高崎操車場では、ハンプ(丘)から、貨車を突放(とっぽう)して、
惰性で走らせ、掛が貨車に飛び乗ってブレーキをかけ、方面別に組成された貨物列車に次々と連結していた。
新聞の切り抜きなどの資料がないので、事故の詳細は不明だが、何コマかの写真を見る限り、貨車がハンプ下で、脱線していた。
操重車「ソ」も登場し、貨車を吊り上げて復線していた。
壊れた貨車の積荷を運んでいる職員もいた。
写真はD51のテンダー側から撮影したもので、当時、「高崎操初の大事故」と報道されていたと記憶している。
近くに住むものとして、関心のあった事故だった。
1965_10_12 撮影。