ボディがきれいに塗装されているので、このまま、本線を走れそう!でした。
2024_10_14 の「鉄道の日」。
C6120が新しいヘッドマークを掲出して走りました。
撮影地の高崎アリーナには、20人ほどのファンが集まっていました。
これは駅南の電留線での「機関車大集合」のおこぼれ撮影を狙ったものでしょうか?
現役時代のC6120を東北本線や奥羽本線で何回か撮影していますが、こんなにピカピカでは
ありませんでした。
でも、C6120の現役時代を知るものとして、この20号機の今後の活躍を願っています。
151系(181系)の「こだま」を東京駅で撮ったのは、1964_9_28。
10月1日、東海道新幹線ゼロ系登場のダイヤ改正3日前。
そして、在来線からこの「こだま」も消える。
当時のホームで撮った他の写真を見ると、
いわゆる「てっちゃん」、「撮り鉄」がいない?
(注)この一枚の写真は、一度アップしたのちの「再掲」かもしれない。
2024_9_7 は、高崎アリーナ脇へ「SLぐんま みなかみ」を撮影に。
「SLぐんま みなかみ」帰着前、ここから群馬車両センターに向けて移動したのが、このEF641001。
来週の9月15日から「DL/ELカウントダウン運転」が始まり、この1001号機もファイナル運転の対象となるはずだ。
9年前の一コマ。
新潟色の115系3連をEF81134がけん引し、新津を目指しています。
大宮総合車両センターでの点検をすませてきたのでしょう。
2015_6_26 高崎線高崎~倉賀野間での撮影。
この電機けん引の編成は、これからは新型の「GV-E197」に代わるので、この一コマは貴重なカットになりました。
10年前のこのころは、新潟色の115系はしばしばここを通過していました。
それらは自走していたり、他の115系に挟まれたり、電機にけん引してもらっていましたが、今ではこれらの115系は全く見られなくなっています。
「諸行無常」は世の常。
EF58などが牽引していた「旅客列車」が消え何年もたちました。
今度は、EF64やEF65の順番が回ってきました。
今日、安中で気づいたのですが、EF641053号機のサイドには、補修をしたペンキ跡がめ
だっていました。
この秋の当機の運行が最後なのもうなづけます。
2024_8_25 夕方、16時28分ごろ、二つの汽笛が聞こえました。
今日信越線で運行した「EL/SLぐんま よこかわ」のけん引機、EF641053とC6120の汽笛
で、
「ピー」
「ボー」。
「群馬車両センター」へ戻った合図ですが、なにやらもの悲しい雰囲気でした。
1970_8_23撮影だから、54年前の一枚だ。
奥羽本線の碇ヶ関でのD51三重連の貨物列車。
奥羽本線の電化複線化を控えた撮影地だった。
蒸機撮影には難となる、ポールはまだ立っていなかった。
現在は高崎の「ぐんま車両センター」に配備されているC6120をここで撮っているのは驚きだ。
碇ヶ関には、北海道で函館本線のC62重連の撮影を終え、立ち寄ったもので、この年はすでに社会人になっていた。
2024_7_13撮影のC6120牽引の「ぐんまちゃん号」です。
ぐんまちゃん30周年、高崎駅開業140周年を記念した列車が
9時56分、水上めざして高崎駅を発車したシーンです。
オリジナルヘッドマークが掲出されています。
お客さんの乗車も満員のように見えました。
当初、D51かと思いましたが、C6120の登板でした。
この夏以降、何本かのSL牽引列車が、上越線などを走るようです。
1969_2_7撮影。
足尾線の上神梅~本宿間でC12をアップ気味で撮ったもので、C12形163号は足尾をめざしていた。
こちらは、バイクでの追走だった。
そのバイクは、ホンダの「CS90」で大間々あたりから、神戸(ごうど)まで追いかけた。
この足尾線、荷が重いときは重連もあったので、魅力的な路線だった。
ぐんま車両センターのELとDLの5両の営業運転の終了が発表された。
2024_6_6 のJR東日本高崎支社からの発表で、知りえたのは、今朝7日付けの上毛新聞だった。
発表によると、この9月にファイナル運転が横川、水上、桐生の往復で行われるとのこと。
この一枚は、2023_9_3の信越本線の群馬八幡~安中間での撮影で、「ELぐんま よこかわ」を牽引しているEF65501。
他に引退するカマは、EF641053,EF641001、DD51842,DD51895。
時代が変わるこの秋だ。
ココは、この区間がヨンサントウで新線に移るため、廃線になるのでポールが立たなかった場所。
驀進してくるC60をほぼ正面からとらえた一枚。
ポールがないと、撮影の自由度が増すので、貴重な区間だった。
ここを走っているカマは、4種。
貨物のD51、旅客のC60とC61。
それに重量貨物列車は、D51の重連で、急行旅客列車はDD51の重連。
この日、他の撮影者はいなかったので、至福の時を過ごすことができた夏休み入りだった。
画面右には、189系の「あさま」。
1995年7月、D51498の高崎発車の一枚だ。
もう29年も前のこと。
そうそう、今日2024_5_25の夕方、高崎線上り線を「斜めストライプの185系」が走っていました。なんとも、懐かしい車両でした。
5月に入っての投稿はたった2回目。
この一枚、1968_7_12 の撮影は、函館本線の倶知安駅。
すぐ隣には、倶知安機関区があった。
函館からの下りのニセコは、C62の重連だ。
夏のこの時期は、まだ明るい夕方だった。
残り小樽までの運転に備えて、石炭のかき寄せ、走行装置の点検などが行われている。
この、C62重連を追って、渡道は真冬を含めて10回ぐらいだったろうか。
函館、五稜郭、大沼公園、長万部、二股、倶知安、小沢、銀山、上目名、小樽、小樽築港などが思い浮んだ。
1967_4_1 は、3人兄弟で常磐線の平機関区へ日帰り旅。
お目当ては、C62。
写真の一枚は、22号機で「ゆうづる」のヘッドマーク付き。
このC6222は深夜から朝の上りの「ゆうづる」けん引機だった。
今では考えられないだろうが、こういった撮影のための機関区への入場も緩やかだった。
この後、日を改めて何回かここを再訪している。