「昭和の高崎」の一枚。
1959_4 、昭和34年撮影。
高崎第二機関区から高崎操車場への「非常渡り線」。
架線も張られている。
写真は東から西をみたもの。
すぐ南隣に地下トンネルがあるので、この渡り線が実際使われたのを見たことはない。
その代り、1963年秋のアプト廃止後、廃車予定のED42が10両ほどここに長く留置されていたのは、鮮明に覚えている。
画面とおくには、第二機関区の検修庫が、右には蒸機の給水塔が見える。
この二つの鉄道施設は、2018年の今も存在している。
手前の、二本のレールはすでに撤去され、跡地は雑草がはびこっている。