国鉄高崎第一機関区のターンテーブルの上で回転しているD51631。
画面右のラウンドハウスには、C58が収まっている。
1970_7_ごろ撮影の一枚。
この機関区は、上越新幹線の建設により、その面影は全くなくなっている。
こんな施設や建物があったなんて、写真なしでは思い出すことは困難。
ただ、当地では時々D51とC61とC58の汽笛を聞くことができるのは幸いだ。
はじめてカメラを手にしたのは、父親から買ってもらった富士フィルムの「ペット35」。小学6年生だった。その1960年代のはじめから撮り貯めた、とっておきの思い出鉄道写真と、今もバリバリ撮り続けている鉄道写真をエピソードと共に紹介します。
画面右のラウンドハウスには、C58が収まっている。
1970_7_ごろ撮影の一枚。
この機関区は、上越新幹線の建設により、その面影は全くなくなっている。
こんな施設や建物があったなんて、写真なしでは思い出すことは困難。
ただ、当地では時々D51とC61とC58の汽笛を聞くことができるのは幸いだ。
このころ呉線では、C62やC59が走っていました。
この一枚は、大学の鉄研の夏季合宿で山陰を調査しての帰り、広島駅で撮ったC6215。
この15号機は、このあと北海道に渡って最後の「C62重連」として活躍した。
区名札の「糸」は、糸崎機関区のことですね。
1965_9 ごろの一枚。
牽引はEF6226だから、これから高崎駅を経由して信越本線に入る貨物列車だろう。
画面左は高崎第二機関区。
EF15とEF62が休んでいる。
画面右下には、ホンダスーパーカブのバックミラーが映り込んでいる。
昭和40年のこのころには、すでに原付バイクに乗っていたのですね。
ところで、このフィルムは、画面の左がゆがんでいる半端フィルムで
スキャン時にカールが補正できなかったものです・・・。
2025_3_23 の高崎駅、3番線。
キハ110系2両編成。
そこで注目しているのが、ことし後半以降に登場する新型のHB-E220系。
この新型の登場によって、「キハ110系2両編成の写真」は、
歴史を語る貴重な一枚になりますね?
でも、駅ホームでの撮影には、こんな注意書きがありました。↓
2025_3_13 は、八高線の群馬藤岡~丹荘間へ。
埼玉県と群馬県の「県境」で、単行のキハ110形を狙った。
3月15日からは、この単行と3連はなくなり、
すべてが2連のワンマンになるとJRから発表されているようだ。
今年の下期には新型のHB-E220が登場し、早晩このキハ110形も引退となる。
冬の寒空を背景にしてみた一枚。1970_9_27 は、八高線に蒸機重連列車が走った日。
そして高崎第一機関区では「機関車展示会」が開かれていた。
ヘッドマークを掲げているのは、C58309。
高崎鉄道管理局
鉄道友の会」
の文字。そして「キュウロク」の影絵。
次週の10月4日には、足尾線でも最終列車が走った。
半世紀前の一枚。
通称「安中貨物」が注目されているようですね。
私がなじんだこの列車は、高崎線経由の時代になってからで、
EF81が牽引していたころです。
EF510の時代はこの後で、EH500に代わって現在に至ります。
画面奥突き当りには、「高崎アリーナ」のおお屋根が写っています。
列車はこのアリーナめがけて進んでいます。
そして右にカーブを切ったあと駅構内を通過。
信越線に入り、安中に至ります。
写真の「タキ1200」という貨車の積み荷は、「亜鉛焼鉱」。
福島県から群馬県安中市まで毎日、往復している。
5097レは、高崎操車場(高操)16時46分着48分発で終着安中に向かう。
この一枚は、その2分停車の高操でのスナップ。
タキの背景に写っている山並みは、上毛三山の一つ「妙義山」だ。
この山のふもとは「安中市」。
列車はココを発車後、この左の山の方向に向かう。
2025_2_24 撮影
キハ110系に代わるハイブリッド車で、HB-E220と発表されている。
この一枚は、2020_10_20撮影のGV-E400。
5年前に秋田からテスト走行のために単行でやってきたものだった。
撮影地は、八高線群馬藤岡~丹荘間。
ここは架線のない(未)非電化区間で、お気に入りの場所だ。
ここは足尾線。
現在の路線名は、わたらせ渓谷鉄道。
左にはC50が入れ替えをしている。
その中を神戸(ごうど)・足尾に向けてC12 253号機が発車した。
撮影日付は、1968_2_8。
半世紀以上前。
大間々までホンダの90CCのバイクを駆けって出かけた。
季節は今日(2025_2_5)と同じ、2月だから
そうとう寒かっただろう。
東北本線盛岡以北の電化を10月に控えていました。
何回か通った撮影地は、盛岡の先の沼宮内(ぬまくない)。
ここから奥中山方面に向けて、D51の三重連や重連が目白押しでした。
この一枚、三本の煙突から立ち上る煙が三重連の証。
沼宮内を発車するD51三重連による貨物列車です。
架線柱が立っていないので、空が広く見えます。
2011_7_2 は「撮り鉄人生」にとって印象深い日でした。
D51498は高崎から信越線横川へ。
C6120とC57180は、重連で上越線の水上へと運転されたのです。
この日、D51とC61+C57がなんと、高崎駅を同時発車したのです。
この時のベストショットは、あるコンクールで「グランプリ」受賞となりました。
高崎での撮影後、水上まで追いかけて復路の重連を撮ったのがこの一枚。
貴婦人、C57を真横から狙ったものです。▼
あれから、14年も経ちました。
その後は、このような列車は運転されなくなりました。
1970_2_6 、函館から長万部までの急行「ニセコ」号の旧型客車内から、
C6232号の炭水車付近を撮影した内の一枚です。
卒業旅行としての北海道旅行でした。
厳寒の季節でしたが、トラブルもなくお目当ての蒸機の撮影を終えています。
撮影地は、函館、長万部、二股、上目名、銀山、小樽築港など、函館本線を走る「C62(シロクニ)」を中心に追いかけました。
あれから55年を経過。
2025年の最近は、カセットからデジタル化した生録音を聞き返し、往時を懐かしんでいます。
1967_1_7 の撮影。
高崎線倉賀野・新町間を下るEF53牽引の旅客列車だ。
このように被写体を「鉄道」に向けたのは、小学6年生のころからで、
最初のカメラは、冨士フィルム製の35ミリレンズシャッター。
F値は3.5で、最高シャッタースピードは200分の1だった。
その後、ペトリやミノルタに変わった。
2025年がスタートして三日。
今日の一枚は、1965年1月ごろのEF60127牽引の貨物列車。
このころ、高崎第二機関区にこのEF60の100番台が配属されていました。
撮影場所は、現在の「高崎アリーナ」あたり。
どういうわけか、ナッパ服を着た人物が映り込んでいる。
画面左のスレート屋根の家が時代を感じさせる。
60年前の1月の情景。