1967_5_14 東北本線厨川~滝沢間。
5レ寝台特急「ゆうづる」だ。
周りは一面のリンゴ畑。
リンゴの花が咲き誇っていた。
朝、5時53分に盛岡を発車してきた長大編成。
牽引は、DD51の重連。青森着は9時15分。
よくぞここまで撮影にやってこられた
わが身を褒めてやりたい。
「滝沢の築堤」にて。
はじめてカメラを手にしたのは、父親から買ってもらった富士フィルムの「ペット35」。小学6年生だった。その1960年代のはじめから撮り貯めた、とっておきの思い出鉄道写真と、今もバリバリ撮り続けている鉄道写真をエピソードと共に紹介します。
1967_5_14 東北本線厨川~滝沢間。
周りは一面のリンゴ畑。
リンゴの花が咲き誇っていた。
朝、5時53分に盛岡を発車してきた長大編成。
牽引は、DD51の重連。青森着は9時15分。
よくぞここまで撮影にやってこられた
わが身を褒めてやりたい。
「滝沢の築堤」にて。
久しぶりに駅の北で「撮り鉄」・・・。
2026_04_26 日曜日。
あとから一人だけ追加だったので、拍子抜けでした。
「撮り鉄」対象としては、人気がないのかな?
列車名は、「GVレトロぐんま水上」。
大きなヘッドマーク付きでした。
去年の夏、横川往復のGVの列車が走りましたが、今回は水上往復でした。
そういえば、SLはどうなるのでしょうか?
1965年2月ごろの新前橋電車区。
今では231系や233系が走っている高崎線ですが、この当時は80系が主流でした。
写真は、2枚ガラスのクハ86形ですが、3枚扉の115系も新しく導入されていました。
写真左は、荷物電車のクモユニ74でしょう。
塗装の塗分けも、今に通ずるオレンジとグリーンの湘南色。
61年前の一枚を再掲しました。
JR吾妻線の川原湯温泉駅~岩島駅間の旧線を走行する115系。
撮影からすでに13年になろうとしている。
この鉄道橋、撤去されずに今はダム湖の中。
「八ッ場ダム」の建設で失われた「鉄道風景」の投稿です。
2026_1_18 ひさしぶりに東京へ。
目的は広田尚敬さんの写真展。
会場は半蔵門駅からすぐのところだった。
戦後の昭和時代をうまく切り取った多くのカットに感動。
そこで私の一枚を投稿・・・。
左の2号機は、炭水車のライトを整備中だった。
無機質の鉄の塊だけの鉄道でなく、整備掛として働くヒトを画面に入れみた。
帰りは、隣接の「カメラ博物館」をぶらり。
東北・花輪線竜ケ森(現・安比高原)で「8620 ハチロク」を追った。
8620の2両・重連で貨物を後押ししている。
1969_1_18 の雪の中。
バッバッバッという独自のドラフト音がよみがえる一枚。
57年も前の一枚だが、年始明けとはいえよくぞ出かけたものだ。
ここまでやってきた自分の
上信電鉄のクモハ503の向こうには、夕陽が沈みかかっている。
ここは、佐野橋。
テレビのロケ地としても有名?な場所だ。
「撮り鉄人生」もいつまでやれるか。
夕陽の落ちる一枚の写真と重ねてみた。
2009_10_14 上信電鉄「佐野のわたし」駅近くの河原にて撮影。
2007_11_4 撮影の吾妻線の河原湯温泉駅の一枚をアップ。
11月のこのころは、駅周辺の「吾妻渓谷」の紅葉が真っ盛り。
渓谷沿いを散策するお客さんも多かった。
でも、この河原湯温泉駅の景色は「ダムの底」に沈んで、もう見ることができない。
「撮り鉄」三昧の吾妻線を堪能した一日でした。
久しぶりの投稿。
1967_3_28 撮影。
東北本線の御堂~奥中山間での「D51三重連」。
3月末の撮影だから、「春休み中」の撮り鉄だった。
俯瞰撮影のできるここは複線になっているので、撮影はし易かったが、奥中山駅からは、徒歩で30分以上はかかった場所だ。
架線の張られていない、58年も前の貴重な一枚。
1965年のころ撮影の一枚は、高操(高崎操車場)のハンプ近くに止まっているD51。
このころの国鉄は、貨物輸送にハンプ付きの操車場が必要でした。
D51が引き上げ線に貨車を引っ張りあげたあと、ハンプ、つまり(下り)坂を利用して貨物列車を組成していたのです。
撮影時刻は、仕業のない昼休みだったのだろうか?
ここの仕業はこのD51の他に、D50や96も使われていたのを覚えている。
60年も前の高操の記録だ。
撮影地は、草木~沢入間。
この区間は、ちょうど「草木ダム」「草木湖」の建設地で、
線路の付け替えが行われるところだ。
非力のC12なので、この区間はC12の重連区間でもある。
ただし、この日は一両での牽引。
いつものとおり、バイクで追いかけたが、これ以降、足尾までは追跡しなかった。
*
50年以上の「撮り鉄」で、「鉄道の変遷」を撮り続けてきたが、
そろそろ終着駅が近づいたかな?
いや!まだまだ!
逆光をいかしてシルエットで表現。
撮影場所は、大間々から相老あたりだが、
正確な撮影地の記録メモがなく、撮影地が不明な一枚。
メモはなくても覚えていればいいのだが、
今や「物忘れ」が生じているのを感じているこのごろです。
1967_3_28は、東北本線の沼宮内(ぬまくない)駅に行っていました。
盛岡の北方にある重連・三重連の機関車の組成・解放の基地の駅です。
下りの貨物列車は、この駅から重連・三重連となってサミット奥中山を目指します。
前補機はD51の164号機で、精いっぱいの力をだし、
ダッシュしていきました。
このころは、まだ電化のポールも建植されず、空もスッキリしていました。
この写真のようにD51は、日常的に見られた機関車でした。
*
一方、2025_9_4 には、
D51498が上越線で脱線事故を起こしたニュースが伝わってきました。
当地では、今でも日常的に親しみのある機関車ですので、
早期の無事の復帰回復を願っています。
2011_2_1 撮影の★★★。
何のアウトライン(シルエット)でしょうか?
高崎機関区脇の公道から、特徴ある流線形が浮かぶように撮りました。
そう、EF55の1号機です。
今では、大宮の「鉄道博物館」に展示されていますが、
私にとってなじみのある機関車です。
*そういえば今日2025_9_4 、蒸機の「汽笛」が高崎機関区方向から聞こえてきました。
D51498の汽笛だと思われます。
修理が終わって試運転をしているのでしょうか?
その場所は、このEF55の撮影地と同じ場所からです!!
写真に撮った一枚の被写体は、その撮った瞬間から過去のものになる。
2012_10_12、 下り高崎線の高操脇で撮ったこの「レール輸送列車」もその過去の一枚だ。
牽引機はEF65で、レールを載せた長尺車チキをアップで捉えている。
今では(2025年8月)、このような機関車けん引の列車は廃止され、
代わりに気動車キヤE195系が走っている。
高崎駅南の電留線で待機している「SLぐんま水上」号。
水上方からC6120+12系5両の6両編成
画面左には最新の「GV-E197」の姿が見える。
真ん中のC61には、猛禽類のヘッドマークが掲出されている。
雰囲気的には、九州を走っていたSL特急「はやぶさ」を思わせます。
8月に入った今日は「酷暑」。
伊勢崎では、40.1度が示されたようで、この気温では、C61の運転室内もさぞ暑かったでしょう。
2025_8_2 撮影
でも、ED62という車両は実際は存在しない。
ゲージは「O(オーゲージ)」なので、レールは3線式で、真ん中の線路から給電した。
撮影は1962年2月のころなので、中学生だった。
最近(2025年)、
中二の孫が「9ミリケージ」の「EF66」や「231系」を購入して運転を楽しんでいる。
GVE197牽引気動車が、2025_7_19にデビューしました。
GVE197は、12系3両しか牽引していませんが満員だったようです。
横川方からの編成は、GVE197×2+12系×3+C61×1でした。
*昨日2025_7_19 にデビューの一枚を、群馬八幡~安中間に撮影に行ったのですが、D51の不調のせいか、遅延が生じ撮影ができなかったアクシデントがありました。
20年前の一枚。
この当時の列車名は、「奥利根」だったか?
2025年のこの夏、いよいよ「GV-E197」が補機としてデビュー。
注目は、信越線の横川往復便・・・。
迫力はD51+C57の重連にはかなわない?