1967年は「撮り鉄」に熱中した年、
東北本線盛岡以北の電化を10月に控えていました。
何回か通った撮影地は、盛岡の先の沼宮内(ぬまくない)。
ここから奥中山方面に向けて、D51の三重連や重連が目白押しでした。
この一枚、三本の煙突から立ち上る煙が三重連の証。
沼宮内を発車するD51三重連による貨物列車です。
架線柱が立っていないので、空が広く見えます。
はじめてカメラを手にしたのは、父親から買ってもらった富士フィルムの「ペット35」。小学6年生だった。その1960年代のはじめから撮り貯めた、とっておきの思い出鉄道写真と、今もバリバリ撮り続けている鉄道写真をエピソードと共に紹介します。
東北本線盛岡以北の電化を10月に控えていました。
何回か通った撮影地は、盛岡の先の沼宮内(ぬまくない)。
ここから奥中山方面に向けて、D51の三重連や重連が目白押しでした。
この一枚、三本の煙突から立ち上る煙が三重連の証。
沼宮内を発車するD51三重連による貨物列車です。
架線柱が立っていないので、空が広く見えます。
2011_7_2 は「撮り鉄人生」にとって印象深い日でした。
D51498は高崎から信越線横川へ。
C6120とC57180は、重連で上越線の水上へと運転されたのです。
この日、D51とC61+C57がなんと、高崎駅を同時発車したのです。
この時のベストショットは、あるコンクールで「グランプリ」受賞となりました。
高崎での撮影後、水上まで追いかけて復路の重連を撮ったのがこの一枚。
貴婦人、C57を真横から狙ったものです。▼
あれから、14年も経ちました。
その後は、このような列車は運転されなくなりました。
1970_2_6 、函館から長万部までの急行「ニセコ」号の旧型客車内から、
C6232号の炭水車付近を撮影した内の一枚です。
卒業旅行としての北海道旅行でした。
厳寒の季節でしたが、トラブルもなくお目当ての蒸機の撮影を終えています。
撮影地は、函館、長万部、二股、上目名、銀山、小樽築港など、函館本線を走る「C62(シロクニ)」を中心に追いかけました。
あれから55年を経過。
2025年の最近は、カセットからデジタル化した生録音を聞き返し、往時を懐かしんでいます。
1967_1_7 の撮影。
高崎線倉賀野・新町間を下るEF53牽引の旅客列車だ。
このように被写体を「鉄道」に向けたのは、小学6年生のころからで、
最初のカメラは、冨士フィルム製の35ミリレンズシャッター。
F値は3.5で、最高シャッタースピードは200分の1だった。
その後、ペトリやミノルタに変わった。
2025年がスタートして三日。
今日の一枚は、1965年1月ごろのEF60127牽引の貨物列車。
このころ、高崎第二機関区にこのEF60の100番台が配属されていました。
撮影場所は、現在の「高崎アリーナ」あたり。
どういうわけか、ナッパ服を着た人物が映り込んでいる。
画面左のスレート屋根の家が時代を感じさせる。
60年前の1月の情景。