
はじめてカメラを手にしたのは、父親から買ってもらった富士フィルムの「ペット35」。小学6年生だった。その1960年代のはじめから撮り貯めた、とっておきの思い出鉄道写真と、今もバリバリ撮り続けている鉄道写真をエピソードと共に紹介します。
2013年4月30日火曜日
161系「とき」 高崎操車場を通過
朝夕この辺を散歩している方は、ここがどこかはすぐ分かるでしょう。高崎線の上り161系「とき」が高崎操車場を通過している。左にはD50らしい蒸機がハンプに向け貨車を押し上げている。・・・ここは、諏訪神社の南、現在はこの堀はふたがかかっているので、道路は少し広くなっている。半世紀前の1962_7_11 の撮影。画面からは、雨模様のようだ。

46年前 4月30日撮影の一枚
1967_4_30 の撮影だから、46年前のこと。当時の時刻表で調べると、この165系は高崎線の上り972Mで、前橋14時57分発大宮16時30分着の普通列車だった。撮影地は、「タカバシ」と呼んでいたところで、現在の高崎車両センター高崎支所近く。

2013年4月29日月曜日
2013年4月28日日曜日
2013年4月27日土曜日
2013年4月26日金曜日
コロナ クルマにあこがれた昭和の時代
昭和の時代が懐かしい。昭和35年(1960年)ごろ、高崎城南球場で自動車ショーが開かれた。トヨタ・日産・プリンスなどのメーカーが出展していた。この一枚はトヨタのコロナ。センターピラーが斜めになっていたりして、傾斜したデザインだった。見学の人たちは、みなクルマを持つことにあこがれていた時代だった。

碓氷峠 489系と115系のすれ違い
1995_11 撮影。軽井沢の矢ケ崎での一枚。上りの489系と下りの115系とのすれ違い。画面の先に碓氷峠の最終(最初)のトンネルがある。いずれも、ロクサンの力を借りて峠を上り下りしていた。画面、右隅には、長野新幹線の工事が見えている。

2013年4月25日木曜日
2013年4月24日水曜日
ロクニばかりが5両並んでいる一枚
国鉄の分割民営化を控え1984_2 に貨物列車が大幅に削減された。その貨物列車牽引を担っていたのが高崎第二機関区のEF62(ロクニ)。5両が一列に並んでいる姿は壮観だ・・。なお、これらのロクニは下関運転所や田端運転所などに転属したようだ。

GOGO TRAIN(EF55復活)
1986_8_2 高崎駅で撮影。27年前のこと。EF551が廃車から22年ぶりに復活し、夏休みのこの日も水上までEF55牽引の旧客列車が運転された。長らく高崎第二機関区に留置されていたものが、国鉄時代の末期に復活したのでした。テールマークには、「GOGO TRAIN EF55復活記念列車」とありました。

2013年4月22日月曜日
4半世紀前のEF551とD51498
およそ4半世紀前の1989_4_23 新前橋電車区で撮影。EF55とD51の並び。D51498はもうすぐ戻ってくるのだろうが、EF551となると最近はどこに保管してあるのだろうか?姿をみかけませんね。

一度だけの「お召し」の撮影
「国鉄時代」の5月号33号を買った。お召し列車が特集なので、思い切って?2400円という大金を支出。自分が撮影したこの一枚の撮影日や編成を調べるのに必要だと思ったのです。撮影日は、1964_5_16 で、長野国体からの帰京のため高崎線を上っていったものです。けん引機は、EF5861でした。なお、お召し列車を撮影したのは、このときだけなのでとても貴重な一コマです。

2013年4月21日日曜日
153系急行「比叡」
このブログは、自分の人生そのもの。現在の自分と過去の自分とを織り交ぜて写真とともに書いている。1966_3_30 は、大阪駅に行って412M急行「比叡」を撮影している。この列車は、大阪と名古屋間の急行で、当時も何本か設定されていたようだ。なんで、大阪に?と思うが、まだ、本格的な鉄ちゃんでなかったので、とりあえず「撮れるところで」ということで、でかけたものだった。今思うと、ほかにももっと稀少な被写体もあったと思うのだが・・・。

2013年4月20日土曜日
「SLレトロみなかみ」を後追いで
2013_4_20 は、群馬総社から水上へ。まずは群馬総社-八木原間で菜の花畑の中を行くC6120牽引のSLレトロみなかみを撮影。その後、水上の諏訪峡へ。諏訪峡大橋下の桜は咲いていました(^^。ほどなく、通過。この一枚、橋の下を通過したあとの後追い。今日は、曇りながら谷川連峰と望むことができました。

2013年4月19日金曜日
2013年4月17日水曜日
EH500にも慣れた?
自宅の庭から「安中貨物」の通過が見える。2013_4_17 の今日は、いつもより30分ほど遅延していたようだ。この一枚は、2013_4_11 に撮影したもの。もう、この機関車の姿や走行音にも慣れましたね。なお、昨日は安中で機関車の不調があったとの新聞報道かあった。

2013年4月15日月曜日
さよなら200系団臨 2
午後、200系の最終走行写真を撮りに根小屋へ。背景には、上越国境の雪山が写るはずでしたが、春霞のせいでダメでした。背景には、電力の塔が何本もたっています。それにしても、よくぞここまで走ったものですね。これからは、ここで撮れる新幹線は、E2系とE4系だけになってしました。写真は、高崎駅に向かう200系団臨です。2013_4_14 撮影。

2013年4月14日日曜日
さよなら200系団臨 1
「さよなら200系」の団臨を撮影に高崎駅へ。新幹線ホームには、あちこちにFanの姿が・・・。団臨は高崎通過と思っていましたが、1分間の停車でした。そのため、通過線でなく13番線に停車。ちょうど、ホームの屋根の影に入って日陰状態の色温度。走り去るのを後追いする人、さっそくモニターを眺める人など、撮りかたもいろいろですね。なお、1号車と10号車のサイドに記念のステッカーが貼付されていました。2013_4_14 撮影。


2013年4月13日土曜日
2013年4月12日金曜日
新川原湯温泉駅 まるで鉄道模型
2013_4_12 は、八ッ場(ヤンバ)へ。もう何度も行っているのですが、結局新しいお立ち台でなく、いつものお立ち台での撮影でした。この一枚は、吾妻線岩島-長野原草津口間の付け替え新線路に出来る「新川原湯温泉」駅を俯瞰したもの。まるで、鉄道模型のレイアウトのようでした。後は、架線柱と架線、駅本屋、信号、ポイント切り替え機などを配置すれば完成ですね。

2013年4月11日木曜日
ダイヤ改正直前の200系
200系がほんとに「さよなら」をするのが、2013_4_14 の「さよなら200系号」のようです。この一枚、その1ヶ月前の2013_3_15に撮影した200系。高崎駅を発車する直前のもので、車掌さんの後姿をねらったものです。「惜別」の雰囲気がでているでしょうか。あんなにも毎日走っていたのが、本当になくなるのですね。

高崎操車場基盤整備工事の看板
いまからおよそ20年前、1993_8_6 撮影。左には「高崎操車場基盤整備工事」の看板が見える。この結果、操車場の多くの土地が余剰地となり、住宅や工場として再開発された(ている)。遠くには、「麒麟麦酒」の工場が見える。右には、今では数本にまで減少した211系が高崎線を通過している。

「あけぼの」高崎停車
銚子に行く前に、高崎駅で「あけぼの」の到着を待った。5時19分前に到着し、機関士さんの交代があった。急いで最後尾まで行って撮ったのがコレ。カニ24のエンジン音がすさまじかった。なお、高崎駅で下車したお客さんは、いなかったようだが、すでにカーテンを開いて起床していた人も見受けました。6月には、わたしも青森まで「あけぼの」のお客さんになる予定(^^。
2013_4_10

2013年4月8日月曜日
鉄博で機関士の雰囲気を味わう
2013_4_8 は、大宮の鉄道博物館へ。お目当ては、「D51のシミュレータ」。逆転器やドレーン弁、加減弁などを操作し、機関士になった雰囲気を味わいました。また、E233系の運転士体験教室には、初級と中級の2回参加し、ここではブレーキ操作の難しさを体験しました。

2013年4月7日日曜日
C61の走りをスローシャッターで
何回も通った高崎駅北。普通に撮影でなく、スローシャッターでの撮影に挑戦。今回は、15分の1。C61が比較的遅いダッシュなので、背景や動輪のの流れはいまひとつ不満。やはり、もっとスローのほうがいいのかも。2013_4_7 午前9時過ぎ、4時間遅延の上り「あけぼの」が通りましたが、撮影はできませんでした(^^・

2013年4月6日土曜日
わ鉄沢入(そうり)のサクラ?
自宅庭のハナモモが咲き、散った。わ鉄の神戸のハナモモは咲いたかな?と気がかり。ちょうど、上毛新聞の一面に神戸のハナモモとサクラの共演の記事が出ていたので、さっそく行ってみた。でも、ピンクのハナモモは咲いていたが、お目当ての赤いハナモモは、まだつぼみ状態。この一枚は、神戸のひとつ先の駅、沢入駅北で撮影したもの。一本のサクラが目に付くが、ここにはほかにも何本ものサクラの木があるはず・・・。でも、ほかにはサクラの花は・・・?まだ、つぼみなのか、それとも鳥に食べられたのか?遠目には分かりませんでした。2013_4_5 撮影。

修学旅行用「ひので」
1964_4_1 は、小田原へ。というよりは、新幹線のモデル試験線の鴨宮へ行きました。この一枚は、その途中小田原で撮ったもの。155系「ひので」で1132Mだから、東京方面行きの上り。修学旅行用としては、ほかに「きぼう」とか、「おもいで」などがあった。

C61牽引 「SLみなかみ」発車
2013_4_6 は、東京に行くはずで、神田の神保町の書泉で鉄道書を探してもいいな、と思っていた。でも、春の嵐のせいで予定変更となりました。この一枚、高崎駅でのC61の発車シーン。いつもの8分の1のスローシャッターでの動感表現をねらしました。キヤノン7Dでは、RAWで24コマ程度の連写が出来るので、これはそのうちの一枚。曇り空で、コントラストのない天候でした。

2013年4月4日木曜日
2013年4月2日火曜日
待たれる新たな「お立ち台」の完成
2013_4_1 は、パルコール嬬恋スキー場へ。ファン感謝デーでゴンドラとリフトとも無料でした。その帰り道、八ツ場に建設中の「湖面1号橋」を見学。あと少しで、左右の桁がつながるようでした。完成すれば新たな鉄道写真が撮影できる「お立ち台」の誕生です。待ちどおしい橋の完成です。川原湯温泉の入り口のゲート付近で撮影。

C62牽引「ゆうづる」
1967_4_1 は、常磐線の四ツ倉へ。お目当ては、C62牽引の「ゆうづる」。でも、当時のカメラの性能や技術から、この早朝の列車をしっかり捉えるのは難しかった。何コマか連写した内の一枚がコレだが・・・。機番は22号だった。

2013年4月1日月曜日
7年前に撮った菜の花の中を行くD51
2006_4_1 上越線の井野-新前橋間で撮影。ここは日高遺跡で、当時は線路の両側は、このように菜の花でいっぱいで、子供たちも自由に立ち入り、かくれんぼなどをしてた。現在は、ここには規制ロープが張ってあり、立ち入りができない。

DD51の1号機 鉄道文化むら展示前の姿
1987_5 ごろ高崎第二機関区で撮影。1986年に秋田機関区で廃車となり、高崎第二機関区に留置されていた。塗装は登場時とは異なり、朱を基本とした色だが、塗装がはげ劣化した感じ。現在は、碓氷峠鉄道文化むらで、登場当時の塗装で展示されている。
