2025年4月14日月曜日

今でも汽笛が聞こえる


国鉄高崎第一機関区のターンテーブルの上で回転しているD51631。

画面右のラウンドハウスには、C58が収まっている。

1970_7_ごろ撮影の一枚。

この機関区は、上越新幹線の建設により、その面影は全くなくなっている。

こんな施設や建物があったなんて、写真なしでは思い出すことは困難。

ただ、当地では時々D51とC61とC58の汽笛を聞くことができるのは幸いだ。

 

2025年4月13日日曜日

広島で出会ったC6215

 


1966_8_25 の広島駅。

このころ呉線では、C62やC59が走っていました。

この一枚は、大学の鉄研の夏季合宿で山陰を調査しての帰り、広島駅で撮ったC6215。

この15号機は、このあと北海道に渡って最後の「C62重連」として活躍した。

区名札の「糸」は、糸崎機関区のことですね。


2025年4月8日火曜日

カールしているフィルム

 1965_9  ごろの一枚。


撮影は高崎線下りの倉賀野~高崎間。

牽引はEF6226だから、これから高崎駅を経由して信越本線に入る貨物列車だろう。

画面左は高崎第二機関区。

EF15とEF62が休んでいる。

画面右下には、ホンダスーパーカブのバックミラーが映り込んでいる。

昭和40年のこのころには、すでに原付バイクに乗っていたのですね。

ところで、このフィルムは、画面の左がゆがんでいる半端フィルムで

スキャン時にカールが補正できなかったものです・・・。



2025年3月30日日曜日

歴史を語る貴重な一枚に

 2025_3_23 の高崎駅、3番線。

キハ110系2両編成。


この春、八高線では、すべてが110系の2両編成になりました。

そこで注目しているのが、ことし後半以降に登場する新型のHB-E220系。

この新型の登場によって、「キハ110系2両編成の写真」は、

歴史を語る貴重な一枚になりますね?


でも、駅ホームでの撮影には、こんな注意書きがありました。↓








2025年3月16日日曜日

「県境」で単行のキハ110形を狙う

 2025_3_13 は、八高線の群馬藤岡~丹荘間へ。

埼玉県と群馬県の「県境」で、単行のキハ110形を狙った。

3月15日からは、この単行と3連はなくなり、

すべてが2連のワンマンになるとJRから発表されているようだ。

今年の下期には新型のHB-E220が登場し、早晩このキハ110形も引退となる。

冬の寒空を背景にしてみた一枚。







2025年3月12日水曜日

八高線の3連

 2025_3_12は、JR東のダイヤ改正までのこり3日となりました。

この改正で、八高線のキハは、単行と3連がなくなるようです。


そこで今日の一枚は、最後の?八高線の3両編成をスナップ。

高崎に向けて高操わきの高崎線を下るキハ3連です。

朝の7時すぎの太陽が、キハの背後から淡く照らしたので、

少しホンワカした雰囲気に撮れました。



2025年3月9日日曜日

C58に掲げられたヘッドマークは「キュウロク」

 1970_9_27 は、八高線に蒸機重連列車が走った日。

そして高崎第一機関区では「機関車展示会」が開かれていた。

ヘッドマークを掲げているのは、C58309。


「SAYONARA  SL

 高崎鉄道管理局

鉄道友の会」

の文字。そして「キュウロク」の影絵。

次週の10月4日には、足尾線でも最終列車が走った。

半世紀前の一枚。


2025年3月7日金曜日

5‰

 2025_3_7 も安中貨物を追った。


タイトルは「5‰」。

勾配票は、「5‰」の上り坂を示している。

そこを登る「タキ1200」の車列を後追い。

中継信号は「進行」?


2025年3月2日日曜日

多彩な日

 2025_3_2 の駅周辺は多彩でした。

① JR栃木駅から東武栃木駅へ一周する「団体臨時」便は、253系が・・。

② 高崎駅南電留線では、ヘッドマーク付き撮影会が・・。

③ 「安中貨物」のEH500は、昨日の遅延の影響か?今日は単機でぐんまへ・・。


④ 八高線の「単行DC」の運行は、残りあと2週間・・。


2025年2月27日木曜日

「安中貨物」はタキ1200とともに

 通称「安中貨物」が注目されているようですね。

私がなじんだこの列車は、高崎線経由の時代になってからで、

EF81が牽引していたころです。

EF510の時代はこの後で、EH500に代わって現在に至ります。


この一枚は、陸橋からの撮影で、タキ1200を強調するため、後追いで狙いました。

画面奥突き当りには、「高崎アリーナ」のおお屋根が写っています。

列車はこのアリーナめがけて進んでいます。

そして右にカーブを切ったあと駅構内を通過。

信越線に入り、安中に至ります。



2025年2月24日月曜日

「安中貨物」列車は、この山方向へ向かう


 今、注目の「安中貨物」。

写真の「タキ1200」という貨車の積み荷は、「亜鉛焼鉱」。

福島県から群馬県安中市まで毎日、往復している。

5097レは、高崎操車場(高操)16時46分着48分発で終着安中に向かう。

この一枚は、その2分停車の高操でのスナップ。

タキの背景に写っている山並みは、上毛三山の一つ「妙義山」だ。

この山のふもとは「安中市」。

列車はココを発車後、この左の山の方向に向かう。

2025_2_24 撮影




2025年2月19日水曜日

八高線でテストをしたときのGV-E400


 今年後半、八高線に新型車両が導入される。

キハ110系に代わるハイブリッド車で、HB-E220と発表されている。

この一枚は、2020_10_20撮影のGV-E400。

5年前に秋田からテスト走行のために単行でやってきたものだった。

撮影地は、八高線群馬藤岡~丹荘間。

ここは架線のない(未)非電化区間で、お気に入りの場所だ。


2025年2月13日木曜日

豊岡だるま駅

令和8年度にできるという信越線の新しい駅、「豊岡だるま」駅の進捗状況を見に2025_2_13に現場に立ち寄りました。
その時の一枚がコレ。
以前立ち寄ったときより、地ならしが広く行われていました。
実を言うと、我が町内にも高崎線の新駅の計画はありましたが、ここに先を越されてしまいました。

画面左が信越線で横川方面。画面中央奥が高崎方面。
それでも、この新駅の設置は魅力です。
ときどき訪れて進捗状況を確認したいと思います。


GVとSLの試運転

JR東のぐんま車両センターに配置されているGV-E197の内、

200番台の「TS-08」編成2両が主役。

この編成が2025_2_12 と13日、信越線で試運転がおこなわれました。

この日は、横川方からGV-E197×2+12系客車×3+D51498の6両編成でした。

この一枚は、この編成を分解する前後のカットで

画面左後ろの柱の陰にGV-E197が小さく写っています。







2025年2月5日水曜日

バイクを駆けって大間々へ

ここは足尾線。

現在の路線名は、わたらせ渓谷鉄道。


この一枚の撮影地は、大間々。

左にはC50が入れ替えをしている。

その中を神戸(ごうど)・足尾に向けてC12 253号機が発車した。

撮影日付は、1968_2_8。

半世紀以上前。

大間々までホンダの90CCのバイクを駆けって出かけた。

季節は今日(2025_2_5)と同じ、2月だから

そうとう寒かっただろう。


 

2025年1月31日金曜日

D51三重連 沼宮内発車


1967年は「撮り鉄」に熱中した年、

東北本線盛岡以北の電化を10月に控えていました。

何回か通った撮影地は、盛岡の先の沼宮内(ぬまくない)。

ここから奥中山方面に向けて、D51の三重連や重連が目白押しでした。

この一枚、三本の煙突から立ち上る煙が三重連の証。

沼宮内を発車するD51三重連による貨物列車です。

架線柱が立っていないので、空が広く見えます。


2025年1月27日月曜日

感動をもう一度 同時発車から14年

 2011_7_2 は「撮り鉄人生」にとって印象深い日でした。

D51498は高崎から信越線横川へ。

C6120とC57180は、重連で上越線の水上へと運転されたのです。

この日、D51とC61+C57がなんと、高崎駅を同時発車したのです。

この時のベストショットは、あるコンクールで「グランプリ」受賞となりました。

高崎での撮影後、水上まで追いかけて復路の重連を撮ったのがこの一枚。

貴婦人、C57を真横から狙ったものです。▼

あれから、14年も経ちました。

その後は、このような列車は運転されなくなりました。


2025年1月25日土曜日

生禄のデジタル化で往時を懐かしむ

 1970_2_6 、函館から長万部までの急行「ニセコ」号の旧型客車内から、

C6232号の炭水車付近を撮影した内の一枚です。


この年の4月には、晴れて?社会人として巣立ったので、

卒業旅行としての北海道旅行でした。

厳寒の季節でしたが、トラブルもなくお目当ての蒸機の撮影を終えています。

撮影地は、函館、長万部、二股、上目名、銀山、小樽築港など、函館本線を走る「C62(シロクニ)」を中心に追いかけました。

あれから55年を経過。

2025年の最近は、カセットからデジタル化した生録音を聞き返し、往時を懐かしんでいます。


2025年1月18日土曜日

高崎線を下るEF53

 1967_1_7 の撮影。

高崎線倉賀野・新町間を下るEF53牽引の旅客列車だ。

このように被写体を「鉄道」に向けたのは、小学6年生のころからで、

最初のカメラは、冨士フィルム製の35ミリレンズシャッター。

F値は3.5で、最高シャッタースピードは200分の1だった。

その後、ペトリやミノルタに変わった。





2025年1月3日金曜日

ランドマークをバックのEF60

 2025年がスタートして三日。

今日の一枚は、1965年1月ごろのEF60127牽引の貨物列車。

このころ、高崎第二機関区にこのEF60の100番台が配属されていました。

撮影場所は、現在の「高崎アリーナ」あたり。


背景の建物は、日本製粉の高崎工場で「ランドマーク」タワーだった。

どういうわけか、ナッパ服を着た人物が映り込んでいる。

画面左のスレート屋根の家が時代を感じさせる。

60年前の1月の情景。