2025年6月11日水曜日

アプトED42

1966_3 高崎第二機関区からの非常渡り線で解体を待つED42。

右の山は当地を象徴する榛名山。

1963年に開通したアプト廃止を受けて、数両のED42がここに並べられていた。


 

2025年6月3日火曜日

「夜明け前」通過


26系カシオペア編成の秋田発上野行きが当地を通過しました。

2025_6_3 の朝4時55分ごろでした。

霧雨が降って夜もまだ明けやらない時刻。

前回と違って雰囲気は「夜明け前」で、露出は厳しいものでした。

まだ、寝ているお客さんも多そうな感じ。

今回のツアーの名称は、「上野~秋田間往復乗車ツアー3泊4日」。

まだ私自身、一度も乗車していないうちに、ラストランを迎えるようです。



 

2025年5月28日水曜日

湖底に沈んだ吾妻線を振り返る

 


2008年5月16日は、吾妻線の付け替え予定路線を撮影に出かけました。

この後の八ッ場ダム関連工事で、背景の橋梁は取り壊されるのかと思っていましたが、

このまま、湖底に沈みました。

この辺りは、八ッ場ダム堤体のすぐ近くで、

何度も何度も通った八ッ場ダムの工事現場です。

この一枚は、まだ工事の爪痕の見えない時期の記録です。

でも、もう17年も前になりました。


2025年5月19日月曜日

26系カシオペア 当地を通過

 2025_5_18 は、久しぶりのEF64とEF81の重連「カシオペア」の撮影だった。

高操を丁度、午前5時通過だった。

夜明け時の暗い中の一枚かと心配しましたが、実際十分な明るさになっていました。

26系の客車のカーテンもちらほら開いていて、


お客さんの起床も早かったようです。

貴重な客車列車の「カシオペア」もそう長くはないようですが、

6月にも又ここを走るので、楽しみです。





2025年5月17日土曜日

水没前のなつかしの吾妻線

 


2008_5_18 は、吾妻線の岩島~川原湯温泉に行き、

「八ッ場ダム」工事で景色の変わる前の風景を記録している。

正面左奥のこ線橋は旧川原湯温泉駅のもの。

右下手前を115系電車がダム建設地の吾妻渓谷を通過中。

ここは、2014年10月に付け替え新線に移行して10年経過。

水没前のなつかしい吾妻線の風景だ。




2025年5月9日金曜日

C58形400号機


C58形の400号機のサイド。

1967_9_2 撮影場所は高崎第一機関区。

この400号機は「お召」列車けん引の予備機になったことがある。

予備機になったころの整備は、お召にふさわしい立派なスタイルとして披露された。

確か小山機関区での撮影だった。

現在、高崎第一機関区の跡は上越、北陸新幹線の高架になって、当時の面影はない。

なお、この一枚は当時としてはまだ貴重な「カラー写真」だ。

 

2025年5月4日日曜日

2代目

2025年も5月になりました。

しかも4日です。

今日、「SLレトロぐんま 水上」が高崎を発車しました。

牽引機はC6120で、真横から見ると巨大な壁のような迫力でした。

そう、今日の撮り鉄は中2の孫と一緒でした。

カメラの操作のしかたや構図などをレクチャーして臨みましたが、

そのせいか、まずまずの写真の出来栄えでした。

2代目の鉄ちゃんに育つかな?


 

2025年4月24日木曜日

長野色の115系とロクサン

1997年9月末に廃線になった「新碓氷線」。

廃止になる前にと何回も訪問したが、傑作という写真は撮れずじまいだった。


この場所は、旧丸山信号所の近くで、レンガ造りの旧丸山変電所もあるところ。

さらに、ランドマークになっている上信越自動車道の高い橋脚も、この線路沿いに立っている。

軽井沢からの上り列車が 通過してきた時刻は、被写体であるロクヨンや長野色115系が、ちょうど日陰に入ってしまった。

カメラは、まだデジカメでなく、ミノルタα7000という35ミリフィルム使用の一眼レフだった。

ピント合わせは、オートであった。



2025年4月18日金曜日

函館本線山線

 函館本線山線の上目名を通過するキハ56系の北海道観光号「エルム」。


建設中の北海道新幹線は、この小樽経由の「山線」を通過して札幌をめざす。

そして新幹線の開業で、現、山線は廃線になる?

そう、ここはC62の重連が通った線路でもある。

夏の時期だけだろうが、この臨時急行も山線を通っていたのです。

1967_7_18





大間々でC50の形式写真

国鉄足尾線の桐生~大間々間に、小山機関区のC50が一往復走っていた。

1969_2_11 大間々で撮影の154号機がそれだ。


この貨物列車は、C12と重連を組んで牽引していたが、C50は逆向きだった。

そのため、この一枚の写真を見ると、右方向が桐生方面だとわかる。

2025年4月中旬の今日、わたらせ渓谷鉄道の沿線は、晩生の桜や花桃で満開だろう。


 

2025年4月14日月曜日

今でも汽笛が聞こえる


国鉄高崎第一機関区のターンテーブルの上で回転しているD51631。

画面右のラウンドハウスには、C58が収まっている。

1970_7_ごろ撮影の一枚。

この機関区は、上越新幹線の建設により、その面影は全くなくなっている。

こんな施設や建物があったなんて、写真なしでは思い出すことは困難。

ただ、当地では時々D51とC61とC58の汽笛を聞くことができるのは幸いだ。

 

2025年4月13日日曜日

広島で出会ったC6215

 


1966_8_25 の広島駅。

このころ呉線では、C62やC59が走っていました。

この一枚は、大学の鉄研の夏季合宿で山陰を調査しての帰り、広島駅で撮ったC6215。

この15号機は、このあと北海道に渡って最後の「C62重連」として活躍した。

区名札の「糸」は、糸崎機関区のことですね。


2025年4月8日火曜日

カールしているフィルム

 1965_9  ごろの一枚。


撮影は高崎線下りの倉賀野~高崎間。

牽引はEF6226だから、これから高崎駅を経由して信越本線に入る貨物列車だろう。

画面左は高崎第二機関区。

EF15とEF62が休んでいる。

画面右下には、ホンダスーパーカブのバックミラーが映り込んでいる。

昭和40年のこのころには、すでに原付バイクに乗っていたのですね。

ところで、このフィルムは、画面の左がゆがんでいる半端フィルムで

スキャン時にカールが補正できなかったものです・・・。



2025年3月30日日曜日

歴史を語る貴重な一枚に

 2025_3_23 の高崎駅、3番線。

キハ110系2両編成。


この春、八高線では、すべてが110系の2両編成になりました。

そこで注目しているのが、ことし後半以降に登場する新型のHB-E220系。

この新型の登場によって、「キハ110系2両編成の写真」は、

歴史を語る貴重な一枚になりますね?


でも、駅ホームでの撮影には、こんな注意書きがありました。↓








2025年3月16日日曜日

「県境」で単行のキハ110形を狙う

 2025_3_13 は、八高線の群馬藤岡~丹荘間へ。

埼玉県と群馬県の「県境」で、単行のキハ110形を狙った。

3月15日からは、この単行と3連はなくなり、

すべてが2連のワンマンになるとJRから発表されているようだ。

今年の下期には新型のHB-E220が登場し、早晩このキハ110形も引退となる。

冬の寒空を背景にしてみた一枚。







2025年3月12日水曜日

八高線の3連

 2025_3_12は、JR東のダイヤ改正までのこり3日となりました。

この改正で、八高線のキハは、単行と3連がなくなるようです。


そこで今日の一枚は、最後の?八高線の3両編成をスナップ。

高崎に向けて高操わきの高崎線を下るキハ3連です。

朝の7時すぎの太陽が、キハの背後から淡く照らしたので、

少しホンワカした雰囲気に撮れました。



2025年3月9日日曜日

C58に掲げられたヘッドマークは「キュウロク」

 1970_9_27 は、八高線に蒸機重連列車が走った日。

そして高崎第一機関区では「機関車展示会」が開かれていた。

ヘッドマークを掲げているのは、C58309。


「SAYONARA  SL

 高崎鉄道管理局

鉄道友の会」

の文字。そして「キュウロク」の影絵。

次週の10月4日には、足尾線でも最終列車が走った。

半世紀前の一枚。


2025年3月7日金曜日

5‰

 2025_3_7 も安中貨物を追った。


タイトルは「5‰」。

勾配票は、「5‰」の上り坂を示している。

そこを登る「タキ1200」の車列を後追い。

中継信号は「進行」?


2025年3月2日日曜日

多彩な日

 2025_3_2 の駅周辺は多彩でした。

① JR栃木駅から東武栃木駅へ一周する「団体臨時」便は、253系が・・。

② 高崎駅南電留線では、ヘッドマーク付き撮影会が・・。

③ 「安中貨物」のEH500は、昨日の遅延の影響か?今日は単機でぐんまへ・・。


④ 八高線の「単行DC」の運行は、残りあと2週間・・。


2025年2月27日木曜日

「安中貨物」はタキ1200とともに

 通称「安中貨物」が注目されているようですね。

私がなじんだこの列車は、高崎線経由の時代になってからで、

EF81が牽引していたころです。

EF510の時代はこの後で、EH500に代わって現在に至ります。


この一枚は、陸橋からの撮影で、タキ1200を強調するため、後追いで狙いました。

画面奥突き当りには、「高崎アリーナ」のおお屋根が写っています。

列車はこのアリーナめがけて進んでいます。

そして右にカーブを切ったあと駅構内を通過。

信越線に入り、安中に至ります。



2025年2月24日月曜日

「安中貨物」列車は、この山方向へ向かう


 今、注目の「安中貨物」。

写真の「タキ1200」という貨車の積み荷は、「亜鉛焼鉱」。

福島県から群馬県安中市まで毎日、往復している。

5097レは、高崎操車場(高操)16時46分着48分発で終着安中に向かう。

この一枚は、その2分停車の高操でのスナップ。

タキの背景に写っている山並みは、上毛三山の一つ「妙義山」だ。

この山のふもとは「安中市」。

列車はココを発車後、この左の山の方向に向かう。

2025_2_24 撮影




2025年2月19日水曜日

八高線でテストをしたときのGV-E400


 今年後半、八高線に新型車両が導入される。

キハ110系に代わるハイブリッド車で、HB-E220と発表されている。

この一枚は、2020_10_20撮影のGV-E400。

5年前に秋田からテスト走行のために単行でやってきたものだった。

撮影地は、八高線群馬藤岡~丹荘間。

ここは架線のない(未)非電化区間で、お気に入りの場所だ。


2025年2月13日木曜日

豊岡だるま駅

令和8年度にできるという信越線の新しい駅、「豊岡だるま」駅の進捗状況を見に2025_2_13に現場に立ち寄りました。
その時の一枚がコレ。
以前立ち寄ったときより、地ならしが広く行われていました。
実を言うと、我が町内にも高崎線の新駅の計画はありましたが、ここに先を越されてしまいました。

画面左が信越線で横川方面。画面中央奥が高崎方面。
それでも、この新駅の設置は魅力です。
ときどき訪れて進捗状況を確認したいと思います。


GVとSLの試運転

JR東のぐんま車両センターに配置されているGV-E197の内、

200番台の「TS-08」編成2両が主役。

この編成が2025_2_12 と13日、信越線で試運転がおこなわれました。

この日は、横川方からGV-E197×2+12系客車×3+D51498の6両編成でした。

この一枚は、この編成を分解する前後のカットで

画面左後ろの柱の陰にGV-E197が小さく写っています。







2025年2月5日水曜日

バイクを駆けって大間々へ

ここは足尾線。

現在の路線名は、わたらせ渓谷鉄道。


この一枚の撮影地は、大間々。

左にはC50が入れ替えをしている。

その中を神戸(ごうど)・足尾に向けてC12 253号機が発車した。

撮影日付は、1968_2_8。

半世紀以上前。

大間々までホンダの90CCのバイクを駆けって出かけた。

季節は今日(2025_2_5)と同じ、2月だから

そうとう寒かっただろう。


 

2025年1月31日金曜日

D51三重連 沼宮内発車


1967年は「撮り鉄」に熱中した年、

東北本線盛岡以北の電化を10月に控えていました。

何回か通った撮影地は、盛岡の先の沼宮内(ぬまくない)。

ここから奥中山方面に向けて、D51の三重連や重連が目白押しでした。

この一枚、三本の煙突から立ち上る煙が三重連の証。

沼宮内を発車するD51三重連による貨物列車です。

架線柱が立っていないので、空が広く見えます。


2025年1月27日月曜日

感動をもう一度 同時発車から14年

 2011_7_2 は「撮り鉄人生」にとって印象深い日でした。

D51498は高崎から信越線横川へ。

C6120とC57180は、重連で上越線の水上へと運転されたのです。

この日、D51とC61+C57がなんと、高崎駅を同時発車したのです。

この時のベストショットは、あるコンクールで「グランプリ」受賞となりました。

高崎での撮影後、水上まで追いかけて復路の重連を撮ったのがこの一枚。

貴婦人、C57を真横から狙ったものです。▼

あれから、14年も経ちました。

その後は、このような列車は運転されなくなりました。


2025年1月25日土曜日

生禄のデジタル化で往時を懐かしむ

 1970_2_6 、函館から長万部までの急行「ニセコ」号の旧型客車内から、

C6232号の炭水車付近を撮影した内の一枚です。


この年の4月には、晴れて?社会人として巣立ったので、

卒業旅行としての北海道旅行でした。

厳寒の季節でしたが、トラブルもなくお目当ての蒸機の撮影を終えています。

撮影地は、函館、長万部、二股、上目名、銀山、小樽築港など、函館本線を走る「C62(シロクニ)」を中心に追いかけました。

あれから55年を経過。

2025年の最近は、カセットからデジタル化した生録音を聞き返し、往時を懐かしんでいます。


2025年1月18日土曜日

高崎線を下るEF53

 1967_1_7 の撮影。

高崎線倉賀野・新町間を下るEF53牽引の旅客列車だ。

このように被写体を「鉄道」に向けたのは、小学6年生のころからで、

最初のカメラは、冨士フィルム製の35ミリレンズシャッター。

F値は3.5で、最高シャッタースピードは200分の1だった。

その後、ペトリやミノルタに変わった。





2025年1月3日金曜日

ランドマークをバックのEF60

 2025年がスタートして三日。

今日の一枚は、1965年1月ごろのEF60127牽引の貨物列車。

このころ、高崎第二機関区にこのEF60の100番台が配属されていました。

撮影場所は、現在の「高崎アリーナ」あたり。


背景の建物は、日本製粉の高崎工場で「ランドマーク」タワーだった。

どういうわけか、ナッパ服を着た人物が映り込んでいる。

画面左のスレート屋根の家が時代を感じさせる。

60年前の1月の情景。