再び、EF55の2号機。
レアな写真ですが、
パンタが上がっている時代ではないのが、「残念」。
1号機は、いまでも高崎機関区(車両センター)構内に保管されていますが、これは2号機。
3号機は、米原-坂田間の交直機に部品取りされていますが、この2号機は、解体されたのでしたっけ・・・。
写真のまわりのようすからも分かりますが、わたしたち子どもは、結構この辺で遊んでいました。また、近所のお母さんたちは、石炭の燃え殻を拾いに毎日ここ(高崎第二機関区)に通っていました(^^。
1962_7 ごろ高崎第二機関区で撮影。