2025年4月24日木曜日

長野色の115系とロクサン

1997年9月末に廃線になった「新碓氷線」。

廃止になる前にと何回も訪問したが、傑作という写真は撮れずじまいだった。


この場所は、旧丸山信号所の近くで、レンガ造りの旧丸山変電所もあるところ。

さらに、ランドマークになっている上信越自動車道の高い橋脚も、この線路沿いに立っている。

軽井沢からの上り列車が 通過してきた時刻は、被写体であるロクヨンや長野色115系が、ちょうど日陰に入ってしまった。

カメラは、まだデジカメでなく、ミノルタα7000という35ミリフィルム使用の一眼レフだった。

ピント合わせは、オートであった。



2025年4月18日金曜日

函館本線山線

 函館本線山線の上目名を通過するキハ56系の北海道観光号「エルム」。


建設中の北海道新幹線は、この小樽経由の「山線」を通過して札幌をめざす。

そして新幹線の開業で、現、山線は廃線になる?

そう、ここはC62の重連が通った線路でもある。

夏の時期だけだろうが、この臨時急行も山線を通っていたのです。

1967_7_18





大間々でC50の形式写真

国鉄足尾線の桐生~大間々間に、小山機関区のC50が一往復走っていた。

1969_2_11 大間々で撮影の154号機がそれだ。


この貨物列車は、C12と重連を組んで牽引していたが、C50は逆向きだった。

そのため、この一枚の写真を見ると、右方向が桐生方面だとわかる。

2025年4月中旬の今日、わたらせ渓谷鉄道の沿線は、晩生の桜や花桃で満開だろう。


 

2025年4月14日月曜日

今でも汽笛が聞こえる


国鉄高崎第一機関区のターンテーブルの上で回転しているD51631。

画面右のラウンドハウスには、C58が収まっている。

1970_7_ごろ撮影の一枚。

この機関区は、上越新幹線の建設により、その面影は全くなくなっている。

こんな施設や建物があったなんて、写真なしでは思い出すことは困難。

ただ、当地では時々D51とC61とC58の汽笛を聞くことができるのは幸いだ。

 

2025年4月13日日曜日

広島で出会ったC6215

 


1966_8_25 の広島駅。

このころ呉線では、C62やC59が走っていました。

この一枚は、大学の鉄研の夏季合宿で山陰を調査しての帰り、広島駅で撮ったC6215。

この15号機は、このあと北海道に渡って最後の「C62重連」として活躍した。

区名札の「糸」は、糸崎機関区のことですね。


2025年4月8日火曜日

カールしているフィルム

 1965_9  ごろの一枚。


撮影は高崎線下りの倉賀野~高崎間。

牽引はEF6226だから、これから高崎駅を経由して信越本線に入る貨物列車だろう。

画面左は高崎第二機関区。

EF15とEF62が休んでいる。

画面右下には、ホンダスーパーカブのバックミラーが映り込んでいる。

昭和40年のこのころには、すでに原付バイクに乗っていたのですね。

ところで、このフィルムは、画面の左がゆがんでいる半端フィルムで

スキャン時にカールが補正できなかったものです・・・。