2025年1月31日金曜日

D51三重連 沼宮内発車


1967年は「撮り鉄」に熱中した年、

東北本線盛岡以北の電化を10月に控えていました。

何回か通った撮影地は、盛岡の先の沼宮内(ぬまくない)。

ここから奥中山方面に向けて、D51の三重連や重連が目白押しでした。

この一枚、三本の煙突から立ち上る煙が三重連の証。

沼宮内を発車するD51三重連による貨物列車です。

架線柱が立っていないので、空が広く見えます。


2025年1月27日月曜日

感動をもう一度 同時発車から14年

 2011_7_2 は「撮り鉄人生」にとって印象深い日でした。

D51498は高崎から信越線横川へ。

C6120とC57180は、重連で上越線の水上へと運転されたのです。

この日、D51とC61+C57がなんと、高崎駅を同時発車したのです。

この時のベストショットは、あるコンクールで「グランプリ」受賞となりました。

高崎での撮影後、水上まで追いかけて復路の重連を撮ったのがこの一枚。

貴婦人、C57を真横から狙ったものです。▼

あれから、14年も経ちました。

その後は、このような列車は運転されなくなりました。


2025年1月25日土曜日

生禄のデジタル化で往時を懐かしむ

 1970_2_6 、函館から長万部までの急行「ニセコ」号の旧型客車内から、

C6232号の炭水車付近を撮影した内の一枚です。


この年の4月には、晴れて?社会人として巣立ったので、

卒業旅行としての北海道旅行でした。

厳寒の季節でしたが、トラブルもなくお目当ての蒸機の撮影を終えています。

撮影地は、函館、長万部、二股、上目名、銀山、小樽築港など、函館本線を走る「C62(シロクニ)」を中心に追いかけました。

あれから55年を経過。

2025年の最近は、カセットからデジタル化した生録音を聞き返し、往時を懐かしんでいます。


2025年1月18日土曜日

高崎線を下るEF53

 1967_1_7 の撮影。

高崎線倉賀野・新町間を下るEF53牽引の旅客列車だ。

このように被写体を「鉄道」に向けたのは、小学6年生のころからで、

最初のカメラは、冨士フィルム製の35ミリレンズシャッター。

F値は3.5で、最高シャッタースピードは200分の1だった。

その後、ペトリやミノルタに変わった。





2025年1月3日金曜日

ランドマークをバックのEF60

 2025年がスタートして三日。

今日の一枚は、1965年1月ごろのEF60127牽引の貨物列車。

このころ、高崎第二機関区にこのEF60の100番台が配属されていました。

撮影場所は、現在の「高崎アリーナ」あたり。


背景の建物は、日本製粉の高崎工場で「ランドマーク」タワーだった。

どういうわけか、ナッパ服を着た人物が映り込んでいる。

画面左のスレート屋根の家が時代を感じさせる。

60年前の1月の情景。